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169.区切り

 落ち込みがよほど表に現れてしまっていたのか。

 後ろから肩を叩かれて振り向いたエリューシアは、そこにアンジュの心配そうな眼差しを見つけて一瞬戸惑った。

「大丈夫ですか?」

「何が?」

「元気がないから」

 否定しようとしたのは、反射的なものだった。だが結局、溜息をつくだけに終わる。ごまかしは無意味だと、アンジュの表情から悟ったからだ。

「あちらで休みませんか? ちょうど、お菓子を持っていますから」

 アンジュは、抱えていた紙袋を軽く掲げた。温かそうだ。甘い匂いもかすかに漂う。

「甘党なのか」

「意外がられることが多いです」

 エリューシアは思わずくすりと笑い、それで少しだけこわばっていた心も解れたようだった。

 通りかかった侍従にお茶を頼み、日当たりのいい一角に置かれたテーブルに着く。アンジュの気に入りの休憩場所らしい。

「あまり人がこなくて、静かに休みたいときには格好の場所なんです」

「知らなかったな。これから私も利用させてもらうか」

 分けてもらった菓子は、パイだった。クリームとベリーがたっぷりで、見ただけで胸焼けしそうだった。

「よくこんな甘そうなものを……」

「それほどでもありませんよ」

 アンジュは、すでに一口頬張ってしまっている。その顔がとても嬉しそうに緩んでいて、おかしくなる。いつもの澄まし顔が嘘のようだ。

「兄上がいらして、挨拶をしていかれました」

 エリューシアも一口パイをかじったとき、アンジュはそう言った。こちらはすでに食べ終えている。

 『兄上』というのは、ルカのことではないだろう。わざわざ話題に出し、挨拶をしていったというのだから、昨日来ていったヴィラニカのことに違いない。

「レナード殿のことでいらしたのでしょうね」

「ああ……」

 詳しいことを話すべきか一瞬迷ったが、そもそも二人がどんなやりとりをしたのかすらエリューシアは知らないのだ。ヴィラニカは、頃合いを見て部屋に戻った清子とエリューシアに一言断って、そのまま清子に伴われてどこかへ行ってしまったのだ。残されたエリューシアに、レナードは何も語らなかった。

 ただその表情は、穏やかで落ち着いていた。

 それだけ。

「兄上にとっても、レナード殿は大事な存在なのでしょうね」

 アンジュは、光の方へ視線を転じた。黒髪がきらきらと縁取られ、スターサファイヤの瞳が輝きの影に染まる。

「私やルカ兄上の前で、あんな優しいお顔をなさるのを見たことがありません。シディアと話しているときとも違う。とても安心しきっていて」

 胸が痛くなる。

 なぜそんな風に思うのかと、問いつめたくなる。

 ほんの短い時間しか、ともにいなかったくせに。

 そんなわずかな間に。

「羨ましいです。そんな人を見いだせたことは」

 そこでアンジュは、俯いた。

「エリューシア」

 静かな声で、呼ばれる。

「月香のこと、どう思っていますか?」

 唐突に尋ねられて、すぐに反応することができなかった。レナードのことで頭がいっぱいになっていて。

 月香。

 未だ眠り続ける巫女姫。

「レマとサナの話では、ここ数日で目覚めるそうです。そうしたら、私とあなたで神との約束を果たさなければなりません」

 月香を早く目覚めさせるために。

 神の片割れが、とんでもない条件を持ち出してきたのだ。忘れていたわけではない。

 ただあまりに、いろいろありすぎてあわただしかった。

 いや、とエリューシアは首を振る。それはただのいいわけだ。

「たとえ約束を果たすためでも、私では彼女にふさわしくない」

 大切に想っていたはずの人を、こんなに簡単に意識の外へやってしまうような、未熟な人間では。

「それを決めるのは彼女です。私達はただ、選択肢を提示することまでしかできません」

 選択肢。

 自分と、目の前で光に包まれる黒髪の青年と。

「ふさわしいかふさわしくないかと言えば、私には最初から資格すらないんです。彼女の命を危険に晒した。さらに、騙して利用した」

 でもだからこそ、と彼は続けた。

「区切りをつけることだけは、したいと思いました。このままでいても、私はきっと彼女へのこだわりを抱き続けてしまう。それは、彼女に対してよくないことだと思ったから」

 今のままでは、詫びることすらできない、と。

「私には、私にできることしかできません。あとはせめて、後悔しないように前へ進む選択をすること……でしょうか」

「……前へ」

「ええ。どんな結果になっても受け入れる覚悟をすることもその一つでしょうね」

 受け入れる、覚悟。

「月香がお前を選ばなくても、それでいいと言えるのか?」

「悲しいと思うことはあるでしょうね。それをつらいと感じることも。でも、それは月香がそういう選択をしたということですから……。受け入れるのは、彼女を尊重することです。逆に結果を拒むのは、彼女をないがしろにすること」

 選択は誰にとっても自由なのだと、アンジュは言う。エリューシアにというより、己に対するように。

 レナードの顔が、ふっと浮かんだ。苦悩する顔、抑揚のない言葉。

 ヴィラニカと会った後の、何かを吹っ切ったような表情。

 いつも一緒だった。同じものを見て、同じようなことを感じてきたのだと思う。思って、いた。

 これからも同じなのだと、疑わなかった。

「そうだな……」

 レナード。大切な従兄弟。少なくとも、それはこの先も変わることはない。

 大切、だから。

「月香が目を覚ましたら、すぐに会いに行く」

 自分は、自分にできることを。自分の道を。

 誰かの歩みを妨げることは、すべきではない。

「何より、礼を言いたい。この世界を守ってくれた巫女姫だ」

「そうですね」

 きっと自分にとっての、それが区切りだ。

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