16.おばあ様の言う通り
「腐りかけっていうのかしら? 下手をしたら平安京並みにね。みぃんな、愛だ恋だとうつつを抜かして、平和を享受しまくってるの。勿論、政治は賄賂と汚職が蔓延手前よ」
不穏なセリフを上品に吐き出して、その人はニヤリと笑う。
初老よりちょっと上な老婦人は、今でもかなりの美女だった。
かつて戦争の火種になりかけたと謳われ、今も数ヵ国の元老院のおっさん達の忠誠をがっちり握るらしい女傑だそうな。
華乃子・北方・ルゥン・エンディミオン。
アンジュに引き合わされた老婦人は先の国王が側室を一人も持たずに寵愛した王妃であり、当然現国王の母で太后。ついでに、ウィヅ企画派遣社員として月香の超先輩、つまり前々任者である。
逆ハ―フルコンプ王道エンドを地で行ったタイプだな、と月香は思った。
「お前が手綱握っていて、何でそこまで」
呆れた声を上げたのは、何故か茶会の席に居る社長だった。華乃子の正体を教えてくれたのは彼だ。
代わりにアンジュは居ない。王宮内の司祭から呼び出されて退室していた。ついでに侍女達も人払いされている。もしかしたら社長が何か手を打ったのかも知れない。
そんな疑いさえ持つくらいのタイミングで、社長はアンジュが消えた途端に椅子に座っていた。
茶会にちゃっかり。
しょうもないだじゃれを考える自分を心の中でハリセンの刑に処しながら、月香は静かにお茶を啜った。
「美味しい…」
何てったってフォーナム&メイソン。一度は飲みたい老舗ブランド。最高級な英国王室御用達は、エンディミオン王室でも御用達だった。月一で皇太后御自らが銀座まで買いに行くらしい。例の鍵を使って。
銀ブラする皇太后……有り難みが有るんだか無いんだか。
「握ってなかったから腐ったの。しょうがないじゃない、いつまでも私がでしゃばっていたら息子がマザコン呼ばわりされそうだったのよ。可哀想でしょう? だから外交以外から手を引いて隠居したの」
ため息混じりに皇太后が話す事情は、世代交代の難しさがにじみ出ている。先代が優秀だと、次代は大変だよなぁ、などと顔見せだと思っている月香は完全に他人事だ。
謁見で見た王様は、ナイスミドルイケメンな顔以外の全身から凡庸さが発散されているボンボンだった。あれじゃあ配下の貴族や官僚が腐っても見て見ぬ振りだろうな。やはり、どこまでも他人事だ。
「先王が王妃の尻に敷かれていた弊害だ。とか抜かす馬鹿もいるみたいだな」
社長の嘲るような声に、皇太后は無言でうっとりと微笑んだ。
「死ぬまでお前の尻に敷かれてやる。人生楽しいだろうな。ってのがプロポーズの口説き文句だっけ?」
なんだその情けないのにイケメン臭いセリフ。
社長の問いに思わず皇太后を見れば、彼女は蕩けるような笑みで頷いた。
「有言実行で度量の広い、良い男だったわ」
なるほど、息子と孫を見れば顔がイケメンだったのは間違いないが、中身もかなりのイケメンだったらしい。故人なのが実に惜しい。やっぱり他人事に考えながら、月香はお茶請けのクッキーをかじる。
バターとクリームが利いていてかなり美味しい。
「ハワード英桀王か……でも長男は甚六。たった五年で国が腐った」
身も蓋もない社長へ、皇太后が深いため息を吐く。
「長男しか継げない王室典範で継承争いが無いのは良いんだけどね〜」
はっきり言って次男の方が向いてた。と母はぶっちゃけた。
人払いしてるから好き放題だなぁ、と月香は眺める。
「弟って、今、宰相してるんだろ? 公爵家に婿入りしてさ」
王弟って、普通は分家して公爵になるんじゃないの? 月香はちょっと気になったが、徳川家斉を思い出してお国それぞれだろうと納得する。
「今は名ばかりよ」
皇太后は苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
美人が台無しだ、あの顔は小皺が目立つ。
月香が明後日な事を考えているなど知らない皇太后は、ぶつぶつと国の裏話をぼやきはじめた。
曰く、大公なる先代の弟が、政権を握ろうとあれこれ画策し、王と宰相の中を拗らしている。弟が王位を狙っていると思い込んだ王は宰相の忠告を無視し、頭越しに好き勝手な命令を出すので、宰相はすっかり軽んじられているそうな。
おかげで官僚や貴族のまとめ役が作動せず、腐敗が進んだらしい。
「あいつもお前に墜ちてたからな、兄貴の後釜狙ってたのに振られた腹いせか?」
さすがは逆ハーフルコンプ。未亡人には老いらくの恋がまだまだストックされているようだ。
「半分当たり。自分の嫁が死んでるのを『幸い』とか抜かすから殴ってやったわ」
やっぱりだ、凄い。月香はまるでドラマでも見ている気分だった。
恋愛事に欠片も興味ない彼女には、恋愛で国を傾ける人は、まるっきり現実味を持たない架空のキャラに思えるからだ。
「残り半分は?」
社長の声が渋味を帯びているのは、昨日言っていたバランスとやらが関わってくるからだろうか? そっちの方が月香には解りやすい。
「王子にさ、自分の孫娘を宛がおうとしてるからよ」
ますます現実味が無い。政略結婚なんて、どこのお姫様? そういえばここは王宮だっけ?
俺様王子様、大公の孫娘って事は再従姉妹さんね、その人が良い娘だと良いわね〜とかなんとか。
とにかく他人事の月香は銀座土産品らしいハトサブレにかぶり付き、サクサク感に思わず微笑んだ。
「つまり、親心としては、向いてない政務に苦労してる息子達を隠居させて、かなり向いてる孫世代にとっとと替えたいっていうわけか」
サブレを堪能している間に話が進んでいた。
「ええそうよ。叔父の口車に乗せられて、たった一人の弟が信じられないほどテンパッてるのも、何かにつけて親父と比べられる自分の力不足を痛感してるからだわ。隠居させて楽にしてやりたいのよ」
馬鹿な息子と皇太后は首を振る。母にとっては、子が幾つになっても心配なもので、お節介な画策をするんだろう。
電話する度に彼氏の有無や結婚の話しを口にする自分の母親のうざったさを思い出して、月香はちょっと王様が気の毒になった。
頑張ってはいるんだろうに、おかんから『向いてない』とバッサリ切られるのは、実に哀れだ。
「あの人は、忌の際に兄弟仲良く協力して補え合えば、やっと俺一人分なんだから頑張れ。って遺言したのよ。あの子達はそれをすっかり忘れて」
いやいやお母様、いくらなんでもその遺言じゃあ、喩え小さな子供でも素直にききたくない。
むしろ逆らう、自分なら意地でも。
あんまりな遺言にすっかり王様と宰相に同情していた月香は、ふと社長と目が合った。明るい紫の瞳に、苦笑が浮かんでいるのは、英桀王の酷い遺言にかそれとも月香の心境にか。
「まぁ、国をまとめきれないで兄弟喧嘩してるからって、無理矢理隠居させてもろくなことにならないぜ。華乃の気持ちもわかるけどよ」
いずれにせよ、見た目の年に似合わない老成した苦労人は、何らかの智恵を絞り出してくれたようだ。
「エンディミオンを中心に歪みができてるから、バランサーを二つ投入したんだ。これから頑張ってもらうつもりさ、華乃も新人育成って事で、あれこれでしゃばれるだろ? 先代巫女姫」
「あ、それもそうね」
ニヤリと笑う社長と、明るい声をあげる先輩社員に、月香の背筋に冷たい汗が伝う。
「……あのぉ」
いきなり御鉢を回して来られても困るんですが。
言いたいが言えない。嗚呼哀しき新入社員。
戦々恐々とする月香の前で、お局様ならぬ皇太后様と社長が、てきぱき配属を決めていた。
「月香さん」
「はい…」
満面の笑みの先輩は、縮こまる後輩へ人事異動の通達をくだす。
「今日から、孫息子の秘書官になってね」
「……はい。あの…」
「なぁに?」
「業務内容や実作業はどのようなものでしょう? 私、秘書検定は受けてないので判らないのですが」
おずおずと口にしながら、月香は心の中で叫んでいた。自分は事務職専門だ! と。