39.少女漫画の法則
「そう、次は右足」
軽やかにフロアを舞いながら、エリューシアは琴音の指導をしている。不思議なもので、一人で練習していた時はあれほどダンス講師に怒られまくっていたのに、今は覚束ないステップが嘘のように琴音は上手に踊っている。
もしやこれが昔の少女漫画でよくやっていた、『ダンスは苦手なのにこんなに軽やかに踊れるなんて! そうか、この方のエスコートが上手だからだわ!』というシチュエーションなのだろうかと月香は思った。
「この基本さえ覚えれば、あとは男の方が何とかしてくれる。あまり心配するな」
「は、はい」
「あ、だが足を踏まないようにだけは気をつけてくれ。本気で痛い」
エリューシアの軽口に、強ばっていた琴音の顔もふっと緩んだ。
フロアを踊りながら一回りして、エリューシアと琴音は待っていた月香達のそばへ戻ってくる。
「さすが殿下。優雅でございましたわ」
「ありがとう」
ダンス講師にさらりと応え、エリューシアは琴音に顔を向ける。琴音は頬を上気させ、目の焦点が合っていなかった。夢見心地と言った風情だ。
まあ、この子の性格からして王子様とダンスとか憧れるシチュエーションなんだろうな、と月香は考える。そんな時期が一応自分にもあった。黒歴史だが。
「レナード、次はお前が相手してやれよ。お前の方が得意だろ?」
「わかった」
表情の乏しい王子の従兄弟は、琴音の手を取ってフロアに進み出る。琴音が「あんぎょあふ」とか言っていたが、気にした様子はなかった。月香は、いつでも手刀にいけるよう身構えていたが、杞憂に終わった。
琴音は真っ赤な顔をして、とても嬉しそうに踊っている。リードをするレナードがかなり長身なので見た目にはアンバランスのはずだが、不思議とそんな風には感じない。
やっぱり、『あの方のリードが上手なのだわ!』ということだろう。
「うん、大丈夫そうだな」
やがて戻ってきた二人に、エリューシアは満足そうに頷きかけた。
「むしろ問題は、アンジュレインの方だな。神官だから、こういう心得がない方が普通だ。もし駄目なようなら、別な相手を探すしかない」
「はい」
琴音が少し不安そうな顔をしたのは、見知らぬ相手と公式の場に出る可能性を考えたからだろうか。
「いや、エスパシアとの最初の一曲だけを終えたら、その後は好きにしていいのだから、相手を変えて踊ってもいい。私か、エリューシアが」
レナードがぼそりと口を挟んだ。この人の長い台詞は初めて聞いた。
それにしても、気になるのはレナードの言った内容だった。エリューシアは王子だし、社交のために他の姫君の相手をすることも考えられる。そうなると自分は放っておかれることになるわけだが、お義理で相手をしようという奇特な人が、ダンスに誘ってこないとも限らない。そうなると、やはり付け焼き刃のぐだぐだなダンスでは駄目だということになり……。
月香は、ちらりとエリューシアを見やった。一緒に練習してみた方がいいと思ったのだ。
だが。
「エリューシア、そろそろ」
「ああ。もう時間か」
レナードが促すまま、上司の王子様はさっさと出口へ向かった。ダンス講師が頭を下げて見送る。別れの挨拶すらなかった。
「さて、あと一時間練習して終わりにしましょう」
偉い人二人が出ていくと、ダンス講師は元のテンションに戻った。琴音はまだ夢見心地の表情で、ちょこちょこと月香の横に並ぶ。実践が役に立ったのか、立ち姿もさっきに比べてずいぶんよくなっていた。
そういえば自分は完全に無視されていたな、と月香が思ったのは、練習を終えて秘密のシャワールームを堪能しているときだった。




