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129.自分を信じろ

 アンジュがすべての経緯を説明したが、ルカはまだ戸惑った表情をしていた。当然だろう。いきなりどやどや大勢で押し掛けて、「人質だから一緒に来てくれ」では。

 月香は、ルカに同情した。

「ああ……うん。いや、事情はわかったんだけど、ね。ヴィラニカも同意しているなら、従うべきなんだろうけど……」

「何か問題が?」

 尋ねたのはエリューシア。顔色は元に戻っているし、落ち着き払った態度もいつもの彼だ。レナードと対面した直後のショックは、少しでも治まっているのだろうか。

 そうだといいのだが。

「問題というか。いや、問題ですね。実は、領地の方での農業実験の結果待ちで」

「兄上」

 見かねたように、アンジュが口を挟んだ。

「事は急を要します。必要なときは、鍵で送って差し上げますから、どうか今はご同行を」

「う、うん……。だけど、アンジュレイン」

 弟とよく似たルカの瞳には、ますます困惑の色が深くなった。

「魔王だなんて、本気で言っているのかい?」

 月香は、一瞬何を言われたのか理解できなかった。

「大昔の伝承で、確かに魔王という言葉は出てくるよ。だけどそんな、荒唐無稽な」

「我が祖母の言葉をも否定するおつもりですか?」

「いえ、でも……」

 ルカは考え考え、言葉を続ける。

「何か大変な災害が起きたのは、事実だと思います。しかしそれを怪物のような実在の存在のせいだとするのは、私には受け入れがたいと言うことです。何かの比喩だと言われた方がまだ納得できます」

「兄上、今はそのような議論をしている場合ではありません」

「だけどアンジュレイン……」

 そうか。

 月香は、溜息をついて納得した。

 自分達はついそのまま受け入れてしまったが、普通の人にとっていきなり魔王がどうしたと言われたらこういう反応しかできないだろう。むしろこちらがおかしいと言われても仕方がない。

 エリューシアとアンジュは、引き続きルカを説得しようとしている。しかしルカは腑に落ちかねる様子で煮えきらない態度だ。月香も少しいらいらしてくる。

「力ずくでいくしかなさそうだな」

 隣でずっと黙っていたシディアが急に話しかけてきて、月香は驚いて振り向いた。

「ち、力ずくですか」

「他にないだろう。一刻を争う」

 とはいっても、シディアはけが人だ。

 いざとなったら、月香が当て身でも食らわせるしかないだろうか。幸い心得はあるのだし。

 と、考えた瞬間、大きく視界が揺れた。

 痛い、と感じるまでに、なぜか間があったように思えた。

「月香!」

「大丈夫ですか?」

 両側からエリューシアとアンジュに呼びかけられて、月香は顔を上げた。

「怪我はありませんか?」

「ええ……」

 ぼんやり答えて、無意識に辺りを見回す。痛い。膝だ。ぶつけたのだろうと、いつの間にか這いつくばっていた自分の体勢から推測することしかできない。記憶がないのだ。

 床には、物が散乱していた。ルカは、倒れたシディアを助け起こしているところだった。

「地震?」

 こういう状況を見て真っ先に思い浮かんだのがその可能性だったが、エリューシアは首を振った。

「違うようだ。何か……一瞬だけの衝撃だったな」

「見てきます」

 素早くアンジュがベランダに向かう。エリューシアの手を借りて立ち上がり、月香も彼と一緒に後を追った。

 窓からは、街が一望できた。前にここにいたとき、よく息抜きにベランダへ出ていたから覚えている。その眺めの風景も。

 なのに、月香は目の前にあるそれを前に、一瞬ここが全く別の場所のように錯覚してしまった。

「何だ、あれ……」

 呟いたのは、エリューシア。

「魔力を感じます。それも、相当強大な……」

 アンジュは、手すりを強く掴んでそれを凝視していた。

 光の塊。そう表現することしかできない物が、中空に浮かんでいた。いや、浮かびつつゆっくりと前進していた。

 眩しくて、直視するのがつらい。月香は目をすがめ、顔の上に手をかざす。

 進度は、ややゆっくりだ。距離があるせいかもしれないが、大人が早足で進むくらいの速さではないだろうか。しかしそれより気になるのは、どこへ向かっているのかという事だ。

 あれに接触したら、何が起きるのかという事も。

「この進路……まさか」

 しばらく光を見ていたエリューシアが、突然身を翻して部屋に飛び込む。追うべきか月香は一瞬躊躇った。

「地図は!」

「え?」

 だが直後聞こえたエリューシアの声があまりに切迫していて、月香は光の塊が気になりつつも部屋に戻る。エリューシアがルカから大きな紙を受け取って、指で辿っているところだった。

 彼の背後から覗き込む。地図のようだった。ザークレイデスやエンディミオンのある、この大陸のものだろうか。そういえば月香は、未だにヴィヅの世界地図を見たことがなかった。

「まずい……!」

 だから、エリューシアが何を予測し、何に不安を感じているのかわからなかったのだ。

 突然手近の扉に飛びついて、震える手で鍵穴に巫女姫の鍵を差し込もうとしている彼を前に、戸惑うだけだったのだ。

「エリューシア王子、落ち着いて」

「エンディミオンの方角だ!」

 宥めようとしたルカに怒鳴りつけたエリューシアの言葉を聞いても、まだ事情が把握できなかった。

「あの光の塊、エンディミオンへ向かっている!」

「なっ……!」

 そしてここで、ようやく彼の焦りと恐怖を理解する。

 エンディミオン。華乃子や清子、アステルがいる。かつての同僚達、そして会ったこともないたくさんの人々。

 もしかしたら、琴音も。

「今……」

 咄嗟に腕時計を見る。琴音がバイトに入ってくる時間はもう過ぎている。

 ならば、彼女は今エンディミオンだ。

 琴音の力は、絶対の防御。襲い来る敵意や悪意の質、状況に比例してその力の強さは大きくなる。それならもしあの橙色の光がエンディミオンに達した時、理論で言えば琴音の力も相当なものとなって発動するはずだ。

 しかし。

 そんな大きな力を、ただの女子高生でしかない琴音に使いこなせるのか?

 今まで何とかなったからと言って、次もそうなるとは限らない。

「エリューシア、落ち着いてください」

 アンジュもベランダから戻ってきて、震えるエリューシアの手を掴む。

「これは、神の見解を聞いた方がいいと思います」

「神……?」

「月香」

 呼ばれて、月香は反射的に背筋を伸ばした。

「あなたは、レマやサナのいる場所へ行くことができますよね?」

「え、ええ……」

 彼らがいるのは、つまりもとの世界のヴィヅ企画事務所。行くことはできる。

 あの二人なら、光の正体を知っているのだろうか。あれを止める方法も。

「……そうだな、行ってみよう」

 エリューシアの声は、溜息のように聞こえた。上げた顔は心なしかやつれて見える。

 月香は急いで鍵をとりだし、鍵穴に差し込んで回した。

「月香」

 開いた扉の向こうで、アザゼルが立っていた。

「マネージャー、あの光の塊――」

「モニターで見ていた。とにかくみんなこちらへ」

 招かれるまま、ぞろぞろと事務所へ入る。おろおろしているルカの背後で扉は閉まり、大画面液晶テレビのあるごく普通の事務所は人でいっぱいになる。

「結論から言おう。これは魔王の力だ」

「魔王?」

 声を上げたのは、ルカだけ。他の者は、全員薄々予想していたらしい。月香もそうだ。

「この速度だと、あと一時間もすればエンディミオンへ到達する。接触すれば――」

 光が映る画面を示しながら説明していたアザゼルの言葉が、そこで止まった。

「何だ?」

 アザゼルはそのままリモコンを操作する。画面が切り替わり、上空からの俯瞰図となった。

 光の塊は、今は大陸の中心部を通過しているようだ。このまま北上すれば、延長線上にエンディミオン。

「これは……!」

 エリューシアが、声を詰まらせた。月香も、画面の中で確かに見えるそれから目を離せない。

 まったく違う色の光が、エンディミオンの方角から押し寄せていた。淡い橙色。広がりを見せて前進する様は、さながらレースのカーテン。

 しかしレースの繊細さを持ち合わせていないことは、すぐにわかった。

 橙色のカーテンは、光の塊と接触し、その進行を食い止めたのだ。

「エンディミオンの方から発せられた……まさか」

「うむ、琴音の力だ」

 絶対防御。

 やはり発動したのか。

 でも。

「琴音ちゃんは大丈夫なんですか?」

 光の塊とカーテンは、接触した位置から動いていない。力が拮抗しているということだろう。だがこうしている間にも、琴音は力を放出し続けているはずだ。

 力尽きる時が来たら?

 いつも元気で、明るく笑っている彼女の顔を思い出す。苦手だと思ったこともあった。職場の同僚という以上の親しさはなかった。

 けれど。

「私にできることはないんですか?」

 月香がザークレイデスにいた時は、とても心配してくれていたらしい。再会した時は、月香が戸惑うくらい喜んでくれていた。

 魔王の資料も、調べていてくれた。

 別々の場所にいても、自分達は一緒に頑張っていたのだ。

 ――ヴィヅの巫女姫として。

「私も巫女姫なのに、役に立てる力はないんですか?」

 自分の事を、仕事ができる人間だと思っていた。エンディミオンでも役に立てていると思っていた。

 けれど、何の意味もない。

 巫女姫としての力が、顕れないのなら。

「月香」

 マネージャーが、ぽんと月香の肩に手を置いた。

「巫女姫の力は、降りかかる危難に反応して発動する。それぞれ質が違うが、巫女姫自身だけではなく周囲も守る力であることは共通している」

 月香は、顔を上げた。緑色の翡翠のような瞳が、強く彼女を見つめ返している。

「お前の力は、魔王を倒すための切り札となる」

 アザゼルのもう片方の手が、扉を指し示した。

「エンディミオン――いや、ヴィヅを救いたいと思うのなら、向かえ」

 どこへ。

 そんなことは、問うまでもない。

「自分を信じろ。必ずその力で世界を守れると」

「はい!」

 扉に駆け寄る。鍵を鍵穴に差し込み、思い切り開く。

 橙色の光が、奔流となって向かってくる。

「月香……!」

「みなさんはここにいてください!」

 誰かの声に振り向かずに答え、そのまま飛び込んだ。

 巫女姫の力は、直面した事態に反応して発動する。

 ならば、自分がその危機の中に身を置いていなければ、どうしようもない。

「月香様!?」

 橙色の光の中で、アステルが振り向いた。その先、回廊の手すりにいる人影は、後ろ姿で琴音とわかった。

 叫んでいる。

 光を押し返すほどの強さで。

 月香は、大きく深呼吸する。

 助けなければ。

 あの娘を。エンディミオンを。

 このヴィヅを。

 助けられる。

 信じろ、とアザゼルは言ったから。

 自分の力を。

 巫女姫なのだから。自分は。

 だから。

 強く、一歩を踏み出した。

 何でもいい。どんなものでも構わない。

 早く。

 早く、顕れろ。

 念じながら、月香は目を閉じる。

 力。

 力を。

 この手に。

 腹の奥に、熱が生まれたのはその時だった。

 重い。

 せり上がってくる。喉に。

 けれど恐怖はない。

 わかったから。

 月香は、両腕を前に伸ばし、そして。

 『それ』を、解き放った。

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