61.毒
ダンスをする人たち、テーブルでお酒を飲みながら話をしている人たち、様々だった。
琴音はアステルと一緒に、広い部屋の中にいくつか置かれているソファーの一つに移動していた。
「お兄様ったら、月香さんと仲が良さそうですわ」
「ほんと」
先ほどちょっとだけ姿が見えなくなったエリューシアと月香は、戻ってくるとレナードと三人でなにやら話を始めた。といっても難しいことではなく、何か気軽な話題らしいことは三人がよく笑顔を見せてくつろいだ雰囲気でいることから感じられた。
「私達も割り込んでみます?」
「え、でも……」
琴音はためらった。くつろいだ会話といっても、三人とも頭が良さそうだから、琴音にはわからないようなことで盛り上がっていることも考えられたからだ。
「邪魔しちゃ悪いし……」
だからそう言ったのだが、アステルは違う解釈をしたようだった。
「遠慮なんていりませんのよ。私達みんな、お友達同士ですもの。さ、行ってみましょう」
「え、ちょ、アステル」
止めるまもなく琴音はアステルに手を引かれ、談笑する三人のそばまで連れて行かれた。
「二人で楽しむための話題が、残念ながら尽きてしまいましたの。よろしかったら、お仲間に入れてくださらないかしら?」
「ええ、どうぞこちらへ」
すかさず月香が立ち上がり、自分が座っていた椅子をまずアステルに勧めておいて、すぐに琴音のためにも椅子を一脚持ってきてくれた。
「月香、給仕に頼めばいいのに」
「ああ……いえ、慣れてないので」
気まずげに言う月香の傍らに、遅ればせながら新たな仕事に気づいた給仕がさらに椅子をもう一脚運んできた。月香は彼に礼を言って、ドレスの裾をさばいて腰を下ろす。優雅で、様になる動作だった。
琴音は、アステルの隣に座ってそっとため息をついた。自分がぼうっとしている間に、月香はてきぱき行動する。頭のいい人だからだろう、今なにをすべきかをすぐ判断できるのだ。
「琴音?」
アステルにそっと腕に触れられて、はっとする。いつの間にか、他のみんながじっと琴音を見ていた。
「ご、ごめんなさい」
「疲れたか?」
優しく尋ねてくれたのは、エリューシア。あわてて首を振ったが、その後どう答えていいかがわからない。
「何か飲み物を頼みましょうか。少しお部屋の中が暑い気がしますし」
「私、頼んできます」
アステルが言うやいなや、月香はさっと立ち上がり給仕の方へ向かっていった。
「まったく、月香さんったら……。こちらから合図すれば、給仕が参りますのに」
「慣れてないんだろう。仕方ないさ」
「まあお兄様、月香さんにずいぶんお優しいんですのね?」
「普通だろ」
妹のからかうような鎌かけを、兄は無造作にかわした。その隣でレナードがじっとエリューシアを見ているので、アステルの表情は明らかに輝きだした。やはりノーマルより腐れ道、ということだろうか。
今頃アステルの頭の中で、エリューシアに嫉妬したりはらはらしたりするレナードというストーリーが爆裂してるんだろうなぁ、と想像できてしまうあたり、琴音も十分感化されてしまっていた。
月香はなかなか戻ってこない。琴音は何となく、さっきまでおいしいご飯を食べていたテーブルの方へ目をやった。皿はすべて片づいて、美しい金の燭台とこぼれそうなほど花を飾った大きな花瓶だけが置かれていたが、今まさに新たに別なものが配置されようとしていた。
国王と王弟が、テーブルのそばまで並んで歩いていった。給仕が絶妙のタイミングで、細工をされたコップとワインのような酒の瓶を並べ、どちらかからの合図を待つために直立不動の姿勢をとる。
「お父様、やっと叔父様と仲直りなさる気になったのかしら」
琴音が見ていたものに気づいたアステルが、そっとささやいた。
「にしては、お二人とも表情がぎこちないな」
「それは、ずっと仲違いされていたのですもの。しかたないのではなくて?」
「しかし、それにしても……」
エリューシアとレナードも、じっと国王達に視線を向ける。
確かに、国王は上機嫌な顔をしていたが口元が引きつっているようでもあったし、王弟は穏やかに微笑んでいても態度がどこかよそよそしい気がする。琴音でもそう思えるのだから、二人をよく知る上観察力も頭の良さも備えているであろう兄妹とその従兄弟が不審を覚えても不思議ではない。
ずき、とこめかみが痛んだ。
王とその弟、二人分のコップに赤紫色の酒が緩やかに注がれていく。光を反射して、美しいサテンのリボンのようにも見えたのに、なぜだか赤紫の反射は琴音の目の奥に突き刺さる。
「琴音?」
アステルが、背中に触れてきた。
「どうなさったの? 気分でも悪いの?」
「いえ……なんだか、頭が……。あのお酒……」
「酒?」
エリューシアが、琴音とテーブルの方を交互に見やる。そして何か思案していたが、すぐにこわばった顔で唇を引き結んだ。
「琴音、力が発動している可能性はあるか?」
「力……?」
「私への襲撃と、シャンデリア落下の時と同じ感覚は今あるか?」
「あっ……」
言われてみれば、そんな気もする。
どちらの場合も、大ざっぱに表すなら『気持ち悪い』と感じていた。シャンデリアの時は、直後実際に力が発動してしまったが。
「似ているような気もします。でも……」
「断言はできない?」
「はい……すみません」
前の二回と違い、今回はどうも曖昧だ。ただ具合が悪いだけのようにも思えるし、力が現れているのだと言われればそういう気にもなる。
ただ一つ、わかっているのは。
「あのお酒を見ると、何だか頭が痛くなって……」
「何かあるのかもしれないな」
「ああ、だが、どうする? はっきりしたことがわからないなら、陛下のご歓談を妨げることはできない」
「もどかしいですわね。お父様は作法にうるさいから……。お祖母様は?」
「今席を外されている」
唯一国王の上位にいて、且つ機転も利く皇太后の偶然の不在は、致命的すぎた。
「どうなさったんですか?」
お盆の上にグラスと飲み物を載せた給仕を連れて、月香が戻ってきたのはそのときだった。
「月香さん、あのお酒が」
「お酒?」
「琴音が、何かおかしな感じがすると」
給仕を帰したエリューシアが、手短に事情を説明する。月香は眉根を寄せ、いつの間にか睨み合うようになっていた国王達に視線を向けた。
「確信はないんですね?」
「ああ。だから困っている」
「陛下に声をかけられるのは、皇太后様だけ。しかもいらっしゃらない」
「そういえば母上と叔母上もいらっしゃらないな。母上あたりなら、うまくやってくださったかもしれないのに」
言ってから、エリューシアは堅いものを飲み込んだように黙り込んだ。
「エリューシア?」
「まさか……」
すかさず気遣う従兄弟を、彼は強ばった顔で見返す。
「意図的に遠ざけたのか?」
「そんな!」
アステルは高い声を上げ、はっと口元を覆う。
「もし……琴音の感じたのが」
エリューシアの言葉は、震えていた。
「毒だとしたら?」
「毒!?」
琴音が叫ぶのと、月香がきびすを返すのはほぼ同時だった。
「な、何だ! 無礼な!」
神経質な国王が喚き、王弟は無言だったが突然駆け寄っていった月香には不審の眼差しを注いでいる。
「失礼します」
だが月香はどちらにもかまうことなく、素早くコップの一つを取り上げた。国王のそばにあった方を。
「き、貴様!」
国王が怒鳴るのと。
月香がコップの中身を喉に流し込んだのは、ほぼ同時だった。
エリューシアが立ち上がり、その彼よりも先にレナードがテーブルへ向かっていた。アステルは座ったまま顔を強ばらせ、琴音は。
琴音はただ、全てを見ていた。
月香の手から、コップが落ちる。床の上に残りの赤紫色が広がり、誰かが叫んだ。
王弟が素早く腕を伸ばし、受け止めていた。がっくりと倒れた月香の身体を。大きな声で医師を呼ぶように指示する。
「これは……毒です……」
その合間を縫って、月香は言葉を絞り出していた。
「王弟殿下は……暗殺者の、情報を……」
「月香、しゃべるな」
「……私に、指示して、陛下を、お守りするよう……に、と……」
アステルに連れられて、琴音は月香のそばへ立つ。ぐったり目を閉じて、顔が真っ白だ。唇だけが動いている。
「月香、無理するな!」
「殿下……」
エリューシアの腕を、月香はつかんだ。よほど強い力なのだろう、その手は震えていた。
「これは、ご指示、です……よね?」
「……ああ、そうだ」
うなずいて、エリューシアは月香を抱き上げる。月香はぐったりして、もう片方の腕がだらりと力なく落ちた。
「アステル、琴音を連れて部屋へ戻れ。レナードはこの場を頼む。母上に叔母上、祖母殿がいらしたら事情を説明して差し上げてくれ」
「わかった」
レナードは重々しく答え、アステルは無言で琴音の腕を引いた。
琴音は。
ただただ、それに従うしかなかった。
できなかった。