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17.王子様の秘書~初めての仕事は危険がいっぱい~

 昔から、祖母には頭が上がらなかった。

 二十五の誕生日を過ぎても、それは変わらない。

「というわけでね、この国の文化とか歴史とか、あと知っておいて損のない作法とかね。その辺りをまず教えてやってちょうだい、エリューシア」

 かつてこの大陸の平和を作るのに貢献し、未だに大陸の要人達(男)の心をがっつり掴んでいるという伝説の巫女姫。それが皇太后である彼の祖母である。今も在りし日の美貌を失っていない女傑に、その孫であるエリューシアはどう答えようかと思案した。

 しかしどう答えたところで、実は彼にはもう選択の余地など残ってはいない。祖母の決定は国の決定なのだ。国王である父ですら、彼女には逆らえないのだから。

 故にエリューシアは無駄な労力を使うことはやめ、実際的な方法をとった。

「その……月香とやら、どんな娘ですか?」

 明日から自分の秘書官になるという異世界の巫女姫の、できる限りの情報収集。

 祖母は満足げな笑みを浮かべ、「そうだねぇ」と口を開いた。

「美人ではないわね。でも体つきは立派なもん。変な気を起こすんじゃないわよ」

 なら最初からいらないのではないか、その情報。

 心ではそう思うが、エリューシアは黙って頷くだけにとどめた。長年彼女の孫をやってきて身につけた処世術である。

「仕事はまあできるらしい。秘書は初めてだってことだけどね。事務にゃ違いないし、あっちの秘書とはかなりやる事が違うから臨機応変にやってくれとは言っておいたわよ。見込みのある娘だわ」

 祖母はそこで、にやりと笑った。

「あんたも私達の遺伝子ばっちり受け継いで、相当顔はいい。謁見したんだから、ちゃんと間近で見ているはず。なのに、どうやらあんたの顔に用はないらしいわ」

 エリューシアは、軽く目を瞠った。

 どうも自分の顔立ちは整っている方だという自覚はある。宮廷での催し物があると寄ってくる年頃の娘達――どうかすると大昔娘だった夫人達までも――が自分を見るとき、決まってうっとりするから何となくそういうものなのだと思うようになっていた。しかしだからといって別に人生に何の支障もないし、不細工よりはいいか、くらいにしか考えていない。

 不快なのは、この顔を眺めているだけで満足する女達の態度だ。

「あんたの理想の異性像が相当ハイレベルなのはわかってるわよ」

 彼の内心を見透かしたように、祖母は言った。いや、きっと彼女には何もかもわかっているのだろう。だからこそ未だに、他国からその外交手腕を恐れられているのだ。

「女性不信気味なのもね。でもね、あんたの見てきた狭い範囲の女どもが女のすべてじゃないのよ」

 それはわかっている。市井に降りて、お高くとまった乳臭い貴族の姫君達とは正反対の、逞しくて計算高い女も山ほどいるのだと知った。どちらかというと、そんな女達の方に親近感を覚えはする。

「つまり……口説けと?」

 手を出すなと言っておきながら?

 なんだかうんざりしてきて、つい投げやりな言葉が口を突いた。祖母はからからと笑う。

「そこまでは言ってないわよ。あの娘は私の後輩で大事なサナからの預かりもの。下手なことしたら斬るからね」

 祖母は巫女姫だった頃、『斬滅女神』と称され人々を恐怖のどん底に陥れていたそうな。

 エリューシアは、内心の面倒くささを極力表に出さないよう細心の注意を払って一礼した。

「御意のままに、皇太后陛下」



 美人ではないが、身体つきはたいしたもの。

 なるほど祖母の評価は正当だった。

「よろしくお願いいたします」

 折り目正しい動きで一礼する月香を、エリューシアは無関心に眺め小さく頷いた。

「秘書官だから、歴史や王宮での作法を教えてやれと言われている」

「はい」

 月香はテーブルの上に、すでに筆記用具を広げている。小さな帳面と、『ぼおるぺん』という祖母のいた世界のペン。

 やる気はあるようだ。

 エリューシアは改めて、月香の顔を観察する。正確には、その瞳を。

 控えめにしているが、気が弱い方ではないのだろう。しっかりした眼差しをしている。光の加減のせいか鳶色がかっている濃い色の目は、エリューシアの間近い凝視にも臆した様子はない。それどころか、睨み返してきている。

 そういえば初対面の時も、王子という彼の身分に怯んだそぶりを微塵も見せていなかった。

 思わず、にやりと笑っていた。

「歴史の勉強は得意か?」

「正直、あまり。暗記は苦手でした。年号の数字の正確さは問わず、出来事の流れを覚えるだけなら何とかできます」

 要領のいい答え方が、ますますエリューシアの気に入った。

「実は私もだ。だったら、俺がやってきた勉強法で教えて構わないな?」

「はい」

 にこりともしない女は、早速『ぼおるぺん』を手にとった。そしてエリューシアがぽつぽつと語るこの国の歴史を、恐らく彼女の国の言語で帳面に書き付けていく。文の下に違う色で線を引いたり、要点をまとめて書き込んだりしているらしいことを見て取って、エリューシアは満足した。

 異世界の新しい秘書官は、まるきり『女』を感じさせない。

「月香、といったな?」

 切りのいいところで歴史語りをやめ、エリューシアは彼女の名を呼んだ。

「はい。河野月香です」

「昔の話ばかりでは辛気くさい。今のこの国を見たくはないか?」

 月香は、ゆっくり瞬きした。そして。

「今日の領地巡回は終了ではなかったのですか?」

 言葉の中に少しばかりの皮肉を見つけ、エリューシアは笑った。

「一日に二度行っても悪いことはないだろう。むしろ、油断した悪人どもに不意打ちを仕掛けられるかもしれん」

「……殿下、失礼ですが」

「ん?」

「王都でそんなに悪人が湧いているようでは、大問題だと思いますが」

 エリューシアは、真顔に戻って月香を見た。彼女はやはり無表情に近かったが、彼より先に祖母と会っていることからこの国の当面の問題についてはすでに聞いているのだと察せられた。

「この国は荒れている。いや、国の中枢である宮廷が混乱のただ中にある」

 父と叔父の顔を思い浮かべる。昔は仲がよかったのに、今では反目しあって口も利かない。

「能力と権力は、ある程度同等であるべきだと私は思うな。どちらかが偏っていては役に立たない。父も叔父も、その偏りのせいでこの有様だ」

「……皇太后陛下は、お二人を心配なさっていらっしゃいました」

「父は隠居させて、叔父には存分に腕を振るわせ、ついでに大公を牽制しつつ私が即位しろって仰っていたんだろう?」

 月香は口を噤む。頷きさえしない。けれどそれが逆に、エリューシアの言葉を肯定している。

「遠慮することはない。情を挟まず考えれば、それが最善だろう。大公は野心家だし、明らかに王妃の祖父の立場を狙っている。私程度の若造なら御しやすいと踏んでるんだろう」

ふん、と鼻息荒く良い放つ。

 為政者には、打算と大鉈が必要だ。能力がみあわない者に座る椅子はない。

 実の父がその対象なのは実に遺憾だが。

「そうですか」

 彼の大見得に対して、月香の反応は薄い。

「何か言いたい事があるのか?」

 眉を寄せて月香を見据えるが、彼女は感情を見せない薄い笑みで見返す。

「有ることは有りますが、言っても多分気に入りませんよ」

 とぼけた返事だ。

 真っ正面から自分の睨みを受けて、眉一つ動かさない上にこのセリフとは中々肝の座った女だ。だからこそ、あの(・・)祖母が気に入ったのだろう。

「構わん。気に入らなかったら、怒鳴るだけだ」

「そうですか」

 彼女は物騒な台詞をさらりと流し、「では」と続けた。

「お父様と叔父様は、殿下が仲直りをさせて差し上げるべきかと思います」

 そして言い放たれた一言は、エリューシアを暫し絶句させる。

「仲直り?」

「はい。仮に殿下が即位されたとしても、国が混乱します。殿下の能力云々の話ではなく、国のトップが変わったことによる不可避の状態です。そこに大公殿下はつけ込んで来ることでしょうし、即位したばかりの若い国王が、年の功もある年長者をうまくかわすのは難しいかと。基盤が盤石ではありませんから」

 蕩々と流れるように言うだけ言って、月香は口を噤んだ。臆した様子も、怯んだ気配もない。ただじっとエリューシアを見て、彼の次の行動を待っている。

 怒鳴られるか。

 あるいは――と。

 エリューシアは、ゆっくりと頬に笑みを刻んだ。

 この女は、使える。

「その通りだ」

 勢いよく立ち上がり、月香の前に立つ。彼女は顔を上向け、目を細めてエリューシアを見上げている。

「国を乱すわけにはいかない。中枢にある者ならなおさら」

 手を伸ばす。彼の意図が伝わらなかったのか、戸惑った表情を見せる月香の腕を、強引に掴んで引き寄せる。今まで仮面のようだった女の顔に、初めて明確な感情が表れた。

「うわあっ!」

 という素っ頓狂な叫びとともに。

「気に入った!」

 かなり長身の月香は、間近で並んで立てばとても目線が近くなる。エリューシアの胸の辺りで、彼女の頭頂部が激しく動いていた。おそらくは、彼女を抱きすくめる彼の腕をふりほどこうとして。

 だが、もちろん彼は腕を放さない。

「街を見せてやる。少しおとなしくしていろ」

「ちょ、な、うひょああ!」

 月香を抱えたまま走り、ベランダから身を乗り出す。鋭く口笛を吹き、待っているとすぐに風に乗って微かな羽音が聞こえてくる。

 忠実な騎獣は、彼の口笛を聞き逃さない。

「飛ぶぞ」

「へ!?」

 頃合いを見計らい、エリューシアは月香を横抱きにし、手すりに足をかけた。

 ラッパのような音が聞こえたのは、まさにその時。

 エリューシアはにやりと笑い、そのまま手すりを乗り越えた。

「ぎにゃあああああああ!!」

 耳元で月香が叫んでいる。だがそれも、柔らかな衝撃と同時に止んだ。

「さっき見ただろ? 私の騎獣のアポロンだ」

 猫に鷲の羽根を生やした、巨大な獣の背中にしっかりと跨がり、エリューシアは月香の身体を支えてやった。

「え、あ……あのもふもふ」

 落ち着きを取り戻したらしい月香は、驚きに紅潮した頬のままアポロンの毛をそっと撫でた。すぐに笑顔になったのは、触り心地がよかったためか。

 笑うと、先ほどまでの怜悧な印象ががらりと変わる。

 エリューシアは二度ほど瞬きし、ふと視線を逸らした。


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