141.嵐
早朝に起こされ、服装に気を遣う暇などなかった。
だが駆けつけた離れの居間で、祖母はいつも通りきちんとした身形でエリューシアを待っていた。
「まだ他の者は集まっていないから、もう少し何とかしておいで」
言われて、いたたまれない思いで別室へ案内される。すべて見透かしたかのように、身だしなみ道具が一式揃っていてますます落ち込んだ。
服装と、髪などを整えると少し気持ちも平静になる。ほっと息をついて、何気なく窓へと視線を転じる。
曇っている。嵐が来てもおかしくない。
ここへこうして喚ばれたのは、東の地方で酷い豪雨があり甚大な被害が出たという知らせが届いたからだ。
再び祖母の下へ戻ると、今度は呼び出された全員が揃っていた。
父国王と宰相、数名の重臣。
「さて、報告を聞こうか」
祖母のしきりで、状況の説明が始まる。
「雨は、三日前からほぼ間断なく降り続いておりました。それが、このクニューレ山の地盤を脆弱にし、昨夜未明土砂崩れが発生いたしました」
重臣の一人が、地図を用いて指さしながら説明する。問題の山の麓には、いくつか村があったのだという。
「現在、村に駐在していた役人、兵士、有志の協力により土砂の撤去と救助活動を継続しておりますが、人員が不足しております。他に、家を失った者が多数おり、雨を凌ぐ場所もない有様です」
「すぐに近隣の最も大きな都市から、兵士を派遣せよ。救援に必要な物資も一緒に運ぶのだ」
宰相が指示を出し、国王を伺う。王は、無言で頷いた。そして、しばらくしてから付け加える。
「天幕も持っていくというのはどうだろうか?」
「天幕? ええ、もちろんそれも指示いたします」
宰相は少し戸惑った様子だったが、すぐに微笑んだ。
「食糧と水も大至急手配させます。明日にでも出発できるように」
「うむ」
父と叔父がそんなやりとりを交わす様を、エリューシアはじっと見つめていた。
少し前までは、考えられなかった光景だ。
父は国王として、最善を尽くそうとしている。そして叔父は宰相として、そんな王を補佐しようとしている。
祖母を見やる。華乃子は、エリューシアと目が合うとにやりとしたが、すぐに表情を引き締めた。
「方針は決まったね。ならば行動に移そう」
瞬く間に各々に役割が振られ、三々五々離れを出て行く。エリューシアには、天候の予測をしている天文院への視察が命じられた。今後いつまで悪天候が続くのか、嵐の推移がどのようになるかを確認するためだ。
天文院までは、馬で二時間。馬車だともう少しかかる。どちらにしようか迷ったが、結局馬で行くことにする。急ぐ用事だし、馬車は支度にも手間がかかる。その時間が惜しい。
「途中で天候が変わるかもしれませんね」
従者が空を見上げて眉を顰める。
「降らないうちに出発しないとな」
「はい」
手際のいい従者は、必要な荷物や外套をすぐに準備する。自分の分を身につけて、エリューシアは厩舎へ向かう。
「しかし、妙ですね」
「何がだ?」
「この時期にこんな嵐だなんて」
エンディミオンは、四季の変化がはっきりしていて比較的温暖だ。ただし毎年夏から秋にかけて、大きな嵐が発生する。
今は、嵐の季節ではない。毎年のための備えはしてあるが、今からそれを使ってしまって秋にはどうなるのか。口には出さないが、今朝祖母の下に集まった者達は多かれ少なかれそれを心配していただろう。
魔王。
その言葉が、頭をかすめた。
天候の異変、自然災害、その他想定外の事態。魔王復活の時代に起きた出来事として、記録に残っている。
まさか、これもそうなのだろうか。
「殿下、馬の支度ができております」
従者が先に駆けていって、厩舎から引き出されてきた二頭の馬の手綱を取った。
「――ああ」
考えていても、しかたがない。
今は、今できることを優先させなければ。
エリューシアは自分の馬に跨がり、前方を睨みつけた。
門が遠くに見える。その上にのしかかるように、曇天が広がっていた。