表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

フリーワンライ

狐の嫁入り

作者: 千葉 某

雨の匂い

偽りの花嫁



空は明るかった。雲の隙間から太陽の光が差し込み、彼女は思わず顔を上げて目を細める。

それでも、と息をつく。


今日は、雨の日だ。


それを「狐の嫁入り」と呼び始めたのは誰だったか。いつだったかも、その理由さえもう思い出せないほど昔のことだ。

それでも、この神社で婚礼を挙げる男女がいるたび、彼女は30分ほどの細かな雨を降らす。それがその村の人々にとっての「幸せ」であり「今後の結婚生活への吉兆」であるとされているようだ。


もう間もなく、今日も婚礼を挙げる一族がやってくる。彼女が雨を降らせるのは、決まって彼らが境内をくぐる前後だ。「嫁入りの雨」を浴びた花嫁と花婿は幸せな家庭を築く、そんな伝承がここにはあるのだ。


人々の幸せな顔が見られれば良い、彼女は思う。

そもそも人に見られない存在である彼女に、結婚や幸せのことばは身に合わないのである。


さて、今日も花嫁一族と花婿一族が到着したようだ。彼女は腰を上げかけた。


「やっと見つけた」


そのときだった。彼が柔らかな笑顔を見せたのは。


「今日ね、兄さんの結婚式なんだ」

チャペルで挙げることだってできるけど、やっぱりここの神社がよかったんだってさ。

少年はただただ話す。まるで誰かがそばにいるかのような口ぶりで。

もしかしてここに他に人間がいるのやも、と彼女は辺りを見回すが、彼は「何きょろきょろしてるの、きみのことだよ」とさもおかしそうに笑った。

15,6ほどの少年だろうか。ひょろりとした体に、浮世離れしたような、ふわりと空を浮くような表情だ、と彼女は思う。


「きみのおかげなんでしょう」

「…なんの、ことだ」

やっとしゃべってくれた、と彼は顔をほころばせると、ことばを紡ぐ。

「きみがいつも雨を降らせてくれるから、村の人たちはみんな幸せな結婚式を挙げられるんだよ」

ありがとう、少年は笑った。


「おまえ、花婿の弟だと言うのなら、列に並ばなくていいのか」

「んん…なんか、面倒臭くて。それだったら、村の伝説の"おきつねさま"を探してみようと思ってね」

そしたら、きみに会えた。

雲間に差し込む光のようだ、と彼女は思った。


「ねえ、もうすぐ兄さんたち来るよ。雨、降らせないの?」

少年は顔を輝かせる。

「見せてほしいな、って言ったらばちが当たるかなあ」

「見たい、のか?」

ただ雨が降るだけだぞ、と彼女は目を丸くする。うん、見たいな、ひょろりと彼は笑った。

「待っていろ」

とうとう彼女は立ち上がって彼の頭をひと撫ですると、すっと目を閉じた。


雨の匂いが、ふわり。


光さす雲間と、雨。

ちぐはぐなようで、でもそんなところがきれいだ、と彼は思った。

秋の群青に浮かぶ雲がきれいで、そこから差し込む光がきれいで、降る雨はきらきらと光っていて。

だけどそれだけではない。

ただ黙って目を閉じ立つ彼女がきれいだ、と。


茂みの向こうで、驚きの歓声が上がる。

誰もが、兄と義姉の幸せを喜ぶ、そんなささやかながら幸せなひと時が訪れた。


やがて彼らは神楽殿に入り、滞りなく婚儀は始まったようだ。


「ありがとう」

少年はまた笑った。降り続く小雨で自身が濡れるのも構わずに、その雨粒さえも光に輝かせて。


「わたしはいつものことをしただけだ」

「うん、でも、ありがとう」

きれいだった、と感想をもらす。


「ねえ、おきつねさま」

きゅう、と彼は彼女の手を握った。その手のあたたかさと、対照的に自分の手の冷たさに思わず身じろぐ。

「僕の花嫁さんになってよ」

「…なにを、言う」

「ああでも僕はまだ16だから結婚できないな…じゃあ"ふり"でいいか、今だけは」

「そういう問題では」

彼はぺらぺらとことばを紡ぐ。

「おきつねさまも、幸せになろうよ。僕はきみと一緒なら幸せになれるよ」

「いや…」


そもそも彼女は見られない存在で、成長する彼らとは別次元の存在で、相入れることなどできもしなくて…。

そんな言い訳は浮かんでは消える。


–––おきつねさまも、幸せになろうよ。


そんなことばが頭をちらつく。

本来彼女に「婚儀」「生活の幸せ」はありえないものである。

それでも、いまだけ。いまだけでも、「幸せ」を感じてもいいだろうか。


偽りでもいい、花嫁に、なれるだろうか。


「なれるよ」

彼女の意を汲むように、彼は手を差し伸べた。

「花嫁さんは一人じゃなれないけど、花婿さんがいれば誰だってなれるよ。だから僕が花婿なんだから、きみだって花嫁だよ」

ね、雨が上がらないうちに、と彼は差し伸べた手を軽く振った。おいで、と言うように。


それならば、と彼女はそっとその手を差し出した。

ひと時の過ぎ去る幸せでも。

いつか、彼の他の人との幸せを願うときがくるとしても。


いまだけは、偽りでも彼の花嫁になりたい。彼女はそっと微笑んだ。






おまけの数年後。


「おまえはいい加減嫁を探さなくていいのか」

「だから、16のときから僕のお嫁さんはきみなんだけど?」

へらり、彼は笑う。

「親御殿が心配なさっているころだろう」

「いや、実は最近ようやく兄さん夫婦に子供が生まれてね。二人とも孫がかわいくて仕方がないから、大丈夫でしょ」

「…そういう問題ではないと思うのだが」

「とにかく、きみの心配することじゃありません。僕は幸せなんだから」

呆れた、と言いながら彼女は笑う。


素敵な花嫁を見つけたなあ、と微笑む彼は、きっとしばらくの間彼女の腕の中で、幸せを感じるのだろう。

そして彼を抱く彼女もまた、幸せを感じているのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ