87.兄弟
巫女姫は、必ずしもエンディミオンを活動拠点にしなければならないというわけではなかった。単にあそこには華乃子と清子がいて新人達も心強いだろうと思ったのと、大陸の中であの国が一番治安がいいから最初の降臨地を決めただけだ。
しかし、今巫女姫達はそれぞれの考えで行動の場を変えている。
「琴音はわかるけど、月香がな」
「責任感も強いし、基本お人好しな娘だからな。頼まれたら断れなかったのだろう」
お菓子を食べながら、有限会社ヴィヅ企画の社長サナと、マネージャーのアザゼルはかの異世界の様子を眺めている。こういうシチュエーションでありがちな水晶玉ではなく、液晶大画面テレビでだ。
画面は二分割されて、右側に琴音、左側に月香が映っている。
サナはお茶を飲みながら、右側を指さした。
「ザークレイデスは機械国家だから、エンディミオンよりなじみがあるのかもな。エレベーターの使い方が自由すぎるぞ」
琴音は、見慣れない機械文明に目を白黒させているアステルをつれて、エレベーターで上がったり下がったりして遊んでいる。レナードも同行しているが、無表情の陰で彼もかなり狼狽えているらしいことが見て取れる。
「何とか階下に降りたいようだな。どのみちエレベーターの出口にも衛兵はいるから無理だろうが」
アザゼルの言葉が終わらないうちに、一階に降りた琴音達は槍を構えた二人の衛兵に止められていた。そして、強引にエレベーターに戻されてしまう。
「月香を探しに行きたいんだろうけど、そりゃ無理だろ」
サナは苦笑して、クッキーを一枚摘んだ。自分の口に入れるのではなく、だっこしているレマに渡す。赤子は喜んではしゃいでいた。
「レマを向こうへやってはどうだ? このままでは、同じ琴を延々繰り返して、ザークレイデス側に無用な警戒をいだかせかねないぞ」
「そうだなぁ」
サナはしばらく考えて、頷いた。
「うん。レマもずっと琴音と遊んでないし、会いたいだろ?」
「あい!」
クッキーくずをぼろぼろこぼしながら、レマは元気よく返事した。その髪をなでて、サナは満面に笑みを浮かべる。
「じゃあ、頼むぞ。なんかあったら、あの二人を守るんだぞ」
「あい!」
食べかけのクッキーを持ったまま、赤子はよちよちと床に降りる。そして、異世界への扉の前で動きを止め。
「……たまにはお前も行ったらどうだ?」
さあ、っと風が吹いた。ただの風ではなく、目映さを伴った力の流れだ。
だがサナは、少しも動じない。軽く目を細めただけで、力の中心にたたずむ細い人影ににやりと笑いかける。
「だって、お前の世界じゃないか。責任持って世話しなきゃ」
そう言われて渋い顔をしたのは、黒髪に黄金の瞳の少年。恐ろしいほどサナとよく似ているが、サナが快活で明るい表情を絶やさないのに対し、こちらの少年はほとんど感情を表に出さないのだ。今も、内心の苦々しさをあっと言う間に消してしまった。
「じゃあ、琴音のところに行ってくる。けど表向き普通の子供だから、そうなると月香の方は」
「わかってるって。俺たちがここから見張って、なんかやばそうだったら即座に助けに行くから」
サナは、自分の胸元をぽんと叩き、にかっと笑った。
「協力は惜しまないって言っただろ? レマ」
レマ。
黒髪の少年は、そのとき初めて表情を和らげた。ほんの少し、口元を緩めただけだったが。
「頼むぞ、兄上」
そうして扉を開けて、目映い光の中に飛び込み、すぐに見えなくなった。
後に残ったのは、ティータイムの名残とアザゼル、そして苦笑しているサナ。
「あいつ、なんか頼みごとするときしか『兄上』って言わないんだよなぁ」
「まあ、しかたがあるまい。長く反目してきたというわだかまり、双子の兄弟という事実もあるだろうが、なによりそれができない理由がある」
「? 何だよ」
首を傾げるサナのカップに、アザゼルは新しいお茶を注いでやる。
「普段は言葉もおぼつかない赤子ではないか。『兄上』などという難しい呼び方はまず無理だ」
「……まあ、そうだけど」
「だから、『にいた』でもよしとしておくのだ」
レマは、一日に三時間しか少年の姿になることはできない。けれど普段の赤子の姿の時、行動で現れる感情は飾りのない真実のものではないかとアザゼルは思っている。
サナを兄と慕い、心から安心した様子でいるあの姿が。
「そうだな」
今日のお茶は、ダージリン。品のある香りを楽しんで、サナはゆっくりカップを傾ける。
「俺も、今のあいつは好きだし」
アザゼルは、黙って微笑んだ。




