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97.エリューシア・ミゲール・ロー・エンディミオン

 植木鉢に水をやっているところに、アザゼルがやってきた。

「何を植えているのだ?」

「豆です。月香にもらった土と肥料を試したいからと、兄が育て始めて」

 空になった如雨露を持って、アンジュは窓から部屋の中に入った。ベランダは南に面しているが、そもそも曇っているからあまり意味がない。

 この国は、いつもそうだ。

「ルカは留守か?」

「領地に戻っています。害虫が大量発生したとかで……。やはり月香に調べてもらった駆除の薬を試すのだと、張り切っていました」

 近年見たことがないほど顔を輝かせていたルカを思い出して、アンジュは小さく笑った。

「月香のことだが」

 アンジュが窓を閉めるのと同時に、アザゼルは切り出した。

「しばらく、休養をとるというお話でしたね」

「うむ。明日には休みが明けるのだが、その前に私からも話しておこうと思ってな」

 アンジュは、如雨露を床に置いた。

 そのまま、じっと視線を注ぐ。

「月香は、もうここには来ないだろう」

 床に落ちる如雨露の儚い影が、淡く揺らいだ。

 呼気ですら揺らいでしまいそうで、アンジュは息を止める。

「……経緯を、伺っても?」

 やがて息苦しくなって、言葉とともに吐き出す。

 影は、消えていた。

「エリューシアが、月香を見つけ出した」

 答えは、簡潔だった。

 そこに込められた意味を考えようとして、やめる。詮無いことだ。

 月香は、その事実で気持ちを動かした。

 それだけが、すべて。そういうことだ。

 のろのろと立ち上がり、アンジュはようやくアザゼルへ目を向けた。麗人は身を屈めて、床に散乱していた紙を拾い集めていた。

「ヘッダー、フッダー、ページ番号も完璧だ。さすが月香だな」

 彼女が作ってきてくれた、資料。綺麗にまとめてあったのに、兄は調べ物となると夢中で綴じを解いてしまったのだ。

「月香は律儀だから、休みが明けてから自分で話に来るだろう。翌日からどうするかは、もう決めてあるだろうな」

 紙をまとめて、アザゼルはテーブルの上でとんとんと揃える。

「お前はどうする?」

「え?」

 思いもしなかった問いだった。

「どうする、とは?」

「したことの責任をとらず、このままずっと半端でいるつもりか?」

 一瞬、耳が聞こえなくなった。

 目も、見えなくなった。

 言葉に、貫かれて。

「王族の暗殺未遂、その他諸々。お前は他国の情勢を混乱に陥れようとした。どんな事情があっても、それは事実だ」

 事情。

 今となっては、言い訳にするにも陳腐な過去。

 呻きが、喉の奥で燻った。

 項垂れるアンジュの前に、アザゼルが立つ。

「エリューシアと華乃子なら、話を聞く耳と公正な判断力がある。まずは、会ってみることだ」

 会って。

 そのあとは。

「そのあとどうするかは、彼らとお前が決めることだ」

 指先から、温度が消えていくのがわかった。

 責任。

 その意味するところが、やっとはっきりとした形をとる。

 王族に危害を加えようとした。一国を危機に晒そうとした。幼子でも、それに見合う罰がどのようなものかはわかる。

 華乃子がいくら聡明であろうとも。エリューシアが、いかに寛容であろうとも。

「私は……」

 暗く沈む意識の中に、真っ先に浮かんだのはルカの面影だった。

 ただ一人の肉親。彼は悲しむだろう。幾重にも。

 そもそも逃げてきたのも、彼のためだった。ここにいるのも。月香を、拐かしたのも。

 ルカは。

 ルカ、には。

「知られたくない……!」

 苦しめたくない。

「落ち着け」

 玲瓏たる声が響いたのは、その時だった。

「アザゼルの言う通り。決めるのは私と皇太后、そしてお前だ」

 この、声。

 まさか。

 顔を上げた先に、大きく開かれた扉があった。間違いなくこの部屋のもののはずなのに、まったく違う場所へと繋がっている扉が。

「事務所からここへ繋げたのか?」

 アザゼルが苦笑する。

「この間、月香と偶然会って思いついた。お前が出入りしたあとについてくればここへ来られるだろうと思ったのだが、予想通りで助かった」

 扉から、入ってくる。一歩。二歩。

 同じだけ後ずさったアンジュは、ソファーに躓いて倒れた。

「どうして……」

 喘ぐ問いは、辛うじて形となる。

「どうして、あなたがここに」

 とても間の抜けた問いかけに。

「会わなければならないと思ったからだ」

 曇天の弱い光のためか、その髪はいささかくすんで見えた。記憶にある限りでは、とても美しい金髪だったはずなのに。

 だが、緑色の瞳の輝きは、恐ろしいほど鮮烈だ。

「申し開きを聞く用意はある。いや、是非とも語っていただきたい。アンジュレイン・ジード・フラウ・ザークレイデス皇子、貴殿の真意を」

 夢や幻と断じるのが不可能なほどの強さで、エンディミオン王国第一王子は間違いなくアンジュの名を呼んだ。

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