53.守る
「清子も覚醒は遅かったのよ」
長い遠征から帰国した皇太后陛下は、長年の仲間清子共々お茶会を開くと言いだし、エリューシアと月香が招待された。他にも呼ぶようなことを言っておきながら、なぜか今こうして立派なテーブルクロスのかかったテーブルに着いているのは、華乃子、清子、月香、エリューシアの四人だけ。
どうやら最初からそのつもりだったらしいということを、月香はお茶を飲みながら考えていた。目的は、今まさに華乃子が切り出した話題のため。
「そうそう、どうも身の危険がないと明確な覚醒はないらしいのよ。琴音ちゃんなんかそうでしょ? 最初はエリちゃんのピンチ、次は自分も含めたその場全員の危険を察知したときに力が発動した」
エリちゃんと呼ばれ、エリューシアは頬を引き攣らせていた。可哀想だが、おむつをしている頃から知られている相手というのはそういうものだ。
「でもあの場には、私もいました。『身の危険』というなら同じ立場だったはずです」
「うん、だから、単にそういうところで発動しても意味のない力だったってことよ」
清子は一人でクッキーを平らげそうな勢いだ。華乃子は離れたところに控えていた給仕に合図を送り、さりげなく月香達の前にクッキー皿を置いてくれる。さりげない気遣いがとても漢らしいと月香は思った。ジェンダー論は関係ない意味で。
「『身の危険』というのは語弊があるね。もっと正確に言うなら、『とても追い詰められて切実に力の発動を願うような状況』だと思うわ」
華乃子は、ゆったりと月香を見た。値踏みするような視線ではない。けれど、とても強い。
「私の場合はね、何しろ魔王とかまだまだ元気だった時代でしょ? なのに人間同士でごちゃごちゃやってて、いつつけ込まれて人類滅亡とかになってもおかしくない状況だった。それにとにかく腹が立ってね。当時のトップどもを一堂に集めて怒鳴りつけたわけよ。そうしたらなんか目覚めてね」
すげぇワイルドな覚醒だな。もしや、その時のことが『斬滅女神』の二つ名の由縁だったりして。
「あん時はすごかったわー。偉い奴ら全部土下座したもんねー」
けらけら笑う清子。その光景はちょっと見てみたかった。
「あ、ちなみに私はね。魔物がわんさか襲ってきた中でいきなり覚醒してね。そしたら魔物の半数がこっちに寝返ってくれて、勝手に同士討ち初めて戦力激減してくれたのよ。いやー助かったわ」
「あれで戦況が大きく変わったものね。あれがなければ勝てなかったかもしれない」
どうやら、この大先輩方は修羅場をくぐり抜けてきたようだ。それだけわかれば十分だ。すごすぎてきっと詳しく聞いたら、頭が痛くなるどころじゃなさそうだった。
月香はゆえに慎ましくお茶を飲み、クッキーを食べることに専念しコメントは控えた。
「それはそれとして、ですね」
女傑の孫の方は、おずおずと口を開く。
「二人の巫女姫への、周囲の反応は確かに不自然です。誰かが故意に創り上げたとも思える」
「わかってる。で、エリューシア? あんたの見解を聞こうじゃないの」
エリューシアは、一度ちらりと月香を見た。
そして、かつて世界を平定した女性二人をひたと見据えた。
「陰謀の一端かと。巫女姫を利用して国内の――少なくとも宮廷内を混乱させるための」
月香のカップが、乱暴に受け皿に落ちた。割れはしなかったが中に残っていた紅茶が跳ねて、上等のテーブルクロスに染みを散らす。
「それが妥当な読みだろうね。つまり、あんた達は利用されてるんだよ。恐らく……やつらにね」
月香は粗相を詫びる言葉を凍り付かせ、硬直する。
冷たく細められた華乃子の視線が、自分などを映してはいないとわかっていても。
『やつら』というのが、仮想敵国ザークレイデスであることは明らかだった。
ザークレイデス皇国における、華乃子の訪問目的は、一部成功したらしい。成功した部分は、シディアの妹の解放だ。失敗した部分は、それ以外についでに解決させようとした諸々の国際問題らしい。
「想定内ではあるけどな。何度も何度も話し合いの場は持たれてるのに、未だに解決しないんだ。人質がいなくなっただけで十分さ」
お茶会から戻る途中で、エリューシアはそう言った。
「背後に、本当にザークレイデスがいるなら厄介だ」
「そうでない可能性もあると?」
「ああ。ただの内輪もめの結果かも知れないだろ? 身内の」
そうだった。すっかり忘れていたが、王様と弟の宰相閣下が喧嘩していたのだった。和解させるようにエリューシアに進言したのも、遠い思い出だ。
「ぜんぜん進展無しですか?」
「皆無だ」
きっぱり言い切ってから、エリューシアは肩を落とした。うんざりがっかりという気持ちが思い切り表に出ているにもかかわらず、美形は美形だった。何となく腹が立つ月香である。
「そっちにも、少し気になる動きがないわけじゃないんだよな……」
と思うと、いきなりきりりとしたイケメン顔に戻る。ますますむかついた。イケメンが嫌いなわけではないが、不必要にかっこいいと敵意を抱く癖があるのだ。
しかしそんな内心は押さえ込み、月香は話を合わせた。
「というと?」
「私だって何もしていないわけじゃない。父上や叔父上と親しい重臣達に協力を頼んで、それとなく働きかけをしてもらっていた。若輩の息子や甥に意見されると、ますますこじれるだろうしな」
それは確かに。
「だが、そういう動きのあとに何かしら妨害工作をされている気配があるんだ」
「妨害?」
「はっきりと確証はないが」
エリューシアのざっくりした説明によると、なかよし大作戦(仮名)を実行したあとに必ずといっていいほど、二人の間をこじれさせるような出来事が起きるという。それは王あるいは宰相からの発言であったり、本当に些細な、傍から見るとくだらないことの場合もあるらしい。
「叔父上は聡明で、温厚な方だ。よほどのことがなければ波風を立てるような言動はなさらない。だから、ほとんどの場合父上が言いがかりつけてるんだよな。どこぞの家臣と悪口を言っていたとか、反乱を起こそうとしているとか、だがどれも根拠は本当にくだらないんだ。誰かから聞いたとか、父と仲の悪い貴族と話をしていたとか、それだけのことで」
それはひどい。
王様は少し幼稚すぎやしないかと、この国の行く末が心配になる。
「そう……。そういえば父上が、近いうち琴音を晩餐に招待したいそうだ」
「えっ?」
月香は思わず高い声を上げ、エリューシアはそんな彼女に顔だけで向き直る。
「例の、シャンデリアから救ってくれた感謝って名目だ。私やアステルも出席する。レナードは、もしかしたら出ないかもな。家族だけの場合も考えられるから」
月香は、考え込んだ。
巫女姫の評価の極端な二分化。これが単にエンディミオン国内だけの政治的駆け引きならば、そのうちたぶん華乃子やエリューシアがなんとか収めるだろうと思う。だが裏にザークレイデス皇国がいて、意図的にエンディミオンを混乱させようとしているのなら、いかに二人が敏腕政治家でも沈静は容易ではないだろう。
琴音。
あの、無邪気で天然気味の少女が、そんな事態に巻き込まれるのならば。
「月香」
彼女が心を決めるのと、彼の呼びかけは奇跡的に重なった。
「その晩餐、一緒に出てくれないか。お前も巫女姫だし、私の書記官だ。同行しても不自然じゃない」
「わかりました」
正直苦手意識はあるが、琴音が嫌いなわけではない。むしろいろいろ心配だから、放っておけない。性格はいいし、手のかかる妹のような存在だ。
できることなら、守ってあげたい。職場の同僚なのだし、仲間だ。
「頼むぞ」
いつの間にか、エリューシアの居間の扉の前にいた。時計は見ていないが、そろそろ終業時刻だろう。
「もう戻るか?」
「ええ。でもすぐ決めた方がいいお話なら、そうした方が」
「いや、明日でも構わないな。まだ正式決定ではないし」
「わかりました」
ではまた明日――と挨拶して、月香は踵を返そうとした。
「月香」
本当に、気まぐれのように。
上司である王子様は、月香を呼び止める。
はっとしたのは、その声がどういうわけか深いところにまで飛び込んできたように思ったから。
「琴音の力は、確かにすごかったし、私もまた命を救われたわけだから感謝している。しかし、同じくらいお前にも感謝している」
「え……?」
彼が一体何を言おうとしているのか、月香はわからず戸惑った。
「仕事のはかどるのが早くなったし、一度の作業の負担や手間も確実に減った。お前がいろいろと考えて、やりやすいようにしてくれたからだとわかっている。――恐らく、他の部下達も本当は理解している」
知っているのだろうか。
思いがけなく、椅子を壊した日のことを。
「お前のしてくれたことの成果は、巫女姫の力とは別のところにあるもの。けれど私が評価したりありがたいと感じるのは、間違いなく事実だ」
月香は項垂れて、必死に言葉を探した。
どう返せばいい。『ありがとうございます』だけでいいのだろうか。普通はそうだろう。上司に褒められたのだから、『これからも精進します』とかなんとか言えばいい。
でも。
でも。
胸が熱い。この熱さを形にするとしたら、そんな月並みなテンプレートの文句では相応しくない。
「何かあったら、すぐに知らせればいい。私の書記官への不当な評価は、放置しておきたくない」
「殿下……」
「能力があり、それを正当に発揮して努力している部下は、主が守る。当たり前のことだ」
『守る』という一言に、何か特別の意味があるわけではない。わかっている。わかっていた。
それでも、月香は。
「ありがとうございます……殿下」
濡れそぼった炎が目の奥から溢れ出すのを、どうしても抑えることができなかった。




