34.それは確かに、小さいけれど大きな
茶葉はどうやらこの国原産のものらしかった。見た目はほうじ茶葉のようだったが、数分熱湯で蒸らしたのちカップに注がれた液体は、透明な金色をしていた。香りはどこか甘く、飲んでみると香ばしい。
「お口に合いましたか?」
「はい、おいしいです」
お茶を淹れてくれたアンジュは、小さく微笑んで自分もカップに口をつけた。
共用スペースともいうべきちょっとした広さの部屋にいくつかのテーブルといす、小さな台所がしつらえられていて、王宮で働いている者ならここを自由に使っていいのだとアンジュは説明した。今は日暮れ時で少し薄暗いが、南向きなので晴れた日は日差しが気持ちよいのだとも。
「この時間は、あまり利用する人はいないようですね」
「そうなんですか?」
「ええ、王宮にいるときは、たいていこの時間帯にここに来ますから」
アンジュは言いながらカップを置き、かわりにクッキーに手を伸ばした。
くまさんクッキーだった。
これを作ったルドルフは、お菓子が自分と似た形状であることに何とも思わなかったのだろうか。あるいは、彼の主人らしいマネージャーは。
まあ、人間であってもジンジャーマンクッキーは抵抗なく食べられるのだから、そういうものなのかもしれないが。
「ん。おいしいです」
くまの顔の半分ほどを食べて、アンジュはにっこりした。月香もつられてクッキーに手を伸ばし、三分の一ほどをさくりとかじりとる。
歯ごたえがよく、ほんのりと甘いバニラの香りがする。甘さ控えめで、手作りらしい素朴な味わいだ。
「月香は料理が上手ですね」
「え?」
思いもしなかったことを言われ、月香は危うくクッキーを喉に詰まらせるところだった。
「そのあたりで買ったものではないようでしたし、形も不揃いだからご自分で作ったのかと思いましたが」
「いえ、手作りは手作りなんですけど、もらいものなんです」
そう言うと、アンジュはただ「そうでしたか」とうなずいただけだった。
そして、会話が終わる。
お互いクッキーを食べるかお茶を飲むかだけの、とても気まずい時間が流れた。
自分はいつもこうだ。
同性ともだが、異性と話していてもすぐに話が続かなくなる。切り口上で断定的な上、すぐ何かにつけて結論を出してしまうから後を続けにくいのだと、高校からの友人がアドバイスしてくれたことがある。
それからしばらく、改善しようとあれこれやってみたこともあったが、結局この有様だ。
かといって、意味のない話をぐだぐだと続けたり、単に相づちを打つだけの追従じみたやりとりも好きではない。
どうしていいかわからないまま、月香は顔を上げた。
アンジュが正面にいる。上品に、少しずつクッキーをかじっている。かすかに聞こえるさくさくという音が、妙に温かく響いた。
「すみません」
クッキーがなくなり、アンジュがゆっくりとカップを傾けてまた受け皿に戻したとき、彼の方からそっと沈黙を破った。
「あまり、話し上手ではないので。退屈ではありませんか?」
「いえ、そんな」
月香はうろたえて首を振ったが、どこか安堵も感じていた。
今の自分の気持ちが、そっくりそのまま彼の声で形になったようだったから。
「私も、あまり会話が得意じゃないんです。おもしろいことを知ってるわけじゃなくて」
「話をすること自体は、お好きですか?」
「……どうでしょうね」
考えたこともない。数少ないが親しい友人達と過ごすときは、無理にひねり出さなくても何かしらの話題は常にあったから。
「でも」
アンジュは、空になったカップを置いて、ポットに湯を注いだ。
茶葉を蒸らす間、じっと待つ。
虚空をスターサファイヤに映して。
月香はあまり、異性を気に留めたことはない。かっこいいな、とちらりと思うことがあっても、それで終わってしまう。
けれど。
黒い髪がゆるりと流れる頬の繊細さ、青い瞳の静けさ。整った顔立ち。
美しい、という言葉が、自然に胸の中に現れた。
「沈黙は、悪いことばかりではないと思いますよ」
ポットを動かす微かな音で、月香は我に返った。
何を、していた。
何を、考えていた。今。
あわてて下を向く。首の周りが、熱い。
首から上が。
「少なくとも、私は好きですから」
「え?」
驚いて思わず顔を上げた月香の前に、なみなみとお茶を満たしたカップが置かれた。新しく淹れ直してくれたらしい。
「あなたと静かに過ごす時間が好きだと、私は思いましたから」
ほとんど空気を動かすことすらしない、そんな声だった。
なのに言葉は真っ直ぐに月香の中に入り込んで、緩やかに溶けた。