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133.それは、誰の言葉か

 今頃、大陸の諸国は驚いているだろう。

 ザークレイデス皇国第一皇子ノートリアの、突然の『病死』に。

「葬儀の進行と、全体指揮は公爵に一任します。私が表に出るわけには……」

「承知いたしております」

 信頼できる廷臣の一人であるアトレー公爵は、ぴんと背筋を伸ばして敬礼した。ヴィラニカが自分の屋敷に招く数少ない者の一人である。公爵家は皇族との血縁もある由緒正しい家柄で、現当主の実直な人柄をヴィラニカは好いている。その頭脳の明晰さもだ。

「第二皇子殿下と、第二妃殿下につきましても、ご安心いただいて結構でございます」

「……頼りにしている」

 兄カレイドと、母。彼らが今頃何を画策しているかが容易に読めてしまい、ヴィラニカは重々しい溜息をついた。

 皇族の葬儀というのは、良くも悪くも注目を集めるものだ。そして、式を取り仕切っている者も。

 国民はもちろん、諸外国に対して存在を誇示できる絶好の機会を、あの二人が見逃すはずはない。まして、最大の競争相手がいなくなったのだから。

「葬儀のあとの方が気がかりですな。ヴィラニカ殿下にも、ご負担があるのではないかと」

「まさか、負担でなどあるわけがない」

 ヴィラニカは、小さく笑う。

 葬儀のあとあの二人が何をしようとするかも、簡単にわかってしまう。それほど複雑に物事を考えない人々だ。

 まず、民にとって都合のいい政策を次々と作ろうとするだろう。無論考案するのはヴィラニカや他の家臣達の役割で、自分達は浅はかな思いつきをまき散らすだけ。そしていざ形になったら、自分達だけの功績であるような顔をする。他者を労うことなど、彼らは知らないのだろう。

「発端と過程はどうあれ、民のためになるのであればいい。ある意味で私は幸せな立場にいる。なんの後ろ盾もないのに、兄と母の権力を利用して好きなように国政に携われるのだから」

「殿下……」

 アトレー公爵は、眉根を寄せた。そこにあるのが自分への同情だとわかって、ヴィラニカは安心させるように頷きかける。

「あなた方のような、心強い味方もいる。私のような者には過ぎた境遇だ」

「そのようなことを仰らないでください」

 公爵が、一歩前に出る。

「我らは殿下だからこそ、従おうと心に決めたのです。この薄闇に閉ざされたザークレイデスに、殿下は功名をもたらしてくださる方だと――」

「公爵」

 大きな声を出したつもりはなかった。

 けれど、しんとした部屋には、充分強く響き渡った。

 公爵ははっと口を噤み、頭を垂れる。

「申し訳ありません、出過ぎたことを」

「お気になさらず。それより、そろそろ葬儀の準備に戻ってください。そうだ、各国への葬儀日程の通知もお願いできますか?」

「は。では、早速――」

 一礼し、公爵は宮殿へ戻っていった。

 一人になって、ヴィラニカは安楽椅子に深く身体を沈める。

 自分の屋敷の、自分の部屋だけが彼にとってくつろげる場所だった。昔から。

 母は兄ばかりを溺愛して、ヴィラニカには冷淡だった。幼い頃は理由がわからなかったから、ただただ母に愛されないことが悲しく、そんな自分が疎ましかった。

 だが今は、違う。

 宮廷という場所は、醜聞の坩堝でもある。過去の出来事が色あせることなく現在に関わり、未来を汚すこともある。ヴィラニカはそれらの的確な使い方をいつとはわからないうちに学び、そして知ったのだ。

 母がかつて愛した男の存在。彼女がこの国へ妃として嫁ぐ前に犯した罪。その結晶である――兄カレイド。

 自分とカレイドは似ていない。両親を同じくする兄弟のはずなのに。母と生き写しと言われる自分よりも、彼女は父との相似もないはずの兄を愛している。

 恐らく、過去の愛人の面影を宿しているからなのだろう。

 そして愚かなあの女は、遠い昔の恥を尊むあまり、さらに取り返しのつかない過ちを犯そうとしている。

「ヴィラニカ」

 呼ばれて、ヴィラニカは思考の海から浮上した。どれくらいの時間が経っていたのだろう。いつの間にか傍らにはレナードがいて、ヴィラニカの膝に毛布を掛けようとしていた。

「すまない、起こしたか?」

「いや、眠っていたわけでは……。ありがとう、気を遣ってくれて」

 毛布に手を置くと、本当に当たり前のようにレナードの掌に包まれた。最初は戸惑った。強い温もりに。

「……ちょっと、考え事をしていた」

 椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰ぐ。温もりは、消えていかない。そのことに安堵する。

「血筋は、ただの象徴に過ぎないとは思うんだ。そんなものにこだわらず、純粋に個人の能力や志で物事や国を動かせるようになることの方が、よほど理に適っているのではないかって。いや、いずれそうなるのかもしれないけれどね。でも今は、まだまだ血筋などという曖昧なものが人の心をまとめることができる唯一のよすがなんだ」

 大勢の人の心を一つに集めることは、想像を絶する困難だ。だから、何かを利用する。それは信仰であったり、目的であったり、利益だったりする。

 王という存在も、またその一つなのだ。

「ザークレイデスは衰退している。民をまとめ、国を乱さないためには皇帝が絶対に必要だ。何だかんだ言って、父上の業績と存在感は未だに人の心に強い印象を残している。それが、今のこの国を辛うじてまとめ上げている」

 現皇帝は、魔王討伐にこそ加わらなかったものの、後方での援助は惜しまなかった。農作物のとれないザークレイデスを豊かにするため、機械技術の研究・開発という放心を打ち立てたのも彼だ。そのおかげで外貨を得られるようになった恩恵を、未だ民は忘れていない。

 血筋は、大切だ。少なくとも、「現皇帝の子」という事実が。

「それを、浅ましい過去の色恋沙汰などで押し退けようとするなど、許されることではない……」

 言葉にすると、自然に自嘲が浮かんだ。

 小難しい理屈を並べてみても、結局根底のあるのは恨みではないのか。幼い日に焦がれて得られなかったものに対する、幼稚な執着ではないのか。

 果たして自分に、母を見下す資格などあるのか。母の願いを踏みにじる権利など。

「ヴィラニカの望むままにすればいい」

 強く。

 手を、握られた。

「ヴィラニカは、この国を想っている。民を大切だと考えている。ならば、間違っているはずはないと思う」

「レナード……」

「統治者が立派な服を着て美食を享受することができるのは、国を豊かにする責任を負っているからだと言っていた。……その義務を忘れず努めているのであれば、ヴィラニカは王に相応しいと、私は思う」

 手が、熱い。

 同じ熱を、肩にも感じる。頬にも。

 ヴィラニカは目を閉じて、その中に自分を沈めた。

 それはいったい誰の言葉なのかと、問うことはできなかったけれど。

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