19.攻略本
( *^ー^)妄想琴音パニックの元ネタは、『おぶんちゃん』だったりして。え?知らない?
夜鳴きそばの重助爺さんの孫なんですよ。
さあ、知ってる人なら知っている。
「お手数おかけしました」
ベッドの上で深々と土下座するのは、薄茶のふわふわ頭。
別に叱責もしていないが、彼女にしてみれば上げる顔など無いだろう。
シーツに突っ伏したふわふわドレスに包まれた背中が小刻みに震えているのを眺めながら、月香はやれやれと額に手を当てた。
遡る事十数分前。
パニックで支離滅裂なうわごとを口走る琴音の頭に、月香は冷静なチョップを叩き込んだ。
「ぴ!?」
そして思わぬ衝撃に驚いて停止した琴音ににっこりと微笑みながら、がっちり肩を掴むとこう言い放つ。
「琴音ちゃん、少し、お部屋で休みましょう。殿下方、レナード様、失礼します」
月香のいきなりな攻撃で唖然とした一堂の誰にも口を挟ませずに、月香は琴音を控え室に宛がわれた部屋に連れてきて、移動中に正気に返った琴音は、ベッドに座った直後に土下座を始めて今に至る。
「レナード先生ね」
へどもどしながら騒動の顛末を語る琴音に、月香は思わず噴き出した。
なかなかどうして、良い語感じゃないか。
「昔から時々やっちゃうんですよね…よく友達に『痛い子』って言われます」
土下座のまま、顔をシーツにすり付けて琴音がもにゅもにゅぼやいている。
それにしても綺麗な土下座だ。
きちんと膝を折り、爪先も踵もはみ出さない。その上に乗ったお尻は突き出される事無く鎮座し、すっきり伸びたまま下げられた背筋からシーツに付けられた額迄が二等辺三角形を作り上げている。両脇に引き寄せられた肘はけっして張り出さず、肩に隠すように伸ばされた手が額を受け止めていた。
歌舞伎役者が舞台挨拶で披露しているあの大仰な御辞儀とは一味違う、身を縮め謝罪する真摯な日本人の姿だ。
とはいっても、一欠片の迷惑も月香は被ってないないのだが。
こんな所作が身に付いているあたり、琴音の家はそれなりに良いところなのだろう。
「まあ、気にしてないから……」
「ううう」
泣いているのか呻いているのかわからない声だった。
どうしようかと考えつつも、もう放置していいかなぁとも思う月香である。
「次、気をつければいいから」
「はう……」
それは、答えなのか。ただの音なのか。
舌打ちしたくなったのを、辛うじて堪える。
琴音の時計のアラームが鳴ったのは、まさにグッドタイミングだった。
「さ、今日はもう帰って、明日またね」
「はい……お疲れ様でした」
のろのろとベッドから降りて、琴音はくてっと上半身を折る。礼をしたつもりだったのかもしれない。そのままのそのそドアへ向かって鍵で開け、またくてっと身体をうねらせてその向こうへ消えていった。
月香は、ドアの閉まる音と一緒に舌打ちして、がりがりと頭をかきむしった。
琴音はしょんぼりとロココな事務所に戻ってきた。
いつもは心踊る豪華でシックな部屋も、自己嫌悪と挫折感で潜水中の現状では、なんの感慨も与えてくれない。それもまた、撃沈に拍車をかけてくる。
やってしまった。
超痛い子を曝してしまった。
しかもその後のパニックで、なんのフォローすらできず、混乱と不様な騒ぎを一人で熱演してしまった。
「もう王宮行けない」
情けなくて恥ずかしくて。
すごいバイトなのに、二日目で盛大にコケてしまった。
ロッカーから預けた荷物を取り出しながら、首からチェーンで下げられた鍵を見る。
最高のバイトなのに、自分はなにもちゃんとできなかった。
琴音の気分はどんどん沈んでいく。 学校でも家でも、回りの人が助けてくれるからなんとかイケている。ずっとそんな無能な自分が嫌だった。
だから、『あの』失恋から心機一転、自分で頑張っていこうとバイトに応募したのだが、結果はこれだ。
結局、『彼』が言った通りに、自分にはなんにもできないのか……。
せっかく優しく頼りになる先輩もいたのに、迷惑しかかけていない。
王宮にもだが、月香にも顔を見せれない。
やはり自分は役立たずだ。
「はぁ……」
思わず膝を抱えてしゃがみこむ。
膝に額を付けて深い息を吐く琴音の肩を、てふてふとなにやら柔らかなモノが触れた。
とてもふわふわした、重さを感じないくせにたしかな力を感じる。
そして少し高い声が耳朶を打つ。
「おじょちゅう、どうしたのじゃ?」
「へ?」
妙な言葉に思わず顔を上げる、可愛い声なのに、まるで時代劇の様な口調がアンバランスだった。
そして眼前にあるモノが更なるアンバランスさを強調する。
「なぜないているのじゃ?」
ソレはふわふわしていて柔らかいのが見ただけで判って、多分軽い。
「かなしいことがあったのじゃ?」
ふわふわの前肢(?)が頭を撫ぜてくる、柔らかな感触が見た目そのままだ。
「げんきをだすのじゃ」
動く筈の無い表情が、にっこり笑いかけてくるのを見ながら、琴音はやっと声を絞り出した。
「ファーファ?」
くまのぬいぐるみだった。もっふもふでたふたふでちょふちょふの、めちゃくちゃかわいいくまのぬいぐるみだった。
「さ、こんなところではおちつかないから、ソファにすわるのじゃ」
こいつ……動くぞ!
琴音の夢か妄想でないとすれば、確かに間違いなくぬいぐるみは動いていた。そしてしゃべっていた。 柔らかいもふ手に手を取られ、ソファに連れて行かれても琴音はぼけっとしていた。ようやく声が出たのは、もふもふしているのに服装はびしっとイングリッシュジェントルマンスタイルのそのくまが、おしゃれなティーセットを載せたお盆を運んできて、配膳も美しく整えた直後だった。
「くまがしゃべった!」
「うむ。ルドルフはファジーきのうとうさいがたじりつがくしゅうロボットなのじゃ。うごくししゃべるのじゃ」
ルドルフという名前らしい。
くまは、よちよちと琴音の向かいのソファによじ登り、ぽふっと座った。
かわいい。
一気に琴音は和む。いや、むしろ萌える。
だっこしたい。ぎゅーしたい。
「して、なぜないていたのじゃ?」
どうやって持っているのかわからないが、もふ手で器用にティーカップを傾けながら、ルドルフはそう言った。
そうだった、と琴音は思い出す。バイトで大失敗をして落ち込んでいたんだった。
「実はね……」
めそめそしながら、琴音は一部始終を話す。ルドルフは話の途中から琴音の隣へ移動してきて、髪をもふなでしながら聞いてくれた。
いい人だ。いや、いいくまだ。
「だれにでもしっぱいはあるのじゃ。せいかくは、こせいなのじゃ」
ぽふぽふと肩を叩いて、ルドルフは琴音にハンカチを差し出す。さすがジェントルマン、小道具の準備も完璧だった。
「つぎにいかせばいいのじゃ。どうしたらいいかわかっているなら、琴音はもうだいじょうぶなのじゃ」
「ルドルフちゃん……」
優しく慰められて、また涙腺が緩んできた。ぴちっとアイロンされたハンカチを目に当てて、琴音はぶへーとしばらく泣いた。
「そうじゃ、ごしゅじんからあずかっていたものがあったのじゃ」
琴音が泣き止んだのを見計らったように――実際空気を読んだのだろう、ジェントルマンだから――ルドルフはたしっとソファから飛び降り、アンティークな机の蓋を開ける。そして何かを一生懸命抱えて、よちよちと戻ってきた。
「それは?」
重そうなので駆け寄って手を貸した琴音にルドルフが渡したのは、一冊の本だった。某魔法学校のファンタジーに出てきそうな、皮で装丁されたとても古めかしい、重たい本。
「これはごしゅじんが、琴音のためによういしていたものなのじゃ」
ご主人というのは誰だろう。マネージャーだろうか。
「タイトルは、『最終攻略本』というのじゃ。ヴィヅでつかえるまほうのごほんなのじゃ」
「魔法!?」
琴音は急いで頁をめくる。開かれたそこには、振り仮名付きで魔法の使い方が書かれていた。
1.まず、気持ちを落ち着けます。
2.お腹の辺りに気持ちを集中します。
3.呪文を唱えます。
4.できあがり。
「すごい!」
しかも、図説付きだった。本の厚さは、ちょっとした辞書くらいある。これならよほどたくさんの魔法が載っているに違いない。
琴音は、すっくと立ち上がり、鞄を取りにロッカーへ飛んでいった。
「ありがとう、ルドルフちゃん!」
本を鞄にしっかり収めて、着替えを終えた琴音はルドルフに向かって思いきり笑ってみせる。
「明日から、また頑張るから!」
「うむ。ヴィヅのうんめいは、琴音にかかっているのじゃ」
「うんっ!」
紳士なくまは、ドアを開けてお見送りまでしてくれた。階段の下でもう一度手を振ってから、琴音は外へ駆け出して駅へと向かう。
帰ったら早速、魔法の使い方をトレーニングしなければ。
意気揚々と顔を上げて、月香なら半分で音を上げるだろう駅への道を走り抜けた元気娘。
だがしかし、帰宅の挨拶もそこそこに自室へ飛び込んだ琴音は、ワクワク開いた一ページ目で頭を机に打ち付けた。
果たしてそこにはこう書かれていたのだ。
『宿題やったか? 手は洗ったか? うがいはしたか? 飯はちゃんと食って、 予習忘れるなよ』
この日から、琴音の宿題が忘れられることはなくなった。