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74.薄暮

 仕事は、順調に片付いていた。

 時折部下がやってきて、まとめた書類を脇のもう一つの机に置いていく。机の上にはいくつかの平たい蓋のない色違いの箱が置かれていて、どこに書類を入れるかで処理状況がわかるようになっている。例えば、まったく手をつけていない書類は、出口に一番近い青い箱に下から順に新しい物を入れていく。それを上から順番に片付けるようにすればいいわけだ。

 そしてエリューシアが目を通したあとは、そのまま渡すべき相手のところへ持って行けるものと何か不備があった書類とにさらに分ける。箱がある程度いっぱいになったら部下達が仕事部屋へ持っていって、また問題点の解決や然るべきところへの配達なりの処理をする。

 このやり方を定着させたのは、月香だった。数ヶ月経った今では部下達もエリューシアも慣れているので、書類の片付く速さは当初より上がっている。手順を全員に覚えさせてしまえば、あとは機械的に進行していくからだ。

 毎日仕事をする者達の顔ぶれや個々の能力の差異に左右されずに、平均的な量の仕事がこなせる。おかげで部下達の休暇も定期的に設定できるようになり、彼らの私的な生活にとっても恩恵があったことになる。

「失礼いたします、殿下」

 書類を持った若い女が、ノックしたあと一礼して部屋に入ってきた。青い箱に決まり通りに書類を入れて、不備書類がいっぱいになった赤い箱に手を伸ばす。

「少し待ってくれ。これも一緒に頼む」

「はい」

 エリューシアは、手元の書類に数語書き込み、赤い箱に入れた。青い箱に目をやるが、それほどの量はない。

「本日の分は、すでにほとんど処理を済ませています」

 彼の視線に気づいたらしい女が言った。

「そうか。なら終わり次第帰宅するようにと、向こうの部屋に伝えていい」

「はい、承りました」

 女はあまり表情を変えなかったが、嬉しそうにしているのは声の微かな調子でもわかった。時計の示している時刻が、いつもの終業よりも早いからだろう。

「今日も滞りなく済んだ。ご苦労だったな」

「もったいないお言葉、ありがとうございます」

 女は箱を抱えて頭を下げ、慎重な足取りで扉へ向かう。

 その手は半分ほど扉を開けたが、そこで動きを止めた。

「殿下」

「どうした?」

 落とさないように箱を抱えた姿勢で、女は顔だけエリューシアに向けていた。

 心配そうな表情。

「月香さんは、いつお戻りになるんでしょうか?」

 どう答えようか、エリューシアは逡巡した。まだ何一つ、見通しを立てられる状況ではない。

 沈黙が不安を煽ったのか、女はますます顔を曇らせる。

「仕事は、確かに問題なく進められています。でも……月香さんでなければわからないこともあって」

「そうか」

 月香は秘書官として、部下達とエリューシアの中間に立ち働いている。いわば、連絡の要でもある。彼女がいなければうまく回らないこともあるのだ。

 もう少ししたら、月香をいつもの仕事に戻らせた方がいいかもしれない。

「わかった。折を見て月香と相談し、早いうちに戻れるようにしよう」

「はい……」

 しかし、女は憂い顔のままだった。その理由をエリューシアが問う前に、彼女はおずおずと口を開く。

「私達、前にあの人に嫌な思いをさせてしまいました。そのまま月香さんが顔を見せなくなったから、気になっていて。謝りたいのです」

 エリューシアは、一瞬目を瞠った。けれどすぐに微笑んで、俯く女に歩み寄りその肩を優しく叩く。

「そのことも合わせて伝えておく」

「……お願いいたします。殿下」

 もう一度ぺこりと頭を下げて、ようやく笑顔になった女は小走りに廊下を横切り自分達の仕事部屋へ戻っていった。

 エリューシアは青い箱から書類を取って、執務机に座る。かなり面倒な内容だったが、読み進めていく間も苦痛は感じなかった。

 月香は、今の言葉をどう受け止めるだろう。

 喜んでくれるといい。

 書類を片付け、処理済みの箱に放り込んでしまうと、ちょうど月香が戻る時刻になった。律儀な彼女は、帰宅する前に必ず声をかけてくれる。

 さっきの彼女の伝言を、まず最初に聞かせてやろう。同行したレナードもきっと疲れているだろうから、その前に二人にお茶でも用意した方がいいか。

 エリューシアは、侍従に早速自分の居間にその支度を命じた。くつろげる方がいいだろうと、執務室には居間へ来るようにと書いた紙を残しておく。

 そろそろ日没までが長くなる季節で、夕刻を過ぎても部屋の中は十分明るい。だからエリューシアは、ゆったりした気持ちで二人を待っていた。

 けれど。

 すっかり夜が更けた頃にようやく彼の前に姿を見せたのは、一人だけだった。

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