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1-1

 足元が揺れるような声援と自分を失いそうな緊張感をイメージして、柚木世奈はバットをきつく、緩やかに握りしめた。右打席に立って、イメージするピッチャーはニューヨークヤンキースの田中将大。やっぱり、想像の中で相手になるピッチャーは最強でないといけない。

田中投手がゆっくりと足を上げると同時に、世奈も大きく足を上げた。自分は女。どう考えても、男の子の力には勝てない。だから、せめて少しでも強い打球を打つ工夫をしなくてはならない。

「小柄だから、少しでも遠くに飛ばす工夫を」

こんなことを言っていたのは、世奈の記憶が正しければ、プロ通算で400本以上のホームランを打った、小久保裕紀さん。世奈が一番憧れていたホームランアーチスト。

北九州市民球場で見た場外ホームランは、美しい放物線。打った時にバットを放り投げるカッコよさ。全てが世奈の憧れだった。

田中投手が、上げた足を踏み込ませると同時に手をトップに持っていく、相変わらずブレのないバランスのいいフォーム。そして一気に手を振ってボールが放たれた。

ストレートだ。今度こそもらった。そう思ってバットを振った時、真ん中付近に来ていたボールはいきなり消えた。

スプリットだ。三振。


「今日も打てなかったか―!」

世奈は大きな声で叫び、大きくため息をついた。毎日毎日、世奈が【試合シミュレーション】と名付けた練習で、想像しているピッチャーは田中投手なのに、一度も打ったことがない。

想像の中でも、田中投手はすごいピッチャーだ。いい練習になる。そう考えると、世奈はなぜか嬉しくなった。

「次は打ってやるからなー!マー君!」


「誰かいるって思ったら、やっぱり柚木さん。もう帰りなさい」

世奈が声のする方に振り向くと、そこには世奈の担任である、富岡友菜が立っていた。笑顔でこちらを見つめてる。それを見た世奈は、少し呆れているのかなと考えた。

「すみません!もうすぐ帰ります!」

「早く帰りなさい!今野球部は、あなたしかいないんだから。川野さんも、辰見さんも、仁科さんも、高嶋さんも、あなたたちの友達はみんな来なくなったんでしょ」

世奈は、富岡のその言葉に黙ってうなずくしかなかった。

「じゃあね、柚木さん!さようなら!」

「さようなら…先生」


 世奈は少しうつむき加減でバットをケースにしまいだした。

 世奈が野球を始めたのは、小学生の時。その少年野球クラブには、女の子が世奈を含めて5人いた。その5人の女の子は、チームメイトの男の子よりも数倍練習し、みんなレギュラーをつかんだ。

 「女の子が野球をしたら危ない」周りからそんなことを何度も言われて、男の子には絶対に負けたくなかったのだ。

 そして、5人とも仲良しになり、一つの約束を交わした。

“中学校の部活動でも一緒に野球をする”


その約束を胸に、5人は北九州市立高山田中学校に入学して、野球部に入ろうとした。しかし、すでに高山田中学校の野球部は、部員が3年生の3人しかおらず、試合をできる状態ではなかった。

世奈以外の5人は、しばらく練習には出てきていたが、一人、また一人と練習に来なくなった。そして、世奈一人が野球部に残った。そして、年が明けて1年生の3学期になってしまった。

事実上は廃部だが、世奈は悪あがきのつもりでくらいついていた。それには理由があった。

世奈の祖父は、野球で甲子園を目指していたが、戦争の激化に伴い野球ができる状態ではなくなった。学徒出陣で特別攻撃隊行き、出撃3日前に8月15日を迎えた。

祖父が野球したくともできなかったことを聞かされた世奈の母も、父の分まで野球をしようと考えた。しかし、母は女と言う理由から、野球をすることができなかった。

それから時代が経ち、“野球は男の子のスポーツ”という言葉は、徐々に言われなくなっていった。女の子でも普通に野球ができる時代になった。だから、世奈は何としてでも野球をしたかったのだ。


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