82.ヴィラニカ
出迎えに現れたのが目的のファサールカ皇子ではなく、第三皇子ヴィラニカだということにどんな意図と意味があるのか、とっさに判断できずレナードは思わず目を眇めた。
「ようこそ、アステル王女。こうしてお目にかかるのは初めてですね」
気さくな口調、次いでアステルの手を取り挨拶の口づけを落とした、一連の優雅な所作。
恐らく大半の女性が年齢や国や未婚既婚を問わずに虜になるに違いないと思われる、人目を惹く美貌と華やかな存在感。
銀の髪に緑の瞳の皇子は、しかしそれを鼻にかけている様子を微塵も感じさせなかった。少なくとも、表面に現れている部分では。
「お目にかかれて光栄です。わざわざ御自らのお出迎え、痛みいります」
「いいえ、エンディミオンよりはるばるいらしたお客人をお迎えするのですから、皇族が参らねば非礼に当たるというもの。しかし、そうは申しても第一皇子も第二皇子も不在なので、こうして第三皇子の私がここにいるのですから、やはり失礼には当たるのでしょうが……」
「いえ、とんでもございませんわ。非礼というなら突然訪問の申し入れをしたこちらが礼を失しているのですもの」
ヴィラニカとアステルは、しばらくそんなやりとりを続けていた。さすがはあの皇太后の孫だと、レナードは内心安堵していた。
非公式の私的な訪問とはいえ、アステル一人で他国へ行くことはほとんどなかった。相当緊張しているのかもしれないがそれを全く表に出さず、おっとりと無邪気に振る舞っている。それでいて、口に出していいことと悪いことはしっかりわきまえていて、のちのち言質を取られてエンディミオンに不利になるような事柄は巧みに避けている。今も、ヴィラニカから第四皇子にどんな用があるのかときわどいところまで鎌を掛けられていたのを、あっさりとかわしていた。
「ファサールカは少々変わり者で。同じ年齢なのに、今まで彼を理解できたことは一度もありません」
「同じお年?」
連れだって冷たい空気の満ちる廊下を進みながら、アステルはうまくファサールカについて話題を持っていった。ヴィラニカは相変わらず気安い様子で、第四皇子の人となりを描写していく。
「ええ、私の方が数ヶ月早く生まれたので序列は上ですが、彼とは同い年なのです。おかげであまり、兄弟という意識がなくて」
レナードは、出発前に可能な限り調べてきた資料の記憶と、ヴィラニカの話を比較する。確かに、第三、第四皇子の生年は同じだった。だがヴィラニカが成人以降活発な活動の記録を残しているのに対し、第四皇子はどんどんその存在を影の中へと埋もれさせていったようだ。
「ファサールカは」
相変わらず、ヴィラニカの口調には何の重みもなかった。警戒させるような要素は、何一つ。
だから、それは容易に隙を作りだした。
「末の弟ととても仲がよかったんですよ」
まずい、とレナードは思った。
アステルが、その一言にはっと肩を強ばらせたのだ。
銀の髪の皇子は、果たしてそれに気がついたのかどうか。少なくとも、レナードが凝視する中では目に見えた変化はなかった。
「……そうなんですの?」
「ええ、残念ながら我が国では、兄弟といえど決して関係は良好とはいえないのですが、彼らだけは別でしてね」
あくまでものんびりと、ヴィラニカは話を続けている。
「もっとも、ファサールカは変わり者ですから。自ら望んで辺境の貧しい領地へ、身分を捨てて出向いた。今はひたすらその地の農業改革に励んでいます」
「ご立派なことですわ」
アステルの一言は、決して社交辞令だけではなかったようだ。
長い廊下の両脇に、扉がいくつも並ぶあたりへ一行はさしかかっていた。まず身なりを整えて、しばらくしたら皇帝への謁見だ。しかし皇帝自身は病を患っているので第一皇子が代理を務めると、出国前に通達されていた。
それが本当かどうかは、わからない。どちらでも差し支えはない。今回の訪問の目的は、ファサールカに会うこと。そしてこれは運任せだが、彼からアンジュレインの消息を探ることだ。
「ところで、アステル姫」
挨拶を交わし、一度は立ち去りかけたヴィラニカが、唐突に歩を止めてアステルを振り返った。
「明日、ファサールカにお会いになりたいですか?」
「え?」
どう答えるべきだったか。
レナードには、わからない。
ただアステルが、間違えてしまったことだけは理解できた。
「どうして……そのような?」
問い返す声が、震えていた。微かではあったけれど。
けれどヴィラニカは、そこに狼狽を読み取ることができる聡明さを確実に備えた相手だった。
「もしそうであるなら、私が便宜を図って差し上げましょう。もちろん、極秘のうちに……」
侍従や衛兵を先に行かせた彼は、アステルにそっと囁いていった。
「アンジュレインを、探しにいらしたのでしょう?」
従妹がとうとう自分の方へ後ずさって逃げてきたのを、レナードはしっかりと抱き留め、素早く背にかばった。
ザークレイデス皇国の第三皇子は、そんな彼らを静かに見つめているだけだった。
感情の読めない、美しい翡翠の瞳で。