22. まじかる琴音
「ライトニングローズスマッシュ!」
琴音が呪文を唱えつつ、ラケットを振り抜いた。
ミットが弾いたボールは、中空に打ち上げられていきなり光る薔薇の花弁に変わって降り注ぐ。
キラキラとした光の乱舞に、王女はやんやと手を叩いた。
「すごいですわ、琴音様!」
「えへへ、それほどでも」
くまのルドルフにもらった『アルティメットマテリアルプライオリティ』を、丸暗記する勢いで読んだおかげだ。ちなみに、宿題をしないと絶対中を読めないのでそちらも頑張った結果、ちょっとだけ成績も上がった。ありがたや。
「異世界の巫女姫は、本当にお二人とも優秀ですことね。琴音様は魔法、月香様は王宮内の事務整理」
おっとりと微笑むアステルに、琴音は曖昧に頷きを返した。
バイトを始めて、早いものでもう二ヶ月。お給料が想像よりもずっとよくて、つい最初の給料日翌日にショッピングモールに突撃した琴音だった。
仕事としては、特に具体的に何をしている、と説明するのは難しい。毎日王宮へ来て、その都度必要なことを手伝っている感じだ。例えば庭の掃除とか、この一週間くらいであればアステルの話し相手と、『ご学友』という立場として一緒に勉強することなど。
そもそも放課後に来ているアルバイトでなぜまた勉強しなければならないのか、という疑問はどういうわけか琴音には浮かばない。勉強と言っても数学や化学などではなく、ファンタジーの設定のような歴史の勉強や魔法について学ぶことが主なせいかもしれない。
そんな琴音を余所に、月香はいつも忙しそうに動き回っている。
どんなことをしているか、琴音にはよくわからない。だがエリューシアやレナード、アンジュ達の会話から月香がとてもすごいことをしているというのは伝わってきた。
オフィスのドーセンを改革して、ギョウムジョウの無駄な動きをなくした。
オフィスデザインを変えて、パーソナルスペースを確保したことで仕事のノウリツが上がった。
センモンブショを整理し、ギョウムナイヨウをタンジュンカすることで、ショリソクドが向上した。
ほとんど脳内で漢字変換できない難しい用語が、彼らの口から飛び出していた。そして必ず、月香の名前がそこには絡んでいた。
優秀な人なんだな、と改めて琴音は痛感した。
ずっと年上で、社会人として何年も働いていた人なのだから当然なのかもしれない。でも、自分にできないことをさくさくこなしている人が身近にいると、どうしても思わずにいられない。
――自分は駄目なんだ、と。
魔法を一生懸命覚えるのは、劣等感を消し去りたいからという理由もある。何かしていないと落ち着かないし、何かができるようになったと思えることがないと辛いのだ。
「何だ、魔法の練習か」
エリューシアが、レナードを伴ってやってくる。早速アステルは手元のノートに何かを書き付け始めたが、表情だけはおっとりした笑みを保っている。さすがだった。
高速で動くペンがいったい何を描いているのかは、想像したくもない。
「こんにちは、王子様。レナード様」
だから、琴音はアステルに完全に背を向けて二人の青年にぺこんとお辞儀した。
「アステルの勉強を手伝ってくれてるそうだな? 助かっている」
「は、はい! あ、いえ、手伝うなんてそんな」
難しいところにぶつかったら、二人してうんうん唸っているだけである。
「琴音様のおかげで、お勉強が楽しくなりましたわ」
ノートをぱたんと閉じて、王女も言う。
さらにレナードが優しく微笑みかけてくれて、琴音はもう少しでこの間の二の舞を演じるところだった。
クールダウンクールダウン、と頭の中で百回唱える。とにかく落ち着かなければ。クール、クーラー、クーレスト。
「これからも仲良くしてやってくれ」
「はい、王子様」
おまじないが功を奏し、何とか取り乱さずに済む。エリューシアの美形スマイルに見とれつつ、琴音はほえほえと笑った。
その時だった。
エリューシアの遙か後方、王宮の屋根の上に、何かが光って見えたのは。
あとから思い返しても、その時何かを考えていたとは思えない。
ただ咄嗟に、身体が動いて叫んでいた。
「王子様危ないっ!」
絶叫にエリューシアが振り返り、そんな彼をかばうようにレナードが覆い被さって。
「レッドアローレボリューション!」
琴音の解き放った魔法の力が、すごい速さで王宮の屋根に向かって飛んでいき。
あとは、大騒ぎになった。