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84.買い物しようと街まで出かけたら

 試験終了。

 学生達にとって、その事実は祝福以外の何者でもなかった。

「琴音、駅前寄って帰ろ!」

 栄美は早速自由を満喫することにしたらしく、終業のチャイムとほぼ同時に琴音の席まで飛んできた。

「夏物バーゲンだし!」

「あ、うん……」

 思わず勢いに押されて頷いたが、最近あまり買い物を楽しんでいないことにも同時に思い至った。

 試験勉強があったということもあるが、そういう気持ちになれなかったのが一番の原因だ。ふとしたときに月香のことやエンディミオンの人々に考えがいってしまい、そうなると気になってしかたがないのだ。

「もうすぐ夏休みだし、遊びに行くにしても新しい服の一着くらい買っておかないとさ」

「そっか……うん、そうだね」

 試験は終わった。そして憂鬱な答案返却の試練を乗り越えれば、楽しい夏休みだ。栄美とは海に行く約束をしているし、夏祭りにもそのときの気分で出かけることもあるかもしれない。

 琴音は高校生。ヴィヅではなく、この世界でも確かに生きているのだ。

「そうだよね。楽しいことは、楽しんでおかないとね」

「そうそう! ほら、早くいこ!」

 栄美は琴音が鞄を持たないうちに、腕を引いて廊下まで駆け出す。引きずられて転ばないよう、琴音も必死で走った。

 そして、思う。少し前の自分なら、気がかりなことがあるのに他のことをしたり考えたりすることなんてできなかったな、と。

 月香の言ったことを、実行するようにしてきたからかもしれない。

 早く、また会えるといい。

 駅前といっても、琴音達が通学で乗り降りする学校近くの駅のことではない。琴音からみれば自宅の最寄り駅の二つ手前の、地元ではもっともにぎわっている界隈の駅周辺を指す。ショッピングモールや飲食店はだいたいこのあたりに集中していて、必然的に人の流れも一カ所に固まってしまうのだ。

 月香は二十三区に住んでいるらしいが、琴音は少し郊外の住人である。繁華街以外はのどかで、適当に便利で適当に静かな地元を琴音は気に入っている。

 買い物は好きだが、ごくたまにこうして友達と店をのぞいて回るだけで十分楽しい。栄美が一軒の店のショーウィンドウの中を指して「かわいい!」と声を上げたので、一緒になって琴音もはしゃぐ。確かにかわいいカットソーだった。

「バイト先って、私服OKじゃないの?」

「どうなのかな、いつも学校帰りにそのまま行っちゃうから……制服は貸してもらえるし」

「あ、制服なんだ。でも結局、どんな仕事してるの?」

「うーん……」

 説明に困る仕事内容だ。大ざっぱにいえば雑用だが、いかんせん範囲が広すぎる。

「雑用のお手伝いかなぁ……」

「なんか大変そうだね」

 栄美は、それ以上は訊かないことにしてくれたらしい。カットソーに視線を戻し、買おうか買うまいかと悩み始める。

 琴音も、他の服を眺めながら考えた。

 今までは学校から直接会社へ向かっていたが、夏休み中は私服で通うことになるだろう。あまり古い服や部屋着のような服装はどうかと思うから、思い切って今日何か買ってみようか。

 何しろマネージャーも社長も、美形すぎるのだ。そんな人達の視線に万一だらしない格好やセンスの悪いファッションを晒すことになったら、恥ずかしくて二度と職場へ顔を出せない。

 いつも買ってるファッション雑誌の最新号をチェックしてから来ればよかったなぁ、などと思っていると、後ろから突然ぽんと肩を叩かれた。

「偶然だな」

 その声は、聞き覚えがあった。というか、毎日のように聞いている。

「王子様! アステルも!」

 振り返った琴音は、明らかにこちらの世界の服をしっかり着こなしているイケメン王子と、その妹にして友人のアステルを目の当たりにして思わず大きな声を上げた。

「お久しぶりですわ。試験は終わりましたの?」

「うん、今日終わったばっかり。あ、明日からバイト行きますね」

 アステルとエリューシアそれぞれにあわただしく話しかけていた琴音の制服の裾を、後ろから栄美がつんつんと引いた。

「こ、琴音。こちらは……?」

「あっ、あのね、バイト先のええと……偉い人と、妹さん」

「偉い人……」

 栄美は一瞬だけエリューシアを見て、すぐに俯いてしまった。真っ赤になった耳が、束ねた髪の隙間から露わになっている。

 自分も彼に会ったばかりのときはこんな感じだったなぁ、と琴音はしみじみ思いだした。

「お友達ですの?」

 変わらずマイペースのアステルは、栄美の様子も気にした様子はない。

「うん、クラスメート。今ね、試験終わったから買い物しようって……」

 そこまで話してから、琴音ははたと気づいた。

 エリューシアとアステルは、異世界の人である。なのになぜ、どう見ても日本の最新流行ファッションを、しかもめっさ高そうな服を何の違和感もなく身につけて、琴音の地元などをぶらぶらしているのだ。

「えっと、アステル?」

「なぁに?」

「なんで日本語話してるの?」

 まずはここからだよね、と訊いてみると、アステルはにっこり微笑んで右手を掲げて見せた。羨ましいほど細い手首には、赤い石のはまった銀のブレスレットが巻き付いている。

「こちらの言葉を話しているわけではありませんの。この腕輪が、わたくしの意識を受け取る相手の言語に変換して伝え、相手からもまた同じようにして意識が伝わるとかなんとか」

 とかなんとか、とはずいぶん投げっぱなしな。

「アザゼル様のご説明の受け売りですわ」

「アザゼル? あ、マネージャーさん」

 最近ようやく名前が明らかになったマネージャーが、不思議アイテムをアステル達に貸し与えているということか。

「琴音が来ない間に、いろいろありましたの。詳しいことは、また明日にでも」

「え?」

「いらっしゃるのでしょう?」

 アステルは、ちらりと琴音の後ろに視線をやる。つられて振り向いて、そこで栄美が所在なさげにショーウインドウに寄りかかっているのを見つけた。

 気を遣ってくれたのだ。

「う、うん。じゃあまた明日。王子様も」

「ああ。またな」

 エリューシアは、どう見てもスマホにしか見えないものを上着のポケットにしまいながら琴音に答えた。もういろいろと突っ込みどころが多すぎたが、それもやはり明日まとめて訊いてみよう。

 そう、明日から。

 また琴音は、あの世界での役目を再開する。

「琴音、あのイケメンがバイト先の上司なの?」

「うん……」

「そして妹さんもめっちゃ美少女だね」

「うん……」

 栄美は、美形兄妹の破壊力にやられたのか、その後しばらくぼんやりしていた。琴音もついヴィツのことを考えて、生返事ばかり返してしまう。

 だが、そんな気持ちの入らないやりとりは、あっという間に終わった。

「琴音! 今日サンタンジェロ空いてるよ!」

「ほんとだ! 栄美、行こう!」

 巷で話題の大人気パンケーキショップが、平日の効果で客少数。

 試験で疲れきった頭と身体は、糖分を要求している。

 こんなコンボに逆らえる女子高生はいるだろうか。いや、いるわけがない。

 二人は勢いよく店に飛び込み、至福の時間を心おきなく満喫したのだった。

 

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