夢の研究
N博士は夢の研究の第一人者で、助手と二人、ふかふかのベッドが用意された研究室で、夜な夜な夢現を行ったりきたりしていた。
「博士、どうでしたか」
「うーむ今回もダメだった。なにか根本的にやり方を変える必要があるかもしれない」
N博士の理論によると夢を見る行為は現実で起きる事象と等質であるというのだ。
博士はf-12の瓶に入った錠剤を取り出して飲んだ。
「もう少し夢の濃度をあげてみよう。F君、準備を頼む。」
「わかりました」
博士の体に吸盤が幾つも取り付けられた。吸盤から伸びるコードは助手の前にあるコンピューターと繋がっていて、博士の呼吸から胃の動きまでは一つとて漏らすことなく数値化されている。
「ではおやすみ」
強い催眠作用のある錠剤を飲んだ博士はころりと寝てしまった。リラックスするためか、部屋からはラベンダーの香りがしていた。
ぼんやりとした視界の中、博士はフラッシュの中たくさんの記者に囲まれていることに気がついた。どうやら研究が実った夢を見ているようだ。
「今回の研究結果から、理論的にいえば、人間が生きているうちに活動できる時間は飛躍的に延びます」
記者たちは目を丸くして驚いているようだった。
研究室に戻ると助手が待っていた。
「教授、お疲れさまでした」
「ああ、飲み物を持ってきてくれたまえ」
助手がお茶を沸かしに行った。ああ、どうやら私は少しばかり傲慢な人間になってしまったらしい。以前までは親しかった助手の返答も心なしか冷たい機械的なものに聞こえた。博士は茶葉の香りをひとしきり堪能したあとは、味わうこともなく飲み干した。
それにしても鮮明な夢だ。いつものような夢から覚めるような感覚もまだない。今回の収穫を早く助手に教えてやりたいのだが。
博士の願いを知ってか知らずか月日は流れ二十年後、博士は正に今息絶えようとしていた。
無機質な部屋にN博士と助手が居た。二人だけが部屋の堅い匂いを知っていた。
「最後に一つだけ頼みがある」
「なんでしょう」
「夢を見させてくれ」
「……分かりました」
助手はa-58の瓶を取り出し中の錠剤と水を渡した。
「ありがとう。今まで」
「とんでもありません」
「じゃあもういくよ、おやすみ」
「お疲れ様でした博士」
聞き慣れた声が聞こえる。
「博士。目覚めましたか。お久しぶりです」
「何を言うか。さっきまで一緒に居たじゃないか」
「博士からしたらそうかもしれませんね。ですが博士は15年もの間眠っていたのです」
「15年だと!?冗談はよしてくれ」
「博士は研究中の事故で昏睡状態に、意思を継いだ私が夢理論を提唱した。そういうことが世間に伝わっています。」
博士は改めて状況を頭の中で整理した。私が十五年も眠っていたとしてそれが真実か、妄言なのか。十五年の月日を経たという確たる証拠は……閃いた。
「しかし、私の体にはなんら変化はないように見える」
「夢を見ている間は老化現象は起きないというのが現在の定説です」
「現代ではそんな学説が生まれたか。さしてなぜ君も変わらず15年前と同じ姿なのだ?」
言葉に詰まった様子の助手に博士はたたみかける。
「なぜ君がそんな噓をついたのか。それは……」
真相に迫り真実が明らかになろうとしたとき私の視界はねじ曲げられ、暗転した。
視界がクリアになると博士は一人研究室に居た。
外に出た。何一つ変わらない景色の中、色彩だけが欠けていた。常連の喫茶店の店主も、胡散臭いコメンテーターも、不幸なサッカー選手も、幸せなふりをした高校生も、何もかもが抜けていた。
皆どこに行ってしまったのだろう。博士の体は息の止まった世界を歩く。
辿りきて断崖へ。博士は跳んだ。落下中、刹那、重力は反転し宇宙に向かって博士の体は落ちていった。ずーっと落ちていった。
博士が辿り着いたのは夢の星だった。
「皆ここにいたのか」
「やっと会えました博士、お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
その後私は夢の国でいつまでもいつまでも、終わることのない夢を見続けた?
疑問を感じた博士はまた何処かへ飛ばされる。
ここはどこだ。また別の場所へ飛ばされてしまったようだ。都会のようだが……またうろついてみるとしよう。通りに入ると小汚いホームレスと思われる男性数人が週刊誌を売っている。ん?よく見ると錠剤のような物も売っているようだ。まさか白昼堂々と違法薬物を売っているというのか!なんて夢の世界だ。博士は意を決して浮浪者たちに声をかけた。
「もしもし。あなたたちの売っているのはなんの錠剤ですか」
「これは先週発売の睡眠薬さ。お得だよ」
「睡眠薬?なぜ睡眠薬なんか売っているのですか」
「なぜって今の時代じゃ当たり前のことだろ。買わねーならどっか行っちまえ」
「では一つだけ貰います」
どうやら私の研究が世間に受け入れられたのかもしれない。
少し歩き疲れた。公園のベンチで少し寝よう。これも使ってみようか。
博士は深い眠りにつく。
「博士は罪深い人です」
「博士は皆に夢を与えた」
「皆は夢を願った」
「夢は今も夢のまま」
「涅槃寂静はこの世から消えた」
「夢現の境目はもはや消えた」
「色は――」
「博士、博士!」
私を呼ぶ声がする。どこか懐かしくどこか新しい声がする。
「私はどうしていた」
「二週間も目を覚まさなかったんですよ」
「F君」
「はい、博士」
「夢の研究はもうやめようと思う。私はきっとなにかに憑かれていたのだろう。F君。この技術は危険だ」
私は彼をなんとか説得した。最終的には私の話を全面的に信用してくれたようだった。
その後私は「ゆめのかたち」という評論を書き作家デビューすると作品はサントブーブ賞に入賞し、何ヶ国かで翻訳されて出版された。F君はというとまだ研究を続けていてあるプロジェクトのリーダーになったらしい。誇らしいことだ。
努々(ゆめゆめ)立ち止まる事なかれ。私は――それから?
新しい声がする。
「お久しぶりです博士」