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135.担う

 最初に訪ねた時はノックに応答がなく、二度目には月香が出てきて、エリューシアの体調不良を告げられた。

 アンジュにはそれよりも彼女の様子がおかしいことが気にかかったが、どう言葉をかけていいかわからないまま帰ってきてしまった。自分のふがいなさが嫌になる。廊下をゆっくり歩きながら、アンジュは溜息をついた。

 巫女姫の力を使ったばかりで、彼女も疲れているのだろう。それでも彼女は真面目で、己の努めを疎かにしない。気丈な女性だと思う。

 自分にも、彼女のような強さがあれば。

「アンジュレイン?」

 廊下の向こうから声をかけられて顔を上げると、ファサールカがシディアと一緒にやってくるところだった。

「兄上、シディア。どちらへ?」

「うん、ちょっと城下を見せていただこうと思って」

 すぐに言われたことが理解できなかった。

「……城下、ですか?」

「皇太后殿下にお願いしたら、許可してくださって。護衛にシディアを連れて行けと言われたよ」

 アンジュは、シディアに視線を向ける。ミグシャ族の剣士は、無言で肩をすくめただけだ。

「いや、しかし兄上は人質で」

 しかも身分を返上したとはいえ、ザークレイデス皇国の皇族だ。そう簡単に城下へなど行かせてもいいのか。だがあの皇太后が、逃亡の可能性を考えていないはずはない。何か手を打っているのか。

「時間は決められているよ。あと三時間後だ」

 つまり、それまでに帰っていなければ何らかの手段を実行するということだろう。しかし……。

「巫女姫の鍵も取り上げられた。それに俺達が戻ったのを確認するまで、ミュージアは皇太后のそばに置かれる」

 シディアの言葉で、アンジュにもようやく皇太后の対策がわかった。

 ルカにとって不案内な土地で、巫女姫の鍵なしで動くのは困難だ。心理的な抵抗から、自然、行動範囲は王宮の近くに限られる。さらにミュージアが皇太后の下にとどめられるのは、二人の帰還への保険。特にシディアは、彼女のために無分別を起こすことはできないはずだ。あの皇太后は決して非道はしないだろうが、ミュージアの今後の生活の安泰が打ち切られることくらいは充分あり得る。

 目に見える縄で括るのではなく、心で行動を制限したのだ。

「さすがだね。噂には聞いていたけれど、あの方がご存命である限りエンディミオンとの外交は気が抜けない」

 ルカは苦笑していたが、屈託はなさそうだった。

「そうだ、お前も一緒に行くか?」

「えっ?」

 唐突に訊かれて、アンジュは目を見開いた。

「七年こちらで暮らしていたのなら、詳しいのだろうし。もし都合がよければ来てくれるとありがたいな」

「いや、それは……」

 せっかくの皇太后の対策をあっさり無に帰していることを、きっとこの人は気づいていない。巫女姫の鍵を所持し、地理にも詳しいアンジュが一緒に出かけたとわかれば、皇太后は別の手を高じてくるだろう。恐らく、もっと厄介な。

「鍵は皇太后に預けてくればいい」

 困惑するアンジュに、シディアが言う。

「それだけでも保証には足る」

「……そうでしょうか」

「あら、どうかなさいまして?」

 声をかけられ、三人は図らずも同時にそちらを振り向いた。

「お邪魔でしたかしら?」

 婦人用の扇を優雅に揺らして立っていたのは、アステル王女だった。

「外出しようとしていたのですが、アンジュも誘っていたところです」

 すぐに答えたのは、ルカ。兄を止めてくれるかもしれないとアンジュは半ば期待を込めて、王女の返事を待つ。

 だが、王女の反応は予想外だった。

「まあ。どちらへいらっしゃるのですか?」

「城下に。特に目的はないのですが、エンディミオンを見てみたいと思いまして」

「素敵。それなら、私がご案内してもよろしいかしら?」

 ご案内。

 その意味を完全に理解したとき、アンジュは本当に卒倒しそうになった。

 自分の立場と提案した内容の重みを、彼女はわかっているのだろうか。

「アステル王女、失礼ですが……」

 目眩をこらえながら、アンジュは二人の会話に割り込んだ。

「ご自分のお立場を、もう少しお考えになっては……」

「承知しているつもりですわよ。アンジュレイン皇子」

 控えめに匂わせた忠告を、アステルは扇でふわりと払ってしまう。

「でも私見ですが、お二人が……シディア様も含めて三人ですわね、私に危害を加えるとは思えませんから」

 アンジュは驚いて、続けようとした言葉を飲み込んだ。

「もし私を人質にするなりして逃亡を試みるのだとしても、何一つ利はございませんでしょう? 危険を犯す割に成功率は低いですし、失敗した場合の待遇が悪くなるのは必至。今後のことを考えれば、あなた方にとって最善の選択はみんなで楽しく城下を見て回り、日が暮れる前にはおとなしく王宮へ戻ること」

「ええ、その通りです」

 ルカが、微笑んで答えた。

「私としては、ご案内いただければありがたいですが。二人はどう?」

「……別に」

 シディアはやりとりの間つまらなそうに違う方を向いていたが、振り向かないまま無愛想に返事をする。アンジュはすぐには何も言えず、ルカとアステルを交互に見やった。

「もちろん、鍵はお預かりいたしますわ。それから、帰る時間は日没前にいたしましょう」

「……ええ」

 巫女姫の鍵を取られてしまえば、逃走範囲は大きくせばまる。

 誰かに外出と帰還の時間を伝えておけば、万一の場合確実に捜索がなされる。

 至って常套的だが、最良の対策だ。

 アンジュは巫女姫の鍵を、差し出された王女の掌に載せた。アステルは近くにいた使用人にそれを渡し、出かける旨と帰る時間の伝達を頼む。皇太后に当てたものだったのは、アンジュの予想通りだった。

「驚いたな」

 先に立って歩くアステルから距離を置いてついていきながら、ルカはアンジュにささやいた。

「前にお会いしたときは、もっと未熟だったと思ったのに」

 そういえば、アステルがザークレイデスを訪問した際、兄は彼女に会っていたのだ。

「めざましい成長ぶりだ。あのときも、度胸は素晴らしかったけれどね」

 まだ十七、八の王女の背中を、ルカは微笑んで見つめている。

「あのあと、いろいろこちらでも大きな出来事がありましたから。それらがきっかけとなったのかもしれませんね」

 レナードの、エリューシア暗殺未遂。そして失踪。魔王の覚醒。アステルはずっとこの王宮に留まっていたが、何も感じなかったわけではないだろう。

 何より、彼女の祖母はあの皇太后だ。彼女が直系の孫娘にさらなる成長を望まないわけがない。身内としても、王族としても。

 アステルもまた、将来この国を担う存在には違いないのだから。

「先が楽しみだね。怖いけれど」

 なぜか愉快そうにしている兄を、アンジュは呆れつつ窘める。

「怖いですよ。将来我が国との外交でにどのような無理難題を持ちかけてくるか」

「そうだね。けれど、私達だって日々学んでいく。それは変わらないだろう?」

 確かにそうだ。目的があり、すべきこともやりたいこともある以上、必要であればどんなことでもやろうという気慨なくしては何も得られない。

「そうですね」

「それにしても」

 ルカの笑みは、さらに深くなった。

「嬉しいね。ようやくお前も『我が国』と言ってくれるようになって」

「あ……」

 アンジュは口元を抑える。

 そして、面映ゆく笑った。

「あそこは……やはり、私の生まれた国ですから」

 毎日泣いていた母。彼女を置き去りにして長く顧みることのなかった場所。

 でも自然に浮かぶのは、二人の兄と笑っていた記憶ばかり。ならばやはりあそこは、『故郷』なのだろう。自分にとって。

「早く、取り戻しましょう。魔王から」

 すべては、そこから始まるのだ。

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