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“今日こそマー君を打ってやる”そんなことを考えながら、世奈は今日もバットを握り、右の打席に立つ。想像の中の田中投手は、今日もノーワインドアップで投球モーションに入った。ストレートか、それともスプリットか、いや、インコースのツーシームか、いろいろな予測が頭をよぎる。“もうどうでもいい…来たボールをはじき返す!”田中投手の右手から放たれたボールは真っ直ぐの軌道だ。“もらった”そう思った瞬間、今度は手元で鋭く内側に食い込んできた。“えー…ツーシーム…”中途半端なスイングになってしまい空振り三振。
「もーう…現実のマー君はストレート勝負だもんね!」
そんなことを叫んでもしょうがないのだ。この田中投手を想像しているのは、世奈自身だから。
「誰を想像して素振りしてるんだ?」
その時、世奈が昨日よく聞いていた声がグラウンドの外から聞こえた。世奈がその声がした方向に振り向くと、谷野の姿があった。
「先輩!」
今日、一日中曇っていた世奈の表情もこの時ばかりは笑顔になった。
「マー君、田中将大投手を相手にして、シミュレーションをしていました」
「うん!いいピッチャーを想像して素振りをするのはいいことだと思うよ」
世奈は、谷野に褒められるとますます嬉しくなり、その場でバットを2、3回振った。
「先輩のおかげで大分スイングよくなりましたよ!先輩教え方上手いですね!」
「まあ、俺を指導してくれた、昔のここの監督が、きちがいだったけど教え方はうまかったからね」
世奈は、その話を聞いて少し笑ってしまった。
「きちがい?」
「うん、いきなり後方からダンベルが飛んでくるんだ。今だったら、体罰だよ」
世奈は、それを聞いて、今度は大きな声で笑った。
「世奈!誰この人?」
その時、またもやグラウンドの外から、世奈がよく聞き覚えのある声が聞こえた。世奈がその声の方向に振り返ると、そこの立っていたのは、仁科美南、辰見花帆、高嶋笑の3人だった。おそらく、また課題か何かができていなくて、すごく厳しい社会科の先生、池山高次に残されていたのだろう。
「美波、たつみん、ニコ…」
「世奈…誰この人…」
美南がつぶやくように、世奈に尋ねた。どうやら谷野に対してかなりの警戒心を感じているようだ。
しかし、谷野はそんなことおかまえなしに3人に近づいて行く。美波とたつみん、ニコの3人は若干後ずさりしていた。
「こんにちは!」
「こんにちはっていうか…18時過ぎてるのでこんばんは…」
ニコが的確なことを指摘する。
「こんばんはか!こらしっけ!」
谷野は、一呼吸おいて、こう答える。
「君たちの先輩、谷野隼介です!特技は野球!趣味野球!よろしくね!」
「世奈、気を付けた方がいいよ、なんか馴れ馴れしい」