31.作戦概要及びくま
重い頭と身体を引きずって事務所に戻ると、テーブルの上に紅茶とクッキーが用意されていた。
「おかえりなさいなのじゃ、月香」
しゃべって動くくま、ルドルフがちょふちょふと出迎えてくれる様はとても和んだ。
「ただいま、ルドルフ」
「うむ、おつかれさまなのじゃ。このクッキーは、ルドルフとごしゅじんでつくったのじゃ。たべてげんきをだすのじゃ」
舌っ足らずなのに重々しい物言いに、いつもおかしくなる。もふ手に手を取られ、月香はテーブルまでエスコートされた。
「おかえり、月香。今日は大変だったようだな」
「はい、ちょっといろいろありました」
マネージャーは、すでに琴音からだいたいのことは聞いているようだった。話を向けられるまま、月香はその後最終的にどうすることになったのかを説明する。
「それで、とりあえず皇太后殿下が外向的なやりとりでなんとかシディアさんとその身内を助けるようにまず動いて、それでもだめなら牢破りをしようってことになったんです。そのときは、シディアさんが陽動を引き受けるって」
「なるほどな。彼としても、足を洗いたいのだろう」
「ええ。自分達をひどい目に遭わせたやつらなんかの手先ではいたくないでしょう。一族の人にも協力を取り付けられればいいけど、連絡を取り合ってるのを見つかったら危険だからってとりあえずそれは保留になりました」
話し合いの後やっと重い口を開いたシディアが言うには、皇国に妹が人質に取られているのだという。しかも危険にさらされているのは彼女の命ばかりか、その身体までもなのだと。
「なんという悪代官!」
「ほんとですよね」
両拳を握りしめて身を乗り出すマネージャーに、月香はうなずく。
「うむ、そんな奴は帯くるくるのあとにぼこぼこにされればいいのだ」
「帯くるくる?」
「よくお銀がやるやつだ」
どうやら、ご老公の時代活劇のファンらしい。
それはともかく。
「外交でうまくいけば一番だな。華乃子は大ベテランの最強皇太后だから、すんなりいくかもしれない」
「そうですね」
牢破りをするとなったら、自分と琴音に重要な役割が振られることになる。清子も協力してくれるとは言っていたが、何しろ初めてのことだからいろいろと不安だ。
そしてできれば、経験者になるのはこの先遠慮したいが。
「月香は、政治に向いているかもしれんな」
「え?」
クッキーを食べようとした月香の手は、口の少し手前で止まる。
ぽかんとマネージャーを見返すと、緑の瞳が笑みに溶けていた。
「情報を整理して、的確に意見を出すというのはすばらしい能力だ。その方面の勉強をすれば、大臣も夢ではないのだ」
「大臣?」
どきんと心臓が高鳴った。緩みそうになる頬を、必死で抑える。
マネージャーは腕を組み、重々しくうなずいた。
「うむ。そうじ大臣だ」
「どこののび太くんですか」
一瞬胸をときめかせたのが馬鹿だった。
一気に疲れが出た月香は、荷物をまとめて立ち上がる。
「それじゃ、今日はもう帰りますので……」
「あ、せっかくだから持っていくといい」
マネージャーとルドルフは、てきぱきとクッキーを箱へ移した。よく百円ショップで売っている、プレゼント用の小箱だ。きちんと箱の底にナフキンを敷いて、なぜかリボンまでかけてくれた。
「ぼうふざいははいっていないので、おはやめにおめしあがりくださいなのじゃ」
「う、うん。ありがとう」
ちょふっと箱を差し出してくれたルドルフを、軽くなでる。「わーい」と小躍りする様がかわいらしかった。
そういえば、かわいいで思い出したが。
「レマちゃん、最近見ませんね」
「ん?」
黒い髪に金の目の人なつこい赤子は、ヴィヅまでついてくる勢いだったのが嘘のようにここ数日顔を見せない。
「ああ、今親元へ帰っているのだ」
「そうでしたか」
考えてみれば、異世界までよちよち遊びに行っていいような年齢でもないのだ。どうやら社長は赤子の兄のようだが、付きっきりで面倒を見るわけにもいかないのだろうし。
やはり、小さい子は親のところにいるのが一番いいのだ。精神的にも、実際的にも。
「明日にはまた来るのではないかな。二人のことを心配していたし」
「そうなんですか?」
思わず微笑んでしまう。どちらかというと琴音になついているようだが、かわいい子供がよちよちしている様は見ているだけで癒しだ。
「では、また明日よろしく頼む」
「はい、お疲れさまでした」
きちんと挨拶をし、鍵を使って事務所の扉を開ける。見慣れた自分の部屋の玄関は、朝出てきたときのままだ。郵便受けから投げ込まれた、ダイレクトメールなどのたぐいが三和土に散らばっているくらいの些細な違いしかない。
今日の夕飯はどうしようか。考えながら月香はばたんと扉を閉めた。
くまは癒やしです。我が家には、くまが34くまほどもふもふしてます。