149.知らなければ、ならない
ザークレイデスの宮殿は、まるで祖母の元いた世界のようだ。
エリューシアは幼い頃から何度か、祖母についてあの世界へ行ったことがある。成長してからは忙しくなり遠のいていたが、つい最近巫女姫の鍵を手に入れてからは、自分一人でも行き来するようになった。
あそこにも、釦一つで動く『キカイ』というものがたくさんあった。ザークレイデスのものはもう少し人の手で動かす部分が多いようだ。
例えば今エリューシアが乗っている昇降機も、そうだ。常に係の人間がいて、利用する者の行きたい階数を尋ねるのだ。操作は、この係にしかできないらしい。
もっともこれは、異国の人間を不用意にうろつかせないための措置でもあったのかもしれない。
何度か昇降機を利用して、これは自分一人で動かすことは不可能だとエリューシアは結論づけた。となれば、上下の移動は階段を使うしかない。
宮殿は、三階建てだと言っていた。しかし天井の高い建築物だから、段数も相当なものだろう。上り下りの間に、誰かに見咎められる可能性が高くなる。
そうでなくても、探す相手はヴィラニカ第三皇子。彼ほどの立場にあるものが、一人でいることはほとんどないと思われる。アンジュとファサールカ曰く、このたびの葬儀を取り仕切っているのは、表に名前が出ている第二皇子カレイドではなく、ヴィラニカに違いないそうだ。エリューシアも表敬と称してエンディミオンに来ていたカレイドに何度か会ったことはあるが、とても国家の一大行事の采配を振るえる人材とは思えなかった。
あまりうろうろしていては不審がられる。切りのいいところで探索を切り上げ、エリューシアはあてがわれた客室へ戻った。
「エリューシア」
扉を開けるなり立ち上がって迎えた人物に、ぎょっと身体が跳ねた。だがすぐに部屋に入って扉を閉め、鍵もかける。
「アンジュレイン、どうして」
「黙って待たせていただいて申し訳ありません。ですが、緊急のことで」
「……というか、どうやって来た?」
宮殿はアンジュにはなじみのある場所かもしれないが、エリューシアにあてがわれた部屋をどうやって捜し当てたのだ。
「それは、私がやった」
ずぞー、とお茶をすすりながら手を挙げたのは、アザゼルだった。アンジュの身体で陰になって、今までエリューシアからは見えなかったのだ。
「エンディミオンの人間だと言って、迷子になったふりをしてな。通りすがりの人がとても丁寧に案内してくれた。下々まで人員が行き届いているな」
「それはよかった」
「よくない」
エリューシアは思わず頭を抱えた。何だろう。何かがずれている気がするのに、はっきり指摘することができない。
「それでまずこの鍵でエンディミオンに繋いで、アンジュレインをつれてもう一度来て、お茶を飲みながら待機していたのだ。勝手に入ったのは申し訳ない」
「……いや」
やはり、何か違う気がする。
「それより」
咳払いして、仕切直す。とりあえず、一番訊かなければならないことはようやくはっきりした。
「用件は何だ?」
「ああ、そうでした」
アンジュが表情を引き締めて、エリューシアにも座るよう促した。
「実は……兄のことで」
「兄上?」
ファサールカがどうかしたのだろうか。
「いえ、ルカ兄上ではなく……ヴィラニカ兄上です」
ヴィラニカの名前に思わず身構えたのが、果たして顔にも出てしまっていたのだろうか。アンジュはうつむいて拳を握りしめた。
「確証はないんです。ですが……お話しておいた方がいいと思いました」
ためらいがちに、アンジュは話し始める。シディアの妹のこと、皇帝の病気のこと、そして、それらをヴィラニカが隠蔽していた可能性があること。
エリューシアは、考え込んだ。やがてアンジュが口を閉ざし、室内には沈黙が落ちる。
ずぞー。
「……だからお前は少し場の雰囲気を尊重しろ」
思い切りお茶を啜ったアザゼルに、思わずクッションを投げつける。憎らしいことにアザゼルはひょいとかわし、何事もなかったかのようにお茶のおかわりなど注いでいる。
なんだか前にもこんなことがあった気がする。いらだたしい。
「しかし、今の反応ではエリューシアもザークレイデス皇帝の病気のことは知らなかったのだな」
「……ああ」
目の前に置かれたカップには、とりあえず目で礼を言う。
「華乃子は知っていたのかもしれないが、大変な機密だものな。国内では特に厳重に秘密が守られていただろう」
それはそうだろう。ザークレイデスの国内は、ただでさえ貧困と不安で揺れている。後継者が決まらない混乱、慢性的な収穫不足、そこに皇帝の病気などという情報が流れようものなら、どんなことになるかわからない。
「もし、ヴィラニカ皇子がそのことを知っていたとしても、それならなおさら一人の胸に秘めようとしただろう。たとえ腹心と頼む友人であっても」
アザゼルの言葉に、アンジュははっと目を見開いた。
「情報は、外へ出せば最後必ず広まる。そこに人の信頼や悪意は関係ない。そう言うものだからだ。秘匿したいのなら方法はただ一つ、内にしまい続けることだ」
厳かに続けるアザゼルを、アンジュはじっと見つめている。揺れるスターサファイヤの瞳から、思い詰めた色が徐々に薄らいでいくのをエリューシアは見て取った。
信じたいのだろう。兄を。
信じていたかったから、苦しんだのだろう。
ファサールカ皇子、シディア、グリード・ギアス。そして、アンジュ。エリューシアが知るだけでもこれだけの人間が、ヴィラニカに心を寄せている。
それはどうやら、確かな事実のようだ。
「アンジュレイン」
アンジュの動揺が収まるのを待って、エリューシアは口を開いた。
まだ、自分にはどんな結論も出せない。そのための材料がない。
ならば、それを探しに行くしかない。
「ヴィラニカ皇子に面会できるよう、間に立ってもらえないだろうか」
銀髪に頬を寄せて立っていた、誰より近しいはずの人のまったく知らない表情。
レナード。
彼が何を思い、ヴィラニカを見つめていたのか。
知らなければ、ならない。