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148.糸

 一番上の異母兄の葬儀だというのに、自分は遠くエンディミオンにいる。

 そのことについて、アンジュは特に罪悪感も覚えなかった。そんな感慨が湧くほど親しくしていた事実はないし、むしろ相手は自分を敵視していた。

「でも、一応血の繋がりはあるわけだからね」

 ルカは、どこで手に入れてきたのか上等の葡萄酒を持ち出してきて、三つのグラスに注いだ。アンジュと、自分の分と、それから亡きノートリアへの杯。

「ルカ兄上は、ノートリア義兄上とは……?」

「公式の場で何度か顔を合わせたことがあるくらいだね。身分を放棄してからは一度も」

 ほとんど他人の間柄といってもいい繋がりだ。

 それでもルカは、テーブルに置かれたグラスに優しく自分のグラスを合わせるのだ。

「兄弟なのに、疎遠なのはつらいことだよね」

 そんな風に言って、悲しく笑うのだ。

「エンディミオンのご兄妹を見ていると、なおさらそう思うよ。とても仲がよろしいから」

「そうですね」

 両親を同じくするから、というだけの理由ではないのだろう。互いを大切にし、いとおしむ為の絆が育まれている証だ。

「私達は、どちらかというと同志って言う方がふさわしい間柄だからね」

 ルカが、ゆっくりとグラスを傾けている。

「アンジュは年下だし、面倒を見た記憶もあるからかろうじて弟という認識だけどね」

「ヴィラニカ兄上のことですか?」

「うん。彼とは同い年だし」

 母親も違うし、滅多に顔を合わせることもなかったから、十代になるまでほとんど親しく関わったことがなかったのだとルカは話す。異母兄達のそういう話を聞くのは初めてで、アンジュは思わず身を乗り出した。

「それがね、笑っちゃうんだよ。私が図書室で落とし物をしてさんざん探し回ったあげく、それがもう使いものにならないくらいに破損していて、途方に暮れていた時に声をかけられたんだけど」

 ルカはくすくすと思い出し笑いをする。

「何て言ったと思う?」

「ええと……」

 アンジュは少し考える。自分の場合は、どうだっただろう。

 あの異母兄は面倒見がよくて世話好きだから、さしずめ……。

「部屋でお茶にでも誘われましたか?」

「当たり」

 ルカはとうとう吹き出し、つられてアンジュも笑い出した。

「『よかったら、お菓子があるから部屋に来る?』と言ったんだよ」

「兄上らしい。困っている人を見たら、声をかけずにいられないのですね」

 そういう性格はずっと変わらず、だからいつの間にか彼の周りには人が集まっていた。グリードやシディアも、似たようないきさつがあったに違いない。

 情を以て育まれた結束は、強固だ。シディアなどは、相当心酔していることが見て取れる。

「ところで、アンジュレイン」

 会話がひと段落したところで、ファサールカが居住まいを正した。アンジュは何気なく答え、新しいお茶を淹れようとティーポットを持ち上げる。

「シディアは何のために、エリューシア王子のお命を狙ったんだろう?」

 危うく、ポットを床に落とすところだった。

「兄上……!」

「皇太后殿下にお聞きした。私もザークレイデスの皇族なのだから、これまであった出来事は耳に入れておいた方がいいと仰ってね」

 確かに、それはそうかもしれない。

「しかし……」

「教えていただいてありがたかったよ。でも、それでもやはり腑に落ちないんだ」

 ルカはゆっくりと続ける。

「シディアは、妹御を人質に取られていたから、エリューシア王子暗殺の任務を引き受けたと言っていたね」

「ええ。確か……父上の後宮に」

「それがおかしいんだ」

「え?」

 どういうことがわからず、問い返す。筋は通っていると思ったのだが。

「父上の後宮はある。ただし、二十年前から機能していない」

「……え?」

 機能していない。

 その意味をアンジュが理解するより先に、ルカが補足する。

「君の母上がご病気になられるより前だったかな。後宮は閉めてしまったんだ。建物は残っているが、今はもぬけの空だよ」

「でも……」

「父上がお身体を悪くされたからだ」

 父の。

 ザークレイデス皇帝の病気。

 それは知っている。ただ、一度も見舞いになど行かなかった。皇帝自身に興味がなかったから、後宮のことなどなおさら気にかけなかった。

「公式な発表はしていないよ。だから皇太后殿下も、詳しい動向まではご存じなかった」

 統治者の私生活も、重要な情報だ。そこにどんな変化が起きたかで、わかることはたくさんある。だから調べさせていたのだろうが、あの皇太后でも詳しいことがわからなかったのか。それとも、あえて隠しているのか。

 いずれにせよ、確かなことは。

「シディアが、嘘をついていたということですか?」

「もしくは、彼も知らなかったかだね」

 どちらもあり得る。

 だが。

「でも、ヴィラニカ兄上は、ご存じのはずですよね。シディアに伝えなかったのでしょうか?」

 そう言うと、ファサールカは眉根を寄せた。

「兄上?」

「……可能性はいくつもあるね。シディアは、知っていて嘘をついた。反対に、後宮のことは何も知らなかった。そして……ヴィラニカも知らなかった。あるいは」

 まさか。

 そんな。

 アンジュは、思わず拳を握っていた。

「ルカ兄上は……まさか、ヴィラニカ兄上が、シディアを騙していたと?」

 そんなことが、あるのか。

 あったのか。

「……まさか、そんな」

「そこまでは言っていないよ。落ち着いて、アンジュ」

 穏やかに窘められ、アンジュは拳を解く。だが一度思い至ってしまった可能性の衝撃は、勝手に疑心暗鬼を生み出していく。

 ヴィラニカは、シディアに嘘をついた。そして何も知らないシディアを利用して、エリューシア暗殺に差し向けたのではないか?

 不自然なことは、もう一つある。他ならぬアンジュ自身のこと。

 なぜ七年も経って、皇帝は母を人質にエリューシア暗殺を命じてきたのだ。

 シディアと、アンジュ。二人が同時に、同じ命に従うことになった。

 この一致は、何だ?

「だが、シディアの妹は、後宮にいたと証言しているんだよね?」

「ええ……」

 そんなことがあるはずないと、彼女自身が一番よく知っているだろう。

 なぜ、嘘をついた? 実の兄に対してまで。

「シディアは、こんなことを言っていたよ」

 兄の声が、低くなる。

「ミュージアを保護していたのは、ヴィラニカだと」

「え――!」

 喉がひりひりと痛んで、思わず唾を飲み下す。

 繋がった。

 またしても、ヴィラニカが。

 美しく聡明で、穏やかな異母兄。記憶の中に面影を呼び起こしたとき、アンジュは目眩を感じてきつく目を閉じた。

 幼い頃、とても優しくしてくれた。彼がアンジュに連絡を取ってきたのは二年前だが、隔たった年月を感じさせない細やかな気配りを見せてくれた。

 でも。

 今更ながらに、思う。自分はあの人の心の奥底を、何一つ知らないのだ。


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