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95.くすんだ色

 レナードは絶句して、扉から入ってきた従兄弟をただ凝視することしかできなかった。

「どうした? ……ああ、これか?」

 後ろ手に扉を閉めながら、エリューシアはもう片方の手で自分の髪を摘んでみせる。

 栗色。美しく輝く金色だったはずなのに。

「洗ってもなかなか落ちないな。だいぶ薄くはなったんだが」

「お兄様、髪をどうなさったの?」

 アステルも気づいて、椅子から立ち上がりレナード達のそばへやってきた。

「こっちじゃ金髪が目立つからと思って、染めたんだ」

「確かに。とにかく、立ち話では落ち着きませんわ。どうぞお座りになって」

 レナードは反射的に兄妹に従って席に着いたが、視線をどうしてもエリューシアの髪から引きはがすことができなかった。

 太陽の光を反射して眩しい、金色。

 くすんでしまっている。

 ふさわしくない。

「それで、いかがでしたの? ザークレイデスの市中は」

「あまり見て回れなかった。昨日、情報を集めていたら、兵士に怪しまれて」

 レナードは、思わず手を伸ばしてエリューシアの腕をつかんでいた。

「レナード?」

「大丈夫だったのか?」

「ああ、この通りな」

 エリューシアは、肩をすくめた。そのまま手を繋ぎ合わせても、ふりほどかれない。

 レナードは安堵して、触れ合う指先にまで力を込めた。

「まあ、お兄様ったら」

「それで、扉を繋げたら……」

 エリューシアは、ことの顛末を苦笑混じりに話してくれた。アステルは話の節目に適当な相づちを打ち、最後には笑いだした。

「本当に、私達のうちの誰も思いつかないなんて。琴音くらいは考えつきそうでしたのに」

 月香と偶然異世界で再会した顛末は、確かに滑稽だった。なぜザークレイデスにこだわり続ける必要があったのかと思うが、それは今だから言えることだ。

「琴音は日常的に行き来しているから、逆に思いつかなかったんだろう。とにかく、目的は果たせた」

 聡明な従兄弟は、些細な失敗よりも得られた結果を尊ぶ。レナードの視線に気づくと、彼は振り向いて小さく笑った。

「そういうわけだ。もう二人ともここにいる理由はなくなったが、どうする?」

 レナードは、考えるより先にアステルに視線をやった。自分は彼女の付き添い。決定権はない。

 アステルはレナードに頷き、口を開いた。

「お兄様も、街中でお聞きになったでしょう。皇子達が皇太子の座を巡って、小競り合いをしておいでですの」

「ああ。第一皇子ノートリアと第二皇子カレイドが特にあからさまで、第三皇子は今のところ表だった動きはしていないようだな」

「ええ、そしてファサールカ皇子……今は大公ですが、民からの信頼が厚くて、ことによっては皇位継承も有り得るらしいとのことですわ」

「一度身分を捨てたのに?」

「ザークレイデスは特別なんですわね」

 エンディミオンでは、一度王族からはずれた場合にはそれまでの身分で得られた権利、場合によっては財産の一部などはすべて王室へ返上する。公式の場では、血の繋がった王家家族親族に対しても他者として接し、臣下としての振る舞いを求められる。

「そう考えれば、ファサールカは相当の傑物ということか。上の皇子二人にとっては邪魔な存在だな」

「そうですわね。昨日お会いして王立研究院を案内していただいたのですが、とても温厚で学識の確かな方でしたわ」

 エリューシアは少し考える素振りを見せたが、未だにレナードと繋いだままだった手に気づくと苦笑した。すぐにレナードは手を離す。

「お前はどう思った?」

 何事もなかったかのように問われて、レナードもまたごく当たり前の口調で答えた。

「アステルと同意見だ。だが、やはり油断ならないことに変わりはない」

 人当たりよく振る舞っていても、思っていることを表に出さない。つかみ所のない人物という印象が強い。アンジュレイン皇子と繋がりがあり仮に彼を匿っていたとしても、決して容易には尻尾を掴ませないだろう。

「動かぬ証拠を押さえられればいいが、無理だろうな」

「なるほど。……アステル、エンディミオンへ戻るのは三日後だな?」

「はい」

「それまで大人しくしておけ。もう目的は済んだから、最低限のことだけしていればいい」

 最低限のこと。例えば社交のちょっとした催しに参加することや、私的な交流だ。それくらいはしておかなければわざわざ他国を訪問した王族として不自然だし、礼を失する。そんな些細なことを持ち出して問題としてくるのも、外交としては初歩の手段だ。付け入られる隙を作ってはいけない。

「体調を崩したことにして、早く帰りたいくらいですわ」

 アステルは溜息をついて、立ち上がった。

「お兄様、レナード様。疲れたのでお先に失礼させていただきますわね」

「ああ。ゆっくり休め」

「お休み」

 侍女を伴って寝室へ下がっていくアステルの背中を、エリューシアは眉を潜めて見守っていた。

「何かあったのか?」

「いや、特に。ただ彼女にとっては初めての外交訪問だ。疲れが出てきているのは事実だろう」

 ただの表敬目的ではなく、アンジュレイン皇子の動向を探ることと月香の捜索も兼ねていたのだ。気疲れしても無理はない。

「そうだな。お前から見てアステルはどうだ?」

「さすが、皇太后陛下のお血筋だな。堂々としたものだ。ただ、今はまだ未熟な部分も多い」

 ヴィラニカ皇子との初対面で、アンジュレインの名前に不用意に反応を示してしまった。

 ファサールカ皇子の時も、感情を表に出してしまっていた。

 過ぎたことはどうしようもないが、あの二人がそこにつけ込んできたら何かしらの不都合が起きるのは間違いない。

「その辺りは、経験を積むしかないだろう。本人もわかっているようだ」

 エリューシアは、こともなげに言った。

 彼が初めて異国に足を踏み入れたのは、確か十四歳のことだった。レナードも父の公爵についてその場に同行していた。

「お前は、最初からとても立派だった」

 改めて思い出すと、気持ちが高揚する。あのころと同じに。

「初めてとは思えないほど、立ち振る舞いに威厳があった。誰とでも胸を張って応対し、決して間違った言動は取らなかった」

「……それは違う」

 甘美な回想を破ったのは、他でもないエリューシアの躊躇いがちな反論だった。

「あのとき、調子に乗ってとんでもない失態を犯したんだ。祖母がうまくまとめてくれたからよかったようなものの、関税の問題で我が国に不利な条約を結ばされてもおかしくなかったんだ」

 レナードは、じっとエリューシアを見つめた。

 そしてしばらくの沈黙を経て、ゆったりと微笑む。

「お前は謙虚だ」

「違う、事実だ」

 エリューシアは、いつもそうだ。己に厳しく、向上心と克己心に富んでいて、些細な失敗に対しても決して自分を甘やかさない。

 それに、優しい。

 月香のために、危険を冒して。

「お前のような主ならば、仕える私達も幸せだ」

「レナード?」

「部下のために、単身で乗り込んでくれるような主だから」

 レナードは、椅子から降りて膝をついた。エリューシアの手を両手ですくい、額に押し頂く。

 自分の忠誠は、彼のものだ。

「だが、今回のことは……私に非がある」

 そのままの姿勢で、レナードは目を伏せた。

 元はと言えば、月香が攫われたのは自分のせいだ。

 彼女が拐かされなければ、エリューシアを危険な目に遭わせずに済んだ。

「私のせいで、エリューシアがこんなことをする羽目に」

「レナード」

「王位継承者が、敵国に乗り込んで部下一人のために兵士に追い回されるなど」

 そばにいたかった。そばにいれば、守ることができた。あとで話を聞いて、ぞっと背筋が冷える思いをしなくて済んだ。

「それはいいんだ。覚悟の上だったし、逃げる手筈だけは整えておいたから」

「結果論だ。もう二度と、こんなことはさせない。部下はいくらでもいるが、エリューシアは一人だ」

 ぎゅ、と手を握る。強く。

 なのにその手は、次の瞬間逃げるそぶりを見せた。

「いくらでもいるなんていうな」

 低い声。

 驚いてレナードが顔を上げた先に、険しい光を灯した緑の瞳があった。

「部下達は、一人一人がかけがえのない存在だ。私の代わりなど、それこそいくらでもいるだろう。大伯父上などは喉から手が出るほど欲しがっている」

「無理だ」

 あんな老いぼれに、務まるはずがない。いや、喩え神であっても、エリューシアに取って代わることなどできはしない。

「無二というなら、月香や琴音だ。巫女姫の力は、世界を守る大切なものだ」

 確かにそれはそうだ。しかし、レナードにとってはどうでもいい。世界など、守る意思と力がある者が勝手に守ればいいのだ。

 エリューシアは、なおもレナードから手を取り返そうとしている。レナードはもちろん、力を緩めない。

「レナード、痛い。放せ」

 抗議の言葉で、少しだけ指から力を抜く。だが従いはせず、握りしめたままじっともがく手を見つめた。

 美しい。長い指、艶やかに整えられた爪。

 一国を担う手だ。

「もう帰るから、放せって。おい、聞いてるのか?」

 他の何者にも患わされることなく、何者にも傷つけられることなく。

 この人は、あるべきだ。

 あらねばならない。

「レナード!」

 肩に、衝撃があった。視界が傾いだことよりも、レナードは手の中から致命的なものが失われていく感覚に目を見開いた。

「お前、おかしいぞ」

 呼吸を荒げて、エリューシアは言った。踵を、返して。

 レナードに背を向けて。

「もう戻る。お前も休めよ。疲れてるんだ」

「……エリューシア」

 行ってしまう。久しぶりに会えたのに。

 見えない。顔が。

 くすんだ醜い髪色しか、見えない。

「エリューシア、待ってくれ」

 追いすがろうと、手を伸ばした。しかし、振り返らないまま従兄弟は足早に部屋の扉を目指し、すぐに固い鍵の音が聞こえた。

 扉が開く。見覚えのある、彼の部屋の光景が現れる。

「エリューシア」

「おやすみ」

 短い言葉は、完全なる拒絶。

 扉が、閉まる。

 レナードはあわててもう一度それを押し開けたが、真っ暗な廊下しかそこにはない。傍らに立っていたザークレイデスの衛兵が、驚いた顔で振り返っていた。

 見えなかった。顔が。

 くすんだ髪の色しか。

 目立たないよう鳶色に染めたという。何のために。

 市井に紛れるため。

 ザークレイデスの市街で、行動するため。

 ――そうして、月香を探すため。

 歯ぎしりは、恐らく乱暴に閉ざした扉の音が掻き消してくれただろう。

 幼い頃から、何もかもよく知っていた。ずっと、ともにいたから。

 こんなことは、今までなかった。

 彼が、自分を置き去りにすることなど。

 いつから、変わった。

 誰が、変えた。

 くすんだ、髪。

 あんな、色に。

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