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131.二つのカップ

 軽い打ち身を負った侍女は、治癒の魔法であっと言う間に治ったことを大げさに感謝しながら簡易救護所を出ていった。

 次の人、と呼びかけても誰も入ってくる様子がないのをいぶかしく思い、アンジュは出入り口にかけた布をめくって外を覗く。そして、ここを設置したときには長々と続いていた行列がすっかり消えていたことに安堵の笑みを漏らした。

「神殿からも人を呼んだ」

 声と一緒に、湯気の立つカップがよこされる。いつの間にやってきたのか、エリューシアがそこにいた。その身分からは咎められそうな様子で、無造作に壁により掛かって床に座っている。

「皇太后様とのお話はいかがでしたか?」

「そう難しいことはない。現状の報告と、今後の方針の確認。ついでに、創世神からいいことを聞いた」

「いいこと?」

「月香の力の性質」

 アンジュは少しの間を置いてから、「そうですか」と返した。

「アンジュレイン」

「はい」

「……感謝する」

 意外なことを言われ、アンジュはカップから口を離した。

「何についての感謝なんですか?」

「今ここで怪我人を看てくれたことと……ともに行動してくれていることだ」

 その言葉も、また予期せぬ物だった。

「怪我人については……神官の端くれですから当然です。それに、私には責任が……」

 アンジュは素早く周囲を見回し、余人の耳目がないことを確かめてから、それでも用心して小声で続けた。

「ザークレイデスの皇族として、あの国をどうにかしなければなりませんから」

 ゆっくりと噛みしめるように紡ぎだした声。

 気を張っていたつもりだったのに、わずかに震えていた。

「七年間も、私は何一つしなかった。兄上達が必死で戦っていらした間、何も。だから今度は、お二人の力になりたいんです」

「……そうか」

 エリューシアは、それだけ言った。それ以上何もなかったことを、アンジュはありがたいと思った。

 沈黙が降りる。カップの中のお茶を飲み干すまでの、決して長くはない時間の。

 程良い間だった。

「いずれにしても」

 先に飲み終えたエリューシアが、ことりとカップを床に置いた。

「感謝していることに変わりはない。生まれて初めての地震で取り乱している者を宥める方が多かっただろう?」

「ええ」

「そういう者達を落ち着かせるのは難儀だが、私達ではうまくいかないからな」

 確かに、王子であるエリューシアを前にしては、落ち着くどころか逆に緊張してしまうだろう。

 アンジュは、小さく笑った。

「誰かの不安や悩みを軽減するのも、神官の勤めですからね」

「勤めとだけしか考えていない相手からの言葉は、どんなに連ねようと心まで届くことはない」

 だから、とエリューシアは続ける。

「お前の行動に私は感謝するし、尊敬もする。直接世話になった者達は、もっとその気持ちが強いだろう」

 アンジュは、思わずカップの中に視線を落とした。

 第一王位継承者として、豊かなエンディミオンの王族として、何不自由なく育った故の鷹揚さか。

 それとも、彼生来の気質なのか。

 どちらにせよ、これだけは言える。彼をいずれ王に迎えるこの国は、幸せだ。

 常に悪天候で薄暗く、作物の実りも悪いザークレイデス。故郷という感慨は正直薄い。大切な兄達が、守ろうとしている国。

「魔王を倒したら、ザークレイデスも」

 カップを、強く握りしめる。

「エンディミオンのように、豊かになるでしょうか」

 エリューシアからの答えはない。安易に答えられる問いではないし、アンジュも期待はしていなかった。

 これは、ただの独白だから。

「もしそうなるのなら……私もできることをしたい」

「力は貸す」

 今度は、間髪入れずに言葉が返ってきた。

 ゆっくりと、カップを干す。空になったのを、床に置いた。彼のカップの横に。

「ありがとう。エリューシア」

 互いに、顔を見合わせず。

 ただ静かに、沈黙を共有していた。

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