145.取り戻すためなら
傍らの喪失感に、今まで気づかなかった。
エリューシアにそれを思い出させたのは、息子とよく似た面差しのバークレイン公爵夫人だった。
「レナードは元気にしておりますの? 殿下」
鷹揚に扇を使いながら、夫人は尋ねる。エリューシアの沈黙にも表情にも、まったく気づいた様子がない。
「ええ……少し、面倒をかけてしまっておりますが」
「それは問題ございませんわ。あの子は殿下のお役に立てることが、何より嬉しいのでございますから」
「……いつも、助けられています」
幼い子供の頃から、常にそうだった。無口な従兄弟は、ほとんど年齢も違わないのにエリューシアの補佐をしようと振る舞っていた。
表には出ようとせず、エリューシアの影のように。
いつも、そばにいて。
「殿下」
公爵夫人の声が、少しだけ低くなる。
「あの子を、よろしくお願いいたします」
そして深く、頭を下げる。
「時々でいいから顔を見せるようにと、お伝えくださいまし」
胸を吐かれる思いがした。
この女性は、知っているのだろうか。いや、レナードのことに関しては厳しく情報を規制している。知り得ようがない。
でも。
喉が干上がっている。頭が働かない。
何と返せばいい。息子を案じる母に。
「それでは、失礼いたします」
結局、何一つかける言葉が浮かばないうちに、公爵夫人は去っていく。
残されたエリューシアは、行き先を決めないまま歩きだした。
静かだった。人の蠢く気配は伝わってくるけれど、見える範囲には誰もいない。王宮の中で、これほど人っ子一人いない空間というのは珍しい。
「もうすぐ、ノートリアの葬儀か……」
思わず口をついて出た自分の言葉が、ことのほか大きく聞こえてうろたえる。
その間にこぼれ落ちた呟きは、どこかへ消えてしまう。エリューシア自身にすら見えないところへ。
ひどく、落ち着かない気持ちになった。
いつも返ってきていたのだ。違う声が。
『支度は整っている』
そう、例えばそんなふうに。
彼の思いや感じたことや、考えたことを必ず受け止めてくれる人が、いたのだ。
いつだって。ずっと。
「レナード……」
不思議な青緑の瞳。エリューシアを真っ直ぐに映して、エリューシアを追い続けていたあの目。
あの中に、自分はいなかった。あのとき。
ザークレイデス第三皇子。
銀の髪の、美麗な雰囲気の青年。
魔王の力のせいだったのだろうか。それとも。
振り降ろされた刃、血みどろの姿。
向けられた、あり得ない思念。
殺意。
それもまた、混沌を呼ぼうとしている存在からの干渉故だったのだろうか。
「魔王を、倒したら……」
また、取り留めのない想いはつい独り言となる。
魔王を倒したら。
すべて、戻るのだろうか。
この空虚も、埋められるのだろうか。
エリューシアは、溜息をついて再び歩き出す。
先のことはわからない。それでも、そこに希望があるのならやるしかない。
銀の髪。
光が当たると、恐らく黄金に輝くのだろう。
大きく無骨な彼の手は、よくエリューシアの髪に伸びてきた。
美しい、と直接言われたこともある。
それを厭ったこともあったけれど。
「いくらでも、好きなだけ」
もう拒まない。
あの手を。
だから。
「消し去らないとな」
それを阻むものは、すべて。