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それは、甘く密やかな部屋

作者: たかはし 葵

趣旨に沿っていると良いのですが……。

蒲公英さま主催「ひとまく企画」参加作品です。

「さあ、きみと今から内緒の話をしようか」



 遮光ではない、けれど適度な厚みのあるクリーム色のカーテンを引き、彼が更なる密室を作り上げる。外は太陽が沈む時間にはまだ早い、それは我が家にいればちょっと遅めのおやつの時間。今日のおやつはココア味のパンケーキだったはず。早く帰らなきゃ。だけど、まだ、あともう少しだけこのままでーーーー。






「君嶋くん、今学期で転校しちゃうって、やっぱり本当だったんだね」私と仲良しでアルトパートの美少女、紫乃しのちゃんが私に耳打ちする。ここ何日か考えないようにしてた大事なことを思い出してしまった私は、楽譜を鞄に仕舞う手を止めた。


「うん、そうみたいね」上手く笑ったつもりでいるけれど、ここ最近、できれば忘れていたいことをこうして一日に何度思い出させられているだろう。押し寄せる寂しさに浮かんだ涙をその都度堪え、歯を食いしばったら鼻の奥がツンと痛くなる。


 テスト最終日のいつもより早い放課後、二時間ほど早く繰り上げて部活を終えた音楽室は既に人もまばらだった。帰り支度に忙しい同級生たちはたとえ涙目の私を見かけても、せいぜいあくびでもしてたんでしょ、くらいにしか思っていないんだろう。私を気遣う人は誰ひとりいない。






 私が小四の時に同じ小学校に転校してきた“君嶋くん”は、自己紹介でお父さんが転勤族なんだって言っていた。だから、この土地にもきっと長くは居られないだろうって。

 転校早々から明るくて賢くて、女の子みたいに可愛い顔立ちの彼は、何度も転校を繰り返してきた人間ならではの立ち回りで、たちまち人気者になっていた。

 私は、そんな君嶋くんを尊敬の眼差しで見ていたけれど、同じクラスとはいえ、引っ込み思案で目立つことが苦手な大人しいといわれる自分にその視線は向けられることなどないのだろうと思っていた。逆に見られたりしたらドキドキしてしまうから、そのくらいで丁度よかった。



 一学期の終わり頃、学校帰りにピアノ教室に寄ることになっていた私の教本をたまたま彼に見られ「懐かしいな。俺も同じ本だったんだよ」と話しかけられたのがきっかけだったかもしれない。それから音楽をはじめとするいくつもの共通の話題で私達は仲良くなり、目立たなかったはずの私は、いつの間にか後期の委員会で、彼と二人、音楽委員に任命されていた。そうして転校生である彼に遅れをとりながら、私はようやくクラスの中に溶け込むことができていた。

 それからのち、私は教室で俯いていることは今は殆どなくなり、友達も前より増えた。


 私達は同じピアノ曲が好きで、感性も似ていた。ピアノ曲だけじゃない、二人で目にする絵や風景、綺麗なものを同じように“綺麗だね”と言い、笑い合える日々は全てがキラキラと輝いていた。私をもっとクラスに溶け込ませようと引っ張り上げるその力は時に強すぎて怖かったけれど、一緒にいたら何でも出来るような気がした。

 けれど同じクラスになったのはその一年間だけ。五年生、六年生、そして中学生になってもとうとう同じクラスになることはなかった。私だけかもしれないけれど、それはとても寂しいことだった。




 あくまでも推測だけれど、父親がこの地で管理職にでもなっていたのだろうか。転勤族としては珍しく、長くこの地にいた彼はその後高校受験の頃になっても転校の噂もなく、結局地元の公立高校を受験することになったようだった。

 大学進学に有利な学校ということで私も同じ高校を受験した。常に彼を目指して勉強していたお陰でなんとか同じ高校に合格することが出来たけれど、理系クラスの彼と文系クラスの私とでは、最初から同じクラスになどなれない事は分かっていた。それでも“校舎のどこかに彼が居る”と思えることが、何故かほんのりと嬉しかった。


 入学後、しくも同じ部活である合唱部に入れたというのに、会えずにいる内にいつの間にか二人は話すことも無くなっていた。少しだけ大人になった私達はいつもどこかよそよそしくて、ごくたまにすれ違うことがあったとしても、肩が触れ合う事さえ恥ずかしいと思うようになっていた。なのに。





『部活の後、そのまま音楽室にいて』


 一言だけ書かれた付箋の角が、制服のプリーツスカートのポケットの中で歩く度にちくちくと太腿を刺激する。まるで“忘れないで”とでも言うように。


 年度末のテスト最終日のその日、部活が始まる直前、前から歩いて来た彼にさりげなく手渡されたのは、正方形の付箋を二つ折りにしたものだった。落とさないように、そして他人に見られないようにと咄嗟に握りこんだら、付箋は意外に硬く、手のひらが痛いほどだった。

 部室の隅、震える手で開いたら昔と殆ど変わらない、几帳面な懐かしい文字。けれどその内容には全く心当たりがない。彼の意図が見えないまま、上の空でいくつもの歌をただ歌い続けた。





「転校先の学校にも合唱部があればいいんですけど」

「いや、あったとしてもうちの合唱部は弱小だからコンクールでもほぼ会えないんだろうな。まぁ、たまには遊びに来いよ」

「そうですね。出来れば」



 部活が終わり、先輩に挨拶する彼をぼんやりと見ていた。

 何事もなく進級していたら、きっとソロパートを歌っていただろう綺麗なテノール。彼は、話す声もうっとりする程柔らかく、歌うように優しい。



「ねぇ、君嶋くんてピアノも上手かったよね。お別れの記念に何か弾いてよ」



 二年生の女子の先輩が彼に声を掛ける。彼は時折伴奏も買って出ていたくらいだったから、さして困った顔もせず「いいですよ。一曲だけなら」とピアノの前に座った。


 それは、エルガー作曲の『愛の挨拶』。彼が弾き始めると、さすがは合唱部員というべきか、多少はクラシックにも詳しいのだろう一部の女子がきゃあっ、と小さく歓声を上げた。

 恋人に話しかけるような、明るくて可愛い曲。勿論、私だって知っている。



 彼は最後までそつなく弾き終えると「もう下校の時間ですから」と笑いながら、そっとピアノの蓋を閉めた。

 離れたところで聴いていた先輩たちに「いやー、ここでショパンの『別れの曲』とかだったら私、泣いてたよ」「ねー」なんて口々に言われてるところを見ると、学年を問わず彼のことを好ましく思っていた女子は多かったんだろうな、なんてことを今更のように思う。そう、彼は高校生になってもやっぱりどこでも中心人物で、人気者だったんだ。


 部活では同じ方面に一緒に帰る子のいない私は、時間をかけて丁寧に楽譜を鞄にしまいながら、ポケットの外側からそっと付箋に触れていた。

 そろそろ全ての部員がいなくなる。彼と、私だけを残して。






「坂倉さん、残っててくれてありがとう」

「………ううん」



 私に声を掛けながら、第二音楽室のドアの鍵を閉める彼が不思議だった。ここの鍵は、常に開け放したままでよかったはず。しかも内鍵を掛けるって、どうして。



「あの………?」



 私の声は聞こえていないのだろうか。次に向かった南側の大きなガラス窓で、シャッ、とクリーム色のカーテンが全て閉じられ、ゆっくりと君嶋くんは私を振り向く。



「さあ、きみと今から内緒の話をしようか」

「君嶋くん………?」



 微笑む彼が少し怖い。もしも、もしもだけど、ここから帰れなかったりなんかしたらどうしよう。

 彼は決して悪いことをする人じゃないはず。でも。



「クラスも違うしお互いに勉強も忙しい。転校話こんなことでも無ければ、もう暫くは見ているだけで良かったんだけど」



 静かに話し始めた彼は、ピアノの椅子に横向きに腰掛けて私を手招きする。少しの警戒心はあるものの、私は引き寄せられるように彼の元に近付いた。初めて見下ろす彼の髪は僅かに色素が薄い。



「………のぞみ。ーーーいつかそう呼びたいって思ってた」

「………え?」



 私の両手を取り、不安げに私を見上げる彼の瞳の色を覗いた。その中に真実ほんとうを探して。



「転校してきた時から、きみが好きだよ」

「………君嶋くん?」



 嘘だ。


 いつでもみんなの真ん中で笑っていた人が、私なんて。

 だって、私は顔立ちも存在も目立たないし、ピアノも特別上手なわけじゃない。歌だってまだまだ練習不足だし、引退した先輩みたいに綺麗な声を持ってるわけでもないし、勉強だって。何ひとつ、誇れるものなど持っていない。



「再来年、こっちの大学を受験する。合格したら親戚の家に下宿してでもこっちに帰ってくる予定。……これ、まだみんなには内緒ね」

「どうして、私………?いつから………」



 言ってることが我ながら支離滅裂気味だ。足りない言葉を目で同時に問いかけると、少し力を込めて握った私の両手の上に、ぽつりぽつりと彼の声が降る。



「うん。小学生の時から一緒にいるとなんか落ち着くっていうか。これからも、きみの一番近くで同じものを見ていたいと思ったんだ。………それにしても参ったよ、あれから見事にことごとく違うクラスだったもんな。好きになったキッカケ?……そうだな、僕と話すようになって、それまで下ばっかり見ていたけど前を向くようになったら、本当はすごく綺麗な希のそのを他の誰かが見るのが腹立たしくてさ。それで、自覚した」



 “クラスが違っても、ずっと見てたよ”ほんのり赤い顔をして真面目な顔で。私から目線を外さない彼に言葉が出ない。



「………希は?」



 問いかけられて、“憧れ”だけだったはずの気持ちが、突然“恋”という未知のものになる。目の前がクラクラして、私が急速に“恋”に落ちていく。


 ーーー仮入部の時、お互いの姿を見つけて先に入部したのは、どっちだった?あの時より前にはもう、とうに“恋”になっていた?何年もの間、廊下ですれ違う度にドキドキしていたのも、“恋”だったの?


 寂しい。

 彼がここからいなくなるなんて、考えたことも無かったのに。違う、考えたくなかったんだ。

 まだ自覚したばかりなのに。

 大好きなのに。



「…………かないで」

「え」

「君嶋くん、行っちゃ嫌……!」

「ーーー希」



 立ち上がった彼に、そっと抱き寄せられていた。壊れものに触れるように、そっと、そっと。



「大学からこっちにいられるなら、ずっとここにいて。同じクラスじゃなくてもいいの。学校のどこかに居てくれるだけでいいのに」

「うん、ごめん。まだ子供だからさ、一旦は親に付いていくしかないんだよ」



 静かに謝ってくれる彼を前に、私の方はまだ肝心な言葉をひとつも伝えていないくせにもう我儘になっている。泣くなんて卑怯だ。

 のぞみ、ここは我慢するところだよ。



 その時、校内に完全下校を促す放送部員のアナウンスと、ドボルザーク作曲の『家路』が響き始めた。その音の意外な大きさに驚いて反動で顔をあげたら堪えていた涙が一粒だけ、二人の間の床に零れ落ちた。

 誰よ、スピーカーの音量をこんなに大きく設定したのは。



「………帰る。玄関、閉められちゃうから」

「ーーー待って、最後に僕の名前を呼んで。一度でも呼べたらここから帰してあげるよ。……そうだな、出来れば呼び捨てで」



 我に返った私に、彼は少し屈んで耳元に唇を寄せ、暗示をかけるように囁いた。


 正面玄関の鍵は間もなく掛けられる。校舎はこの中に閉じ込められる前に、この手をほどいて階段を降りなきゃ。でも、今逃げたらこの恋が終わってしまうかもしれない。


 いつの間にか私よりも遙かに背が高くなっていた彼を見上げる。そう、人の目を見て話せるようになったのは、あなたが私を引っ張り上げてくれたから。そんなあなたを、きっと私も同じ時から。



「ーーーかなう。私も、好き」



 小さな声で呟くと、目の前の彼がほんの少し目を細めて眩しそうな顔をする。



「ありがとう。これでやっと行ける」



 強く抱きしめられて、すぐにその腕は緩んだ。額に柔らかい唇を感じて慌てて目を閉じたら、瞼にも。“好き”という気持ちと、再来年までの“約束”を私の中に封印するように。




 ーーーああ、もうすぐ曲が終わる。

 そろそろ全ての玄関が施錠されている頃。


 今この場所から、仲良しの紫乃ちゃんにも、誰にも内緒の恋が始まる。次に逢える時まで、今よりもっと膨らんだ想いと、沢山の寂しさを抱えて。



 けれど今はまだ、もう少しだけこのままで。





「あの時のエルガーの曲?もちろんのぞみに贈ったつもりだよ、当たり前でしょ。大体、もう好きになった時から“俺達が出会ったのは運命だ”って思ってたし。だって名前を見たら分かるじゃん。“のぞみ、かなう”ってね」

「いやぁっ、かなうが“俺”って言ってる!しかも勝手に大人っぽくなっちゃってて、なんかズルい!!」

「“ズルい”って希ちゃん……。そんなことより感動の再会なんだから、とりあえずキスでもしようか」

「ダメっ!ま、まだ再会したばっかりなのに何言っちゃってるの?!無理だから。絶対無理だから!」

「わかったわかった。じゃあハグで♪ほら希、こっちにおいで。大学の合格祝い、ちょうだい」

「ねぇっ、やっぱり転校先で人格が変わったんじゃないの?!」

「えー(´・ω・`)」





 ーーー二年後に、同じ場所で。誰にも内緒で、二人だけで逢いましょう。


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