78.贈られる言葉
「琴音~」
明るい声で呼びかけられて、琴音ははっと我に返った。彼女の席の前に、栄美が鞄を持って立っていた。
「どーしたの? 今日掃除当番じゃないんでしょ?」
「う、うん……」
「バイトも休みだって言ってたし、一緒に駅前にでも行かないかなって」
琴音は何とか笑って見せたが、内心のわだかまりは消せなかった。
琴音はあくまでアルバイト待遇、そして高校生なので、あまり給料が多くなるといろいろ面倒なことが起きるのだと、昨日マネージャーが説明してくれた。専門用語が多くてよくわからなかったが、つまりそういうことなのだろう。
試験も近づいてきたことだし、というわけで、琴音のアルバイトはしばらく休みにされてしまった。確かに成績が下がると辞めさせられてしまう約束なので勉強もしなければならないのだが、果たしてバイトにいかなかったからと言って勉強に集中できるかというと、今の状態ではとうてい無理だろうと思う。
月香が、ザークレイデス皇国に捕まっている。しかも直接的には、アンジュとその兄に。
「琴音、帰ろうよ」
栄美が、心配そうな顔で促す。友達に気を遣わせたのが申し訳なくて、琴音も急いで帰り支度をして、一緒に教室を出た。
「何かあったの?」
「うん……まあ」
「まだ失恋引きずってるの?」
「え?」
訊き返すと、栄美は怪訝な表情になった。何か変なことを言っただろうか。
「いや、小早川君のことですっごい落ち込んでたじゃん。だからバイトでもって勧めたくらいだし。……あ、もしかして、ぜんぜん引きずってたりしなかった?」
「ああ……」
そういえば、そんなこともあった。
あのときはつらくて、夜も眠れなくて、毎日泣いていて、世話好きな栄美が何かと元気づけようとしてくれて。
ヴィヅでのバイトの求人広告も、栄美がチラシを持ってきてくれたのだ。
「ま、吹っ切ってたならそれはそれでいいんだけど。じゃあ、別件で悩んでるの?」
「うん、ちょっとね」
どう説明すればいいんだろう。琴音はうーんと腕組みして唸った。
バイト先の派遣の先輩が、悪の国に捕まってます。
だめだ、絶対厨二病と思われる。右腕が疼くのかとか、おでこに目が開くのかとかそういう症状の心配をされてしまう。
「いや、説明したくないなら別に無理しなくても」
「そういうわけじゃなくて。どう話そうかなって」
こういうとき、自分は頭が悪いなと思うのだ。
溜息が出る。
月香ならきっと、うまくごまかしつつも何とか筋の通るように話ができるのに違いない。
「勉強の悩みじゃないとしたら……バイトのこと?」
「うん」
頷いたものの、やはりそれ以上どう続ければいいか思いつけない。
幸い栄美はそれ以上つっこんで尋ねようとはせず、ばしんと琴音の腕を叩いた。
「落ち込んだときは買い物でもしてストレス発散しよう! うまくすれば、『サンタンジェロ』のパンケーキ、今日こそ食べられるかも!」
雑誌にしょっちゅう掲載される超人気パンケーキショップの名前は、琴音を少しだけ元気づけてくれた。いつか特集されていた、生クリームとアイスクリームとフルーツたっぷりの超豪華なパンケーキを是非とも食べたいというのが悲願だったのだが、懐がぬくぬくしている今なら、行列という名の苦行にさえ耐えきれば叶えられるかもしれない。
そう、琴音が落ち込んでいても、どうにもならないのだから。
ふっと脳裏に蘇る言葉があった。
――心配だ心配だって思っているだけじゃ、何も変わらないし何も解決しない。何かできることを考えて、一つずつやってみる方がずっと気持ちも落ち着くし、問題が片付く可能性があるでしょ。――
確かに、悩んでいるだけではただの自己満足なのだ。
まずは元気になって、試験勉強もやって、バイトに戻ったらいつもの仕事をすればいい。
――だから、心配することしかできないときは、何も考えない方がいいの。――
『それしかできない』ではなく、『それでいい』と。
最後に別れたときに言い残していった、年上の同僚の言葉を実践したかった。