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88.交わらない

 ファサールカ第四皇子は、予想とは正反対でよく日焼けしていて、穏やかな笑みを絶やさない青年だった。ザークレイデスに来てから一週目、ようやく本来の目的が果たせたわけだ。早いのか遅いのかは、何ともいえない。

「申し訳ありません、貴いお客人のお目にかかるためにふさわしい振る舞いを、いささか忘れてしまっているのです」

 そういってはにかんだ様子は本当に純朴そのもので、レナードだけでなくアステルも彼に好印象を持ったようだった。

 もちろん、それで警戒を解くわけにはいかないが。

「弟のことは聞き及んでおります」

 ファサールカがあまりに淡々としていたので、その言葉の含むところを把握するのが一瞬遅れた。

 レナードは思わずアステルを横目で伺ったが、特に変わった様子は見せていない。優雅に扇を使い、ファサールカを見据えているだけだ。

 以前、ヴィラニカに対して失敗した教訓があるからか。

「失踪して、ずっと生死すら不明だった弟です。いったいなにがあったのか……」

「けれど、ファサールカ殿下とアンジュレイン殿下は、仲がおよろしかったと」

「誰がそのようなことを?」

「ヴィラニカ殿下ですわ」

 鷹揚なファサールカの雰囲気が、その一瞬だけ崩れた。少なくとも、レナードにはそう感じられた。

「ヴィラニカは……」

 何と続けようとしたのか。

 結局、ファサールカはそれをお茶ですべて飲み干してしまったようだった。空になったカップを置いて顔を上げたとき、彼は屈託のない笑みを浮かべているだけだった。

「せっかくいらしたのですから、ぜひ我が国を隅々までごらんになっていっていただきたいですね」

 そう言って、明日は国立研究院へ見学に来ないか、などとアステルを誘った。



 ファサールカとの面談の模様を、レナードとアステルはその日の晩餐の後やってきたエリューシアに代わる代わる話して聞かせた。

「十分気をつけろよ」

 すべてを聞き終わった後、エリューシアは言った。

「エンディミオンよりずっと政争が頻繁で、生まれたときから腹芸を仕込まれて育ったような奴らだ。対等に渡り合えるのは、うちの祖母くらいなものだと思っているくらいでちょうどいい」

 なら、アステルではとうてい太刀打ちできない。

 そんな内心が顔に出てしまったものか、アステルはレナードを軽く睨んできた。

「わかってますわ。私では力不足。せいぜい不利な言質を取られないようにするくらいで精一杯ですもの」

 昨日は、昇降機で一階に降りようとしてあっさり捕まってしまった。レナードと琴音も一緒で、必死に道に迷ったことを主張して大事に至らずにすんだが。

「外に出られさえすれば……」

 溜息をつく従妹の肩に、レナードはそっと手を置いた。

 宮殿から出て、どこでもいいから巫女姫の鍵を使ってエリューシアを呼び寄せる。そうすれば後は、いつでも自由に城下に出られる。

 月香を捜すことができる。

「アンジュレイン皇子も、月香とともにいるはずだな?」

「アザゼルはそう言っていた。ファサールカとも」

 そこまでわかっているのに。

 何もできないことが、もどかしい。

 巫女姫の鍵の存在は、今後のことを考えれば秘密にしておくべきだ。だから、鍵によって知り得た月香やファサールカ、アンジュの情報は、現段階では公にすることができない。

 彼らに致命的な一撃を与えられる最大の情報を得ておきながら、切り札にできない。

 エリューシアは、どれほど苛立っているだろう。

 レナードは従兄弟に視線を向け、おやと目を見開いた。

「どうした? レナード」

 見返してくる緑の眼差しは、穏やかでいささかの揺らぎもない。

「そろそろ戻った方がよさそうだな。二人とも疲れただろう?」

「私は平気ですわ。お兄様こそ」

 レナードも、それほど疲れていない。だがそう伝える前に、エリューシアはさっさと鍵で扉を開けていた。見慣れた彼の部屋が垣間見える。

「それじゃ、また。レナード、アステルを頼む」

 名前は呼んだくせに。

 彼の目は、レナードの方に向けられていなかった。

 扉は、無情に閉まってしまう。

「レナード様、そろそろ休みましょう」

「……ああ」

 頷くことしか、レナードにはできなかった。

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