セッション15 アウトサイダーズ・オブ・コズミック・ホラー3
セラ・シュリュズベリィは苦戦していた。
確かに、深きものどもはその身体能力において人間よりも優れた種族だ。STRやHPは確実に人類を上回っている。だが、それはあくまで比較的という話であり、銃で殺せないほど強いという訳ではない。むしろ、水棲種族である彼らは陸上ではその能力を大幅に下げる。現に、セラの足下には銃痕からおびただしい量の血液を流す魚人の屍が何体も転がっている。
一方で、屍にならない魚人もいる。彼らの足には共通して奇妙な靴が装着されていた。スケート靴に似た刃を底面に持つその靴にはアクアマリンが幾つか嵌められており、そこから海水を召喚していた。海水は勢いよく噴出し、奇妙な靴を履いた魚人達はその海水に乗って高速移動をしていた。
『波乗り靴』――と深きもの共の一人がそう呼んでいた。
足場とするものが風か水かの違いはあるが、セラの『空中闊歩』と原理が似ている。彼ら深きものどもは海神ダゴンを崇めている。ならば、あの『波乗り靴』はダゴンの加護を受けた魔術兵装なのだろう。
最高速度ならば先日撃墜した戦闘機の方が上だ。だが、速すぎてかえって制御が難しい戦闘機よりも、小回りが利く魚人の方が当て難い。魚人達の移動速度はセラの銃捌きを上回り、幾度となく引き金を引いてはいるものの思うように銃弾が当たらない。稀に撃ち倒せる事もあるが、それはただ幸運が命中させてくれただけであり、狙った結果では無かった。
銃撃を免れた魚人達はセラに肉薄すると、拳を打ち出した。一切の慈悲もない鉄拳をセラは上方に跳躍する事で躱す。風に乗り、深きものどもの頭上を抜けたセラは着地を前に更に敵の数を減らそうと銃口を向けたが、引き金を引くより先に空中にいる彼女の眼前に魚人が現れた。
こんな高みまで跳躍してこられたのか。否、眼前の魚人は既に屍だ。跳躍など出来る筈がない。眼前の屍は単なる物として同胞に投擲されただけだ。
数十キログラムの投石と化した魚人の巨体に衝突したセラが墜落する。そこへ他の魚人達が殺到した。殺意に満ちた爪がいくつも迫る中、セラは再び風を踏んだ。だが、今度のは普段の飛翔とは違った。足場として集めた風を爆弾のように破裂させ、荒れ狂う暴風を生んだ。暴風は群がる魚人達を退け、その隙に彼女は自身に圧し掛かる魚人の屍を蹴飛ばし、立ち上がって態勢を整える。その小さな肩は乱れる呼吸に上下に揺れていた。
「なかなかてこずらせるでありますね……先程、さすがは本隊と云う訳でありますか」
魚人達が機関銃ではなく、拳や爪で攻撃してくるというのも厄介だ。
セラは常時、『風を纏いて歩むもの』という魔術で身を護っている。自身に向けられた飛び道具を纏った魔風で軌道を変える事で受け流す魔術だ。矢や銃弾のみならず爆風なども防ぐ事が出来る。
一方でこの魔術には弱点がある。あくまで飛び道具に対する防御術式である為、近接系攻撃には通用しない事だ。魚人達の拳や爪は受け流せないのである。恐らく、先の斥候からセラには機関銃での攻撃が効かない事を聞いて、対策してきたのだろう。
陸上でサーファーを気取る魚人達がセラを中心に旋回し、四方を囲んで逃げ場を塞ぐ。だが、そんな状況下においてもセラの無表情は変わらなかった。
「――ならば、武器を変えるだけであります」
双銃を本の中に仕舞う。『冒険者教典』は魔術の修得以外にも用途があり、通話やパラメーターの確認、アイテムの収納機能がある。所謂ゲームのステータス画面だ。
セラは複数の銃使いだ。双銃の代わりに取り出したのは二丁の短機関銃だ。二丁とも白銀の銃身には奇妙な五芒星の紋様が描かれている。
「『旧印双機銃』――今回の敵が魚と聞いて、わざわざ用意してきた銃であります」
右手に一丁、左手に一丁を握り、それぞれを左右に向ける。そして、その場で旋回しながら狙いもつけず引き金を引いた。銃口から銃身と同様の五芒星が描かれた銃弾が飛び出し、四方八方の散っていく。『波乗り靴』を履いた深きものどもが銃弾を躱せるのは、銃弾より速く動けるからではない。狙いをつけてから引き金を引くまでのタイムラグの間に逃げているだけだ。銃弾があくまで点の攻撃だから躱せるのだ。
ならば、面の攻撃ならば躱し切れないのではないか。セラはそう考えた。
弾道ではなく弾幕。セラを中心に円形に展開した銃弾の嵐は深きものどもの腕に足に肩に胸に腹にこめかみに頬に喰らいつく。そして、体内に到達した刹那、銃弾は輝かしい魔力を放った。銃身に描かれた奇妙な五芒星『旧き印』は聖術に属する。邪神を崇拝する者共を退ける効力を持ち、吸血鬼退治における十字架に相当する。ギルバートのような特異体質を除き、異形にとっては猛毒も同然だ。
斯くして、銃撃を受けた深きものどもは一人残らず転倒し、悶絶した。撃たれた箇所に関わらず、『旧き印』が与える退魔能力に彼らは立ち上がる事が出来ない。武器を変更して正解だったようだ。
これで漸く戦えるか。そう思った直後、
「――――頑張っているようだなあ、セラ・シュリュズベリィ――――……ッ!」
そんなセラの下へ人垣を押しのけて、巨大な影が現れた。
六メートルはあろうかという巨体。四肢や頭部があるのは人と同じだが、機械で出来ていた身体は生命の柔らかさとは無縁の硬度を誇っていた。全身を頑強そうな厚い装甲で覆い、両脇にはガトリング砲、背中には二門の大砲を備えている。足部が平らに大きく、車輪が片足に三個ずつあった。
「どうだァ? 驚いたか――――ッ!? ええ? 驚いたかよ――――ッ、シュリュズベリィの魔術師よ――――ッ!?」
胸部にある半透明の窓からコクピットに収まるアンコウの魚人――琵琶弾樹が搭乗しているのが見えた。
「これが俺が副船長を名乗る理由の一つ、術式機械『機装式神・陽』よ――――ッ!」
「術式機械……! 人型機動兵器でありますか」
新手を繰り出してきた敵にセラが舌打ちをする。
「どこの誰でありますか、貴方にそんな玩具を与えたのは」
「答えてやる義理があると思ってんのかァ、敗けるお前によ――――ッ!?」
機械仕掛けの巨人の手がセラへと襲いかかる。大振りの攻撃は強力だがその分、隙が大きい。巨人の手を掻い潜り、懐に潜り込んだセラはコクピットに銃撃を浴びせた。だが、
「……効いてない!?」
ロボットの装甲には僅かな傷すら付いていなかった。跳弾が四方八方に飛び、攻撃したセラの方が傷を負いそうになる。
薙ぎ払うロボットの手を躱し、距離を置いたセラは考える。短機関銃では威力が弱かったか。敵が魚人ならば『旧き印』が有効と思っていたが、この人型機動兵器は構造的には邪神と関係ないのかもしれない。ならば、単純に高い攻撃力で攻めるべきか。短機関銃をしまい、セラは二丁の拳銃を取り出す。銃弾の一発で戦闘機を撃墜する魔弾だ。威力は申し分ない。
灼熱のレーザー光線が銃口からロボットを撃つ。
「無駄なんだよ――――ッ! 間抜けがよ――――ッ!」
だが、撃ち貫く事は出来なかった。装甲に触れた途端、レーザー光線は無数の火花となって霧散した。装甲には威力によるへこみどころか高熱で溶解した様子もない。
「『機装式神・陽』はただでけぇだけのロボットじゃねえんだよ――――ッ! こいつの装甲はなァ、一定以下のあらゆる魔術を無効化しちまうのさァ! つまり、てめぇ程度の魔弾じゃあこいつの装甲にゃ勝てねえんだよ――――ッ!」
「『対魔力障壁』、でありますか……!」
ロボットのガトリング砲が火を噴く。セラは風圧をサーフィンのように乗って逃げながら双銃で応戦する。だが、右の風弾も左の炎弾もロボットに触れた端からただの鉛弾に戻ってしまい、地面に乾いた音を立てて落ちる。表情には変化がほとんど見られないが、内心ではセラは敵の装備を苦々しく思った。
対魔力障壁。攻撃系・補助系・治癒系問わず、あらゆる魔術効果を遮断する防御術式の一つだ。使い手や道具の強度によって無効化出来る魔術のレベルが変わってくるが、眼前のこの術式機械はかなりの高レベルまで無効化出来るようだ。魔力を失った攻撃はその攻撃本来のダメージしか与えらない。セラの攻撃でいえば、魔弾は魔術で強化される以前の状態に戻され、弾丸本来の物理的ダメージしか発揮出来ないという事だ。そして、ただの弾丸では『機装式神・陽』の鋼鉄の装甲を突破する事が出来ない。
手持ちの武装に双銃よりも強い攻撃力を有するものはない。つまり、セラの攻撃では琵琶弾樹にダメージを与える術がない。
「おらおらおらおら――――ッ! どうしたよォ、シュリュズベリィの魔術師よ――――ッ! 逃げてばっかりじゃあ、いつまでも勝てねェぜ――――ッ!」
「…………ッ!」
ガトリング砲の追撃に逃走の一手を続けるセラ。セラは装甲・耐久力自体は並の人間と変わらない。身体強化系の魔術は不得手であり、防御魔術もガトリング砲に耐えられるほど完璧ではない。ガトリング砲は短機関銃などとは弾幕の濃さが違うのだ。被弾すれば強引に魔術が破かれる。
「そォらよ――――ッ!」
なかなかガトリング砲が命中しない事に業を煮やした琵琶が、足部の車輪を走らせてロボットをセラに急接近させる。そして大振りの平手打ちを彼女の頭上から見舞った。超重量の一撃は、しかしセラには追いつけず、空振りした掌は大地を陥没させた。
セラはロボットのボディを駆け上がり、すれ違い様に反転して双銃の魔弾をロボットの背部に叩き込む。だが、やはり魔弾は無効化されるばかりだった。前面だけでなく背面も無効化されるとなると全身に対魔力障壁が施されていると考えて間違いないようだ。
「ところでよォ、部下から聞いたんだけどよォ、てめぇの銃は撃っても撃っても弾切れしないらしいじゃねえかよ――――ッ!」
背後にいるセラにロボットが平手打ちの薙ぎ払いを放つ。足場の風を噴出してロボットの手が届く範囲から抜けるセラ。そこへ再びガトリング砲の嵐が猛威を振るい、セラは逃げ続ける。攻撃の通じない今、セラは逆転の手を思い付くまで逃げるしかない。
「確かに弾切れしない銃っつーのはあるけどよ――――ッ! てめぇのはそれとは違う気がするんだよ……なァ――――ッ!」
「ッ!」
ロボットの手首からワイヤー式アンカーが伸びた。ガトリング砲を躱したセラの動きを先読みしたアンカーの接近に、セラは急転回して躱すが、急すぎて動きが乱暴で余裕のないものになってしまう。その隙にアンカーはセラではない何かを貫いていた。アンカーを回収した琵琶はアンカーの先端で捕らえたものを見て、したり顔で嗤う。
アンカーの先端には蜂のような姿の生き物がいた。肉体のパーツは頭、胸、胴にみっつにくびれていたが、昆虫類と異なり手足は四本しかなく、背中には翅ではなく蝙蝠に似た羽が生えていた。全体的なサイズは十センチメートル前後。腹部を貫かれたその生き物は息も絶え絶えにキイキイと鳴いていた。
「成程ォ、『ビヤーキー』の幼体か。こいつに弾丸を装填をさせてたんだなァ?」
ビヤーキー。風の邪神を崇める奉仕種族の一つ。ハスターを信仰する者に恩恵として与えられる事があり、多くは乗用馬の役目をさせる為に召喚される。
「透明化か認識を逸らす魔術かは知らねえが……どうにかしてこいつの姿を見えなくして、こいつに密かに装填作業をさせて自分は撃ち放題してたって訳かァ。姑息な真似を使うなァ、ええ? シュリュズベリィよ――――ッ!?」
「…………くっ」
「だが、これで装填は――――ッ! もう出来ねえ――――ッ!」
ロボットが幼体ビヤーキーをアンカーから引き抜く。そして、手の中でもがくその生き物をいとも容易く握り潰した。短い断末魔と共に体液が指の隙間から飛び散る。琵琶は下卑た笑い声を上げると、ロボットを操作して背負った砲門をセラへと向けた。
「これでてめぇはますます為す術がねえ―――ッ! てめぇの敗けだァ! 諦めて、木端微塵に消えちまいなァ――――ッ!」
双の砲門が火を噴く。幼生ビヤーキーを殺されたショックでセラの反応が一瞬遅れた。眼前に迫る砲弾はもはや躱しようがない距離にまで来ている。彼女が何かをしようとコートの裏側に手を伸ばした直後、
爆炎が彼女を包んだ。




