2-12
奏人の頭の中では、走馬灯のようにあの頃の記憶が蘇ってきた。キャッチャーミットを見つめる。奏人はなぜ自分がキャッチャーミットをほしがっているのかを疑問に思い、その疑問にたどり着けるヒントを記憶の中に閉じ込めていたのかもしれない。奏人は、川野夏妃のキャッチャーになるために、城島健司のようなキャッチャーになりたかったのだ。
しかし、4年生、5年生となって気づいたことであるが、奏人は夏妃や世奈よりボールを捕るのが苦手で、足も遅く、お世辞にもソフトボールが上手いとは言えなかった。特に、少しバウンドが変わったゴロやフライは全く捕れず、練習試合にさえ、出られなくなっていった。そして、徐々に奏人は野球に対する自信を無くしてしまい、“自分は野球に向いていない”とまで考えるようになってしまった。そして、夏妃と約束した夢は、いつの間にか忘れてしまった。
「思い出した?」
「思い出したよ…」
お互い、奏人の家の前にあるベンチに並んで座っていたが、お互いの顔を見ずに、どちらも斜め下を向いて話していた。どちらともなく、顔を見るのを拒んでいたのかもしれない。
「手…痛い?大丈夫?」
「手…痛いかな…」
その時、夏妃が奏人の左手にそっと自分の右手を伸ばしてきた。そして夏妃は、奏人の手を広げた。そして、所々が赤くなった奏人の手を見つめて、「痛いよね…これは…大丈夫」と奏人に問いかけるのであった。
その時、奏人は自分の手を握る夏妃の顔を見つめた。その顔はとても心配そうな顔をしていて、いつも笑った時にできる笑窪が、今日は違った形で窪んでいた。
「夏妃、やっぱり優しいな…」
奏人がそう言うと、夏妃の顔が少し笑った。
「うそ…それ、奏人しか言わないよ」
奏人も、その夏妃の言葉を聞いて、笑顔になる。
「奏人は…野球したいの?」
「夏妃は、俺にしてほしい?野球…」
奏人がそう言うと、夏妃が握っていた奏人の右手を放した。そして、夏妃は立ち上がる。
「それ、うちが決めることじゃないよ」
「夏妃…ごめん…」
夏妃は、不機嫌そうな顔をしている。奏人は、自分の弱々しい姿を見せると、夏妃が不機嫌になることを知っていた。だから夏妃は、いつも自分が弱々しくなる野球をしてほしくないのだろうと奏人は考えていた。
「あんたさ…野球うまいらしいよ…さっき谷野っていう男が言ってたじゃん」
「お世辞じゃない?」
奏人がそう言うと、夏妃はため息をついた。
「あいつ、ふざけたやつだけど、嘘は言わないと思う。まだ知り合ってあんまり経ってないけど」
「そうなんだ…」
奏人は若干驚いていた。お世辞じゃなく“上手い”という表現をされると、それはそれで生まれて初めての体験だ。
「奏人はさ、肩は強いんだから…」
「うん…」
そう言った、夏妃を見ると、ついに互いの意目が合った。夏妃は、その時奏人の弱々しい表情を見たからだろうか、軽く舌打ちをした。
「野球したかったら、月曜日の放課後来いよ…」
夏妃の視線が、真っ直ぐ奏人を捉えていた。夏妃は、しばらく奏人を見つめた後、回れ右をして、自分の家に向かっていった。
その後奏人は、感じていた寒さも感じなくなり、しばらくの間夏妃が立ち去った後も玄関の前にたたずんでいた。




