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9.遅れてきた遣い

 四頭立ての大きな馬車が、茫然とする二人と幼児をめがけて駆けてきたのは、火柱が上がって程なくしてのことだった。

「何でしょう、あの馬車……」

「迎えじゃないの?」

 月香はいいながら立ち上がり、地面に接していた面を内側にしてハンカチを畳んだ。バッグの外ポケットにそれをしまい、ちょうど目の前に止まった馬車の戸が開いて、中から人が出てくるのを見守る。

「うわあ!」

 素っ頓狂な声を上げたのは、隣にいた琴音だった。

 月香はそれをやや冷ややかに横目にしながら、きっと彼女が叫ばなかったら自分がそうしていただろうなとも思う。

 馬車から出てきたのは、すごい美青年だった。

「遅れて申し訳ありません。ええと……あなた方が、異なる世界からやってきたという――」

「はい! そうですっ!」

 顔を真っ赤にした琴音が、ひっくり返った変な声で答える。その腕の中で、幼児が苦しそうにもがいているので月香はあわてて子供を彼女から奪い取った。

 舞い上がりすぎて、腕に力が入っていたらしい。苦しかっただろうに、幼児は泣きもぐずりもせず、月香の胸にことんと頭をもたせかけてくる。

 おとなしいいい子だ。思わず顔が緩む。

「おかしな火柱が上がったので、もしやと思って」

 子供のかわいらしさに癒されていた月香には構わず、青年はそんなことを言っていた。子供から視線を移すと、琴音はあからさまに頬を引き攣らせていた。

 まあ、火事にならずにすんでよかった。あと目印になったようだし。

「ところで……あなたは?」

 琴音がかたまってしまったので、月香はさっきから気になっていたことを尋ねる。青年は、ふと顔を動かし、月香を真っ直ぐ見返してきた。

 青い、目。軽く見開かれているのはなぜだろう。けれどそこから窺えるのは何よりも、知性と落ち着きだった。年齢は月香と同じくらいか、もしかしたら少し年上か、年下かもしれない。二十代の前半から半ばといったところだ。

「失礼いたしました。私は、エンディミオン王国の神官で、アンジュレインと申します。神官長様の予言により、お二人が今日世界の壁を越えていらっしゃると知り、お迎えに上がりました」

 神官長。

 予言。

 そんな単語が続くと、彼が――彼の背後にいる王国というのが、月香達にどういう役割を期待しているのか、推測できるというものだ。

「もしかして、私達は伝説の勇者だか巫女だかとか言われてたり?」

「え? ええ……そうです。どうしてそれを?」

 冗談のつもりで言ってみたら、マジレスされた。

 月香は脱力感を覚えたが、それならそれでやる事はかえってわかりやすいかもしれないと頭を切り換える。

 そう、恐らく自分達の『仕事』というのは。

「私達は王国を守るとか、そういう仕事をすればいいんですね? アンジュレインさん」

 仕事、という単語で我に返ったのか、琴音がはっと月香に視線を向けてくる。月香は腕の中の子供を抱き直し、若き神官の返答を待った。

 果たして、彼は。

「はい、その通りです。さすがは異世界の巫女姫」

 どこぞの乙女ゲーヒロインの肩書きにでもなりそうな、そんなこっぱずかしい呼び名をいともたやすく口にした。

「私のことは、よければアンジュと。お二人の名をお伺いしても?」

「み、美原琴音ですっ! よろしくおねがいしますっ!」

 びょこん、という擬態語で表現できそうな動きで頭を下げる琴音を尻目に、月香はアンジュに微笑んだ。

 俗にいう、ビジネススマイルで。

「河野月香と申します。本日より、よろしくお願いいたします」

 異世界だろうが巫女姫だろうが、しなければならないことに変わりはない。自分の立場は契約社員だ。

 そう割り切って、案内されるまま馬車に乗り込む月香の腕の中で、物怖じしない子供はじっと彼女を凝視していた。

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