1-13
「世奈…あんたバカ?」
「えっ…」
「男の子の力に勝てると思う?いくら私たちが練習しても、いくら私たちが、男の子より技術が上でも、体が違いすぎる。そんな男の子たちと一緒に野球して、普通に野球ができると思う」
「夏妃…」
それは、世奈が一番痛感しているところであった。しかし、だからこそ世奈は男の子には負けたくないと思い、今日まで1人しかいない練習に励んできたのだ。
「もういい…あんたがそんなに弱い奴だなんて思わなかった」
世奈のその言葉を聞いた夏妃は、再び壁に向かい、ボールを投げ始めた。サウスポーから投げ下ろされるストレートはしっかりとスピンが効いていて、まるで現ソフトバンクホークス監督の、工藤公康氏を彷彿とさせるものであった。
谷野は、夏妃のこの投球フォームを見た瞬間、背筋が凍る思いをした。こんな言い投げ方のピッチャーは、かつて谷野が対戦したプロ候補の人でもいなかった。
「ボールの伸びはいい、しかしコントロールがもったいない」
谷野は、そんなことを思っているうちに、投球練習を続ける夏妃に対して言葉をかけていた。
「えっ?」
夏妃は谷野の言葉を聞いて、練習する動作を止めた。とても驚いた様子であった。
「せっかく伸びのあるボールが投げれてるのに、リリースポイントがバラバラというか、全部高い。もう少し体の突込みを我慢してボールを少しでも前で放すようにしたら、コントロールはつくはず」
谷野は身振り手振りを加えて夏妃に指導をした。夏妃は谷野のその指導を聞かないというわけではなく、夏妃自身も気になっていたことであったので真剣なまなざしで聞いていた。
「ありがとうございます…やってみます…」
「夏妃ちゃん、君は野球が本当に好きなんだね」
夏妃は谷野のその言葉に頷いて答えた。
「なら、どうして、部活動で野球することをやめるの…?やっぱり、男の子に勝てないから?」
夏妃は、その谷野の問いかけに対して、いったん唾を喉の奥に飲み込んで答え始めた。
「もう、熊本にある、女子軟式野球の強豪チームに入ることにしたんです。ピッチャーしたいって言うたら、今度紅白戦で投げさせてくれるみたいだし…」
そう言った後、夏妃は世奈の方を向いてつづけた。
「熊本にあるから、母親と引越しすると思う。ごめんね世奈…」
夏妃はその言葉をふるえそうな声で出していた。世奈はそれに対して何も言わない。ただ、目が充血しているのが夏妃には確認できただろう。
「夏妃ちゃん…そっか、でも、野球をするなら、俺は中学校でやってほしいな」
夏妃は、谷野がそういうと、谷野の方を向いた。
「男の子と対等に出来るか出来ないか、なんてどうでもいいんじゃない」
「どいいうことですか?」
「俺は、君が諦めるか諦めないか、だと思うよ」
谷野がそう言っているすきに、夏妃は谷野の袖を引っ張っていた。
「谷野さん、行こう…もういいよこんなやつ」
「分かった…」
谷野がそう世奈の言葉に答えると、世奈と谷野は、夏妃に背を向け歩き始めた。谷野は二人のことが気になり、そっと顔を見ると、二人の眼には共通して、涙が流れていた。