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上・予想外

 病院は、ただただ白いから、嫌いだ。


 俺は、少女の寝ているベッドの傍で、そう思った。

 病院という場所は、救いの場所でもあって、死の場所でもある。白い壁は、そのどちらも受け付けて、反射させている。救いの思いを反射するなら構わない。しかし白い壁は、死の思いすら反射する。そうして、ただでさえ死に面している患者は、その鋭く冷たい光に当てられて、喪失感でいっぱいになるんだ。

 いっそのこと、この壁が白色ではない他の色で、例えば黒で、思いを吸収して、またはほかの色で、その思いを受け付けずに、ともかく患者を、死の列へと引き込ませないようにしてくれればいいのに。

 病院はそういうことを考えていない。そこが嫌いだ。だから病院は、嫌いだ。


 僕の目の前で寝る少女は、静かに目を瞑っている。白いベッドに白いシーツに白い掛布団。少女はまだ死んではいないはずなのに、周りを覆う白色のせいで、その顔色すらも、死人のように真っ白に見えてくる。まるで白色が、彼女を殺しにかかっているようで、見ていて腹が立ってきた。だから俺は、白色は止めろと言っているのに。


 激しく吹いていた寒い秋風は、今は穏やかに吹いていて、外で淋しく、枯れた身を寄せ合っている木々を、さわさわと揺らしている。それに合わせて、葉っぱが一枚、二枚と飛んでいく。何かの本で、葉っぱが全て落ちた時が私の死に時だと、そう悟った主人公がいた。木はまた芽吹くのに。どうして、今の状態で時が止まると思ってしまうんだ? 

 万事塞翁が馬。山あれば谷あり。明日は明日の風が吹く。

 終わりではないところで、どうして終わりと決めつけてしまうのだろう?

 そう俺は、彼女に叫びたいのだ。

 しかし彼女は聞いてくれない。

 聞く意思を、持っていないのだから。



 ……彼女の話をしよう。

 彼女は、可愛いわけでもない。センスが良いわけでもない。口上手なわけでもない。

 ただ、とても真面目で、よく笑う子だった。

 部活では中心に立っているらしく(部活が同じではないのではっきりとは分からないが、クラスメイトに聞くと、どうやらそうらしい)、よく教室でも、部活の仕事をやっていた。クラスでも、絵が上手いため、たくさんのポスターを描いていた。成績も、授業を真面目に聞いているからだろう。けっこう良い。

 

 なんだかこう言うと、彼女が完璧みたいだなぁ。いやいや、彼女は全てが完璧なわけではない。しょっちゅう学校は休んでいたし、ぼーっとしていることも多かった。

 一度、夏休み中に、教室で二人きりになった時があったが、その時、彼女は暑さのせいで、熱中症になってしまった。後日聞いた話には、その前の日、二時間しか寝ていなかったらしい。どうして夏休み中なのに、無理をするの? と聞くと、やらなきゃいけないことがあるから、と淋しい笑顔で返された。

 

 彼女は、見ているこっちが心配になるくらい、責任感が強かった。

 しかし、彼女は、いつも笑っていた。

 話しかけると、にこにこと、こちらをちょっと向いて、下を向きながら笑う。つまらないギャグでも、にこにこと笑う。些細なことで笑う彼女は、とても感受性が豊かに見えて、そして、なんだかいつも楽しそうだった。こっちも彼女と話すと、いつも笑ってくれるので、話すのがとても楽しかった。


 そういえば。会話をしている時のことを思い出して、今、気が付いたけれど、彼女は、周りをよく見ていた。

 そのことが分かりたいのならば、三人以上で、彼女と帰ってみればいい。そうすれば、彼女が気配り上手なことがよく分かる。三人以上で帰ると、大抵、一人は仲間外れのように会話に入れず、独りぼっちになる。

 そんな時、彼女はいつも、その独りぼっちになりそうな人を見つけて、その人の傍へ行き、少しお喋りをする。けれど、何もその二人だけでずっと会話をしているわけでもなく、他の人たちの話にも、簡単に首を突っ込んでくる。その会話の入り方は、なにも無理やりな感じじゃない。自然な会話の入り方なのだ。だから、誰も、文句を言わない。彼女が首を突っ込んで来たら、素直に受け入れて、会話を楽しむ。

 彼女がいると、グループの空気が、変に委縮することがなかった。

 

 このように、彼女はとても優しい。

 そして俺は、優しい人が誰よりも好きだった。

 それなら、彼女を好きになるのは、当たり前だろう?


 他の男子が、クラス内の可愛い子についてばかり話したり、いつもおべっかを使ってくる女子の事ばかり話している時、俺はそれを聞きながら、いつもちらりと彼女を見ていた。彼女は可愛くはない。特段、愛想がいいわけでもない。しかし彼女は、とても優しかった。真面目だった。笑顔が、楽しそうだった。

 俺と彼女は、見知らぬ間柄でもなかった。同じクラスになってから、かなり話した。そして、彼女ともっと話していていたい、と思えたんだ。


 だから俺は、一昨日、彼女に告白した。

 付き合ってくれませんか? と言った瞬間、彼女の顔は、呆然と固まった。何が起きたの? と、まるで心臓が止まったように。

 笑いながらその肩を揺さぶると、あたふたと我に返って、顔を真っ赤にさせた。

 ありがとう。明日返事する。

その言葉は、俺よりも赤くて、震えていて、別に色よい返事をもらったわけでもないのに、なんだか心がほっこりした。


 しかし、昨日。告白した、翌日。


 彼女が、自殺未遂した、という話が、漏れ聴こえてきた。


 その話を聞いた時に、丁度隣にいた男子に聞いてみると、どうやら彼女は、最終下校時刻の直前に、屋上から飛び降りたらしい。先生達は、単に彼女は入院しているだけと言っているが、何人かの生徒が目撃していて、そこから話が広まったようだ。

 その話を、聞いて。

 彼女が自殺しようとしたという、話を聞いて。

 俺は、ただ、呆然と、固まった。

 朝、うきうきと弾んでいた心は、一瞬にして池の底へと叩き落とされた。上気していた頬が、口が、瞬く間に強張った。

 彼女の飛び降りる寸前の様子が、想像できる。きっと空が真っ赤に燃えて、そんな中、彼女の姿だけが真っ黒なシルエットになって浮かび上がり、空をさながら飛ぶように落ちていく。その時、彼女はどんな顔をしていたのだろう? 泣いていたのだろうか? 苦しそうに顔を歪めていたのだろうか?


 クラスは、授業が始まってもざわついていた。先生が、授業を始めるぞ! と怒鳴っても、数人が真面目に黙るだけで、ほとんどは、特に彼女と仲の良かった子など、口を閉じようとはしなかった。

 彼女の真っ赤な顔と、言葉を、思い出す。赤くて、赤くて、暖かい言葉と表情。

 ……昨日、言ったじゃないか。返事をするって、言ったじゃないか。あんなに嬉しそうな顔で、ありがとうって言ったじゃないか!

 まるで教室に一人取り残されたように、とてもとても、さびしかった。

 一昨日のことが、何度も何度も頭をよぎる。記憶は鮮明だ。風が吹いていた。もう夕暮れだった。でも寒さを感じさせないほどに、彼女は照れていて、嬉しそうだった。

 なのに、なのに。

 彼女はどうして、死のうとしたの?

 彼女の気持ちが分からなくて、俺はひどく混乱して、でも心はなんだか動かなくて、口元には朝から張り付いていた笑みが、違和感と共に残ってしまって。

 どうして?

 しかし、そんな思いを抱いているのは、男子連中だけのようだった。なんだか女子は、彼女が自殺するということを分かっていたかのように、ひそひそ噂をしていた。

 俺には、彼女が自殺しそうな雰囲気など、分からなかった。けっこう話していたと思っていたのに、彼女の苦しみは、全く見えてこなかった。

 どうして?

 どうして?

 どうして?

 どんなに考えても、思い出しても、俺は、彼女の笑顔と、真面目さしか知らない。彼女が死のうとした理由なぞ、全くもって考えることが出来なかった。ただ、どうして、なんで、と馬鹿みたいに、呆然自失のまま呟くことしか出来ない。

 でも、このまま傍観者で、彼女のことを知らずにいても、いいのだろうか。

 そうだ、彼女は自殺未遂だった。未遂なんだ。それならまだ生きている。話すことが出来る。

 苦しんでいるというならば、助けてあげたい。辛いことがあるというのならば、それを聞いてあげたい。

 彼女に、会いに行こう。

 俺は放課後、やっとその考えに辿り着いた。



 次の日。つまりは今日。

 彼女の家は知っていたので、その家の近くの病院を当たってみたら、入院先を見つけることが出来た。お見舞いの者です……、と声を潜めて言うと、案内嬢は、端的に彼女のいる病室を教えてくれた。

 そして、冒頭に戻る。


 彼女の意識はまだ回復しておらず、会話は出来ない。しかしその、真っ白で落ち着いた顔を見ていると、ますます死にたいと思った理由が気になった。

 だって、まるでその顔が、満足しているように見えたから。

 どうして、死のうとしたんだろう。

 俺は、普段、死について、自殺について、あまり考えたことがない。だから正直、自殺をするという人の気持ちは、全く分からない。分かろうとも思わず、そういう人もいるんだな、と諦めていた。

 でも、彼女に対して、それはダメだ。俺は、知らなきゃ。どうしてあんな顔をして笑っていた彼女が、真面目に色々なことに取り組んでいた彼女が、死のうとしたのか。

 いや、ダメ、なんて理由で知ろうとしているんじゃない。俺はその理由が知りたいんだ。そして、彼女を少しでも救いたいんだ。


「……目、覚めねぇのかな」


 俺は、無意識に、ぽつりと呟いた。

 誰も反応しない。


「……当たり前か」


 彼女の顔から目を逸らして、ぐるりと病室を見渡した。壁も白い。カーテンも白い。棚も白い。床も白い。

 勘弁してくれ。彼女の顔だって、こんなにも白いんだ。

 これじゃあ、これじゃあまるで、死のお迎えみたいじゃないか。

 ぎりっと歯を噛みしめた時、ふと、ダッシュボードの上にある花瓶に、一輪の花が刺さっていることに気が付いた。


 その花は、病室には似合わない、バラの花だった。

 それも真っ赤な情熱のバラではなく、真っ青なバラ。

 普段見ているものがどこか違うというのは、大きな違和感が伴う。俺はこの青いバラを見て、なんだか、ここが現実ではない様な気がしてきた。バラは、赤いもの。赤くなくても、暖色系の色であるはずなのに。

 それが一輪、青く、立っている。

 外はどろりと、雨の降りそうな暗雲が流れている。それが見える窓の前で、青いバラだけが色を失わず、ここにいると、小さく主張している。

 青いバラが、見舞いの花として贈られるなんて、聞いたことがない。誰がこんなの持ってきたんだろう。


 ……そういえばいつの時か、彼女が、青いバラの話をしていたっけ。いつ頃話したのかも、どうしてそんな話になったのかも覚えていない。ただ、彼女が淋しそうに、ふっと笑っていた。

『青いバラってね……』

なんと、言っていたっけ。

 青いバラは、青いバラは。

 彼女は、青いバラを、何という言葉で表して、淋しそうにしていたんだっけ。消え入るような言葉の先が、思い出せない。ノイズの海が邪魔をしてくる。

 彼女は、何と言っていたっけ……。

 俺は思わずダッシュボードの前に行き、その青いバラに触った。



 ふと。

 何の前触れもなく、ふと。気付くと、俺は砂浜に立っていた。



                                   続く


 ここまで読んでいただきありがとうございます。雉野です。

 一週間以内に次の話を上げようと思います。また次回も読んでいただければ幸いです。

 感想、評価お待ちしています。

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