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36.普通なら萌える展開……ですが。

 華乃子が補佐として清子やその他の重臣達と護衛を引き連れて南へ出発してしまうと、留守中のことは事実上エリューシアに責任がのしかかってきた。

 何しろ、父と叔父は相変わらず不仲だ。華乃子が懇々と説明し諭していった話は、二人ともきれいさっぱり忘れることにしたらしい。こういうところばかり息を合わせてもらっても、困るのはただただ周りの者達なのに。

 というわけで、エリューシアは大好きな城下の視察にも行けないまま、何日も執務室に籠もらざるを得ないというわけだ。

「ストレスは貯めすぎるとよくないそうです」

「んなこと言っても、どうにもならんだろう。父上に印形を渡すと、無駄な認可が膨大に降りて大混乱になる」

 月香と話しながらも、エリューシアは書類にせっせと目を通し必要ならば判をついていく。

 国王の印形は、もちろん本来なら父にしか扱えないことになっているのだが、華乃子と心ある重臣達がうまく父を言いくるめ、『国王代理』としてエリューシアが王の執務の大半を処理できるようにしていってくれた。

 もっとも、最近の父は弟との政争の方で頭がいっぱいだから、少しでも自分の手でしなければならない仕事が減るなら願ったりだったのかもしれない。

「殿下、どうぞ」

 ようやく仕事が一区切りついたところで、月香は見計らったように茶を出してくる。いや、実際見計らっているのか。

「ああ、すまない」

 短く礼を言ってカップを口元へ運びながら、エリューシアは書類を分けている月香の後ろ姿を眺める。

 祖母の世界の動きやすい衣服をいつも身につけて、仕事をしている間はほとんどあちこち移動したり、何かしらの事務をこなしている。きちんと化粧された顔は美しいが、華美ではない。無駄口も利かず、仕事も速い。理想的な秘書官といえる。

 月香と同い年くらいの女性達は、華やかなドレスを身に纏い人目を惹く化粧と賑やかなおしゃべりを好む。少なくとも、エリューシアの知る範囲では。

 異世界の娘というのは、彼女のような女性が多いのだろうか。

 一瞬そう考えたが、エリューシアはそれを自ら打ち消した。月香と一緒に異世界から毎日やってくる少女は、まったく正反対だからだ。

 琴音は明るく賑やかで、そそっかしくて時々おどおどしている。基本的には、とにかく元気がいい。要領のよさとかとっさの判断力などは、あまり彼女には期待できないが。

「殿下、もう一杯お注ぎしましょうか?」 

 じっと見つめていたのをお代わりの催促と解釈したらしい月香は、ポットを取り上げようとする。それを片手を上げて制して、エリューシアは改めて月香を正面から見つめた。

「仕事ばかりで退屈しないか?」

「街の見回りは駄目ですよ。まだ処理の済んでいない案件がこれだけありますから」

 月香が手で示したのは、傍らのチェスト。山なす紙の束は未だ丈高く、ほんの一時間の休息でもとろうものなら翌日に泣きを見るのは明らかだ。

「わかってる。やれやれ、相当はかどったと思ったんだが」

「朝の段階から、三分の二は処理が終わっています。私も残業はしたくないので、もう少しがんばってください、殿下」

 淡々とした口調ながら、言いたいことはしっかり口にする。だから月香はおもしろいのだと、エリューシアは思う。

 おもしろいといえば。

「月香、一週間後にパーティがあるんだが」

「はい。存じ上げております」

 優秀な秘書官は、エリューシアの来月の予定も完璧に把握しているはずだ。いつも身につけている手帳を見もせずに、彼女は間髪入れず答える。

「それに、私のエスパシアとして出席してほしい」

「えすぱしあ?」

 月香はしばし、考え込む素振りを見せたが。

「はぁあっ!?」

 直後、部屋中に反響するほどの素っ頓狂な叫びを上げた。

「ななな何をおっさってますか殿下! エスパシアって、公式のパートナー役じゃないですか!」

 いつも小憎らしいくらい冷静な彼女が、顔を真っ赤にしてまくし立てる様は、予想通り見物だった。

 エスパシアとは、公式のパーティーなどにおける相手役のことである。すでに結婚している場合は互いの伴侶がエスパシアを務め、未婚であればふさわしい相手を捜さなければならない。だいたいの場合は婚約者かそれに類する立場の異性、そういう相手もいなければ兄弟姉妹を伴う。

 ということを、月香は滔々と述べた上で、尚も狼狽えながら辞退したいと主張する。まだ顔も赤い。

「そう深く考えなくていい。お前の言ってるのは、建前上のことだ」

 さすがにそれを見て、可哀想になってきた。

「結婚を前提とした異性が多くなるが、まあそれは都合がいいからというだけのことだ。だが私の場合、そういう相手を迂闊に立てられる状況じゃない」

「ああ……」

 実際的な話を始めると、月香も落ち着いてきたようだった。うなずいて、考え考え言葉を継ぐ。

「やっかいな親族の姫君を、婚約者にされようとしていらしたんですよね」

「ああ。その『やっかいな親族』は、未だに権力の中枢に食い込んでるときた。下手に機嫌を損ねて、父や叔父上にちょっかいかけられたらたまらない」

 だから、軽々しく他の当たり障りのない姫をエスパシアにするわけにもいかない。アステルは、同じく政治的に微妙な立場にいるレナードのエスパシアをすることになっている。

 誰にとっても無害で、第一王位継承者のエスパシアになっても問題ない女性と言えば。

「私か、琴音ちゃんってことになるんですね」

「その通りだ。しかし琴音はちょっとな……」

 エリューシアは苦笑する。ただの気楽な宴ではないのだから、そういう場に連れていくにはあの少女では心許ない。おかしな駆け引きに巻き込まれたら気の毒だし、何より自分達の命取りにもなりかねない。

「私も、それほどうまくやれるとは思いませんが」

「大丈夫だろ。私の秘書官だし、重鎮の名前と立場肩書きくらいは把握してるな?」

「はい」

「なら問題ない」

 エリューシアは勢いよく立ち上がり、驚いた月香が身を引くより早くその手をつかんだ。

「そうと決まれば、しなければならないことがある。早速取りかかるぞ」

「え? あの、でも、書類が……」

「明日でも差し支えない。まずはお前がエスパシアとして恥ずかしくないよう、準備が必要だろう?」

「準備って」

 エリューシアは、月香を部屋の中央まで引っ張っていった。とりあえず、障害物はないのを確かめて、状況がつかめていない様子の月香を。

「うぎゃあ!」

 腕の中に抱え込み、腰を支えた。

「やはり、舞踏の心得はないか」

「へ? お、舞踏?」

 リンゴのような顔で呆然としていた月香が、次の瞬間一気に青ざめた。

「ま、まさか……」

「パーティでの相手役だ。踊れなくてどうする?」

 基本のステップの一歩目を踏み出したエリューシアの腕の中で、月香は珍妙な叫び声を上げながらとんでもない角度にのけぞった。

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