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41.意地っ張りとハイヒール


 まるで雲の上を進むような、という形容が浮かぶくらいの、見事なダンスだった。

 というより、レナードのリードが抜群にうまかったということだろう。

「月香さん、すごい!」

 だから月香は、歓声を上げた琴音に素直にこんな感想で答えた。とてもとても一ヶ月の付け焼き刃で、ここまでスムーズにダンスをすることなど不可能だ。

「いや、そう謙遜したものじゃない。十分にうまかった」

 エリューシアも誉めてくれたが、月香はそこまでうぬぼれることはできなかった。自分の未熟さは、自分がよくわかるものだ。

 パーティまで一ヶ月と少し。琴音も何とかステップを間違えないようにはなり、リズム感の悪さはパートナー次第というところだった。果たして、アンジュは彼女をカバーできるのか、人事ながら不安になる月香だった。

 アンジュとは、しばらく会っていない。最後に顔を合わせたのが、二人でクッキーを食べた時だ。

 特に何を話すでもなく、それでも居心地の悪さはなかった。そして、本人は隠そうとしていたようだが、とてもおいしそうにクッキーを味わっていた。やはり甘党らしい。

 だから、また会ったらあげようと思って、月香はそれ以来甘いお菓子を鞄に忍ばせている。コンビニなどで人気の十円のチョコ、キャンディ、クッキー、ビスケット。

 本来それらを口に入れてほしい人が来ないから、結局すべて月香の胃袋に収まってしまっている。

「月香?」

 呼ばれて我に返ったとたん、月香は反射的に掌底を繰り出しそうになった。

「どうした? ぼんやりして」

 エリューシアが、顔をのぞき込んできたのだ。至近距離の美形は心臓に悪い。

「いえ、何でも」

「疲れてるなら、私の相手は後にするか?」

 なんといっても、本番はほとんどをエリューシアと一緒に過ごすことになるわけで、当然一番踊りの相手をしなければならないのも彼だ。今日のレッスンは、いわば予行演習だ。

 そして、エリューシアが不慣れな月香に足を踏まれることを危惧したレナードが先に自分と踊ろうと申し出てきて、さっきの一曲となったのである。

 月香はレナードを見た。彼は、深く頷き返す。どうやら及第点をもらえたようだ。

「では、殿下。練習をお願いします」

「本当に大丈夫か?」

「はい。大丈夫です」

 だいぶ慣れてきたダンス用の靴で、フロア中央まで進む。エリューシアはすぐ後ろから追いついて、ごく自然な仕草で月香の身体に腕を回し、支えた。

 社交ダンスなどを見ても思うのだが、この密着具合は日本人には酷である。

 特に、相手がエリューシアのような超美形だった場合は。

 音楽は、プレイヤーなどもちろんないので、不思議な形の箱から流れ出すようになっている。箱の中には七色の光を放つ丸い石が一つ入っていて、そこから音が出るのだ。琴音によると、『記憶』と『解放』という魔法を組み合わせているらしい。

 魔法の攻略本で、ずいぶん勉強しているようだ。それはいいことだと思うし、琴音の努力は素晴らしいと月香も認めている。

 だが、多少考えないではないのだ。

 ――どうして琴音だけ、と。

 待遇としては自分は派遣社員、琴音はアルバイト。仕事内容は規定が曖昧だが、自分は少なくとも普通の会社の事務をしていると言っていいだろう。琴音は、王女との勉強、魔法の習得、その他雑用。給料の額も体系ももちろん違う。

 けれど魔法の知識は、どちらにとっても必要になるのではないだろうか。なのになぜ、月香には本が支給されなかったのだろう。あのマネージャーも社長も、えこひいきをするような人柄では決してないと思うのだが。

「危ないっ」

 耳元で小さな警告が聞こえて、月香のステップが乱れた。

「大丈夫か?」

 エリューシアが腕の位置を変えて、月香を支えている。

 身体の重心が背中に移動していることに気づいて、あわてて月香は彼の手を借りて立ち上がった。

「申し訳ありません。大丈夫です」

 バランスを崩して、転びそうになったようだ。

 だが元のように向き合おうとした月香から、エリューシアは一歩離れた。

「顔色がよくない。明日にしよう」

「そんなことは」

「大丈夫じゃない奴はそう言う。ここ一ヶ月ずっと練習してきたなら、疲れも溜まっているだろう」

「そうですよ、月香さん」

 ちょこちょことやってきた琴音が相づちを打ち、その後ろからついてきたレナードも頷いている。

 月香は、そんな彼らの顔を困惑とともに眺めた。

「私、そんな……」

「無理したら駄目です、月香さん。私だって毎日筋肉痛だから、足とか腰に湿布貼ったりしてるんですよ」

 月香もそれはやっている。電動マッサージ器も使っている。筋肉痛は出るが、至って軽い。睡眠だって、十分に取れているはずだ。

「成果は出ているようだし、今日は少しくらい早めに切り上げてもいいんじゃないのか?」

「ええ、殿下がそう仰るのなら」

 ダンス講師まで便乗してきた。

 月香は口を開きかけたが、それは前触れなく開いた出入り口の扉に阻まれた。

「こんにちは」

 入ってきたのは、黒い髪のすらりとした男性。

 スターサファイヤの瞳が、柔らかく微笑んでいる。

「アンジュさん!」

 いち早く反応したのは、琴音だった。危なっかしい動きでアンジュに駆け寄り、案の定転びそうになる。

「危ないですよ」

「あう、ごめんなさい」

 アンジュは琴音を受け止めて、優しい動作で立たせた。その笑みにか、自分のドジにか、照れた様子で琴音は頬を染めていた。

「アンジュレイン、せっかく来てもらったが、今日はこれで終わりだ」

「そうなのですか?」

「ああ。月香の体調がよくないようだから」

 反射的に、月香は顔を強ばらせた。

 体調管理はしているのに。

「それは……。大丈夫ですか?」

 アンジュの視線が、自分に向けられる。引き攣っているだろう表情を見られたくなくて、月香は逃げるように俯いた。

「大丈夫です。今日だって、別に……」

「平気だと思えるうちに休むのがいいですよ。無理だと思ってから休むと、快復が遅くなりますから」

 やんわりと諭す調子で、アンジュの言葉は降りてきた。

 少しだけ、肩から力が抜ける。

 そう、長い目で見れば、それが最良なのかもしれない。

「じゃあ、そういうことだ。すまないがアンジュレイン、明日また来てくれないか。できれば今日より早めに」

「神殿の仕事状況に左右されますが、善処いたします」

 月香がそんなやりとりと、片付けをする人の気配にぼんやり浸っていると、その腕を不意に取られた。

 驚いて顔を上げ、見つけたのはエリューシアだ。

「な、なんですか?」

「いや、その靴歩きにくいだろうから、手を貸そうと」

 確かにその通りで、毎日靴を脱ぐとふくらはぎ辺りは固くなっている。

 月香に辞退する暇も与えず、エリューシアはさっさと彼女をエスコートして部屋の隅まで導いた。月香の荷物が、ひとまとめにしておいてある。

「脱げるか?」

「あ、はい。大丈夫です」

 椅子に座らせてもらい、急いで靴を脱ぐ。締め付けがなくなり、心地よい解放感がしばし訪れる。もともとあまりハイヒールは好きではない。

 自分の靴を履いていると、明るい笑い声が聞こえてきた。

 何気なく声の出所を辿り、月香は動きを止める。

 琴音が、笑っていた。

 アンジュと向き合って、楽しげに。

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