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127.人質

 剣の戦いならば、決して引けを取ることはなかったはずだ。

 シディアは今でもそう思っているが、実際のところ彼は魔法のみでレナードに挑み、そして負傷までして敗北した。

 幸い傷めた腕は骨折まで至らなかったが、元のように動かせるまで時間がかかる。他にもいくつも傷を負った。杏樹達と合流するのもままならず、ヴィラニカのすすめもあって屋敷でしばらく療養していたのだ。

 その間、何もしていなかったわけではない。レナードの様子をずっと観察していて、昔聞いた魔王についての言い伝えが脳裏に蘇った。

 魔王は生き物を自在に操り、己の手足として使役するという。自我の明確でない動物や昆虫、植物などは最も魔王に取り込まれやすく、やがてはその力の影響で異形と化す。それが魔物だ。

 もちろん、人間も対象外ではない。しかし自我を有する分他の生き物よりも影響を受けるのは遅いらしい。よほど意志が強ければ、魔王の干渉をはねのけると聞いたこともある。

 だから魔王が狙う人間は、主に己を信じられない者、混迷の中にある者、そして心が折れるほどの衝撃に弱りきっている者……己という存在を支える柱を失った者なのだという。

 魔王の配下となった生き物は、凶暴性やもともと備えていた能力以上の力を得る。その代償として、徐々に自我は失われていく。

 それを確かめる為には、身体のどこかにある『刻印』を探せばいい。

 レナードに打ち負かされ、とどめまで刺されそうになったのを必死で止めたのはヴィラニカだった。シディアは彼に、レナードが魔王の傀儡にされている可能性を示唆した。

「それで、シディアにも立ち会ってもらい、私がレナードの刻印を確認しました」

「……なるほど」

 ヴィラニカが話し終えると、エリューシアはテーブルの表面を睨みつけたまま頷いた。

「どこにあったのですか?」

「背中の上方、服を着ていれば隠れてしまう辺りです。黒く塗りつぶされた三つの逆三角形の形をしています」

「では、それを……」

 確認したい、と続けるつもりだったのだろう。しかしエリューシアは、口を噤んで物言いたげに月香に視線を向けた。

 月香は、無言で立ち上がる。

「向こうにいますね」

 そして、続き部屋に入っていった。

 ヴィラニカとエリューシアは、それを確かめてからレナードの服を脱がせ始めた。

 レナードは、まっすぐに前を向いていた。ヴィラニカの手が肌に触れたときだけ、微かに目を細める。エリューシアには一瞥もくれない。

 魔王の傀儡にされた人間は、最初の段階ではまだ抵抗する意識が強い。だから魔王はより早く効果的に支配を進めるために、その人間が最も強く執着する対象を餌に使うのだという。

 妻子がいる男ならば、その愛情を。金にこだわる者ならばその欲を。己に従えばそれが手に入るのだと、心の奥底に囁き続ける。

 しかし、と、そこでシディアは首を傾げざるを得ない。

 それならばなぜ、レナードが今ここにいるのか。そして彼が執拗に求める相手が、エリューシアではないのか。

「これが……」

「ええ、魔王の刻印です」

 エリューシアとアンジュが、刻印を確かめ顔を見合わせる。ヴィラニカはそんな二人に何か言いかけたが、不意に口を閉ざした。

 理由はすぐにわかった。レナードが、彼の服の袖を引いていたのだ。

「どうしたの?」

「もういいか?」

 抑揚に乏しいが、不機嫌なように聞こえた。ヴィラニカはくすりと笑う。

 シディアは思わず、顔を背けた。

 初めて、見た気がする。

 困惑が混じっていても、穏やかで優しい笑み。

 ヴィラニカは、手にしていたレナードの服を着せかけてやっていた。視線は物言いたげなエリューシアとアンジュに向けて、「ご覧いただいた通りです」と言った。

「魔王の支配を、打ち消すことは?」

「伝承によれば可能だということですが、それはシディアからお聞きになった方がよろしいでしょう」

 突然名指しされ、シディアは一瞬惚けた。

「ミグシャ族の長老なら、その辺りの知識があるんじゃないだろうか」

「……ああ」

 あわてて頷く。ヴィラニカは、怪訝そうに首を傾げた。

「シディア? まだ気分が悪い?」

「いや、大丈夫だ」

 シディアは、立ち上がってヴィラニカから目を背けた。

「話を聞きに行くのなら、俺が同行した方がいい……というより、一緒に行かなければ無理だろう。一族は部外者を受け入れるのに時間がかかる」

「ああ……そうだな」

 エリューシアは従兄弟に視線をやったが、すぐにシディアに向き直る。その表情には迷いや戸惑いではなく強い意志が満ちていて、シディアは感嘆した。

「もうそっちへ行ってもいいですか?」

 隣の部屋から、ためらいがちに月香が顔をのぞかせる。アンジュがすかさず彼女を迎え入れ、次いでゆっくりと部屋の中の者達を見回した。

「では、ミグシャ族のもとへ向かうということで、決まりですね」

「ああ。一度戻って支度をしてからになるが」

「エリューシア王子」

 片手をあげて割って入ったのは、ヴィラニカだった。

「もう一つ提案というか、お願いなのですが」

「何でしょうか?」

「レナード殿は、このままこちらでお預かりしていようと思うのです」

 エリューシアは、大きく目を見開いた。しかし、激することなく続きを促す。

「魔王の傀儡となった者は、心を支配する拠り所の近くにいようとする傾向があるそうです。つまり――」

「貴殿のそばにいたがるはずだ、と?」

 エリューシアの声に皮肉な響きがあったように思えたのは、シディアの気のせいだろうか。

「確かに、レナードはエンディミオンからどのような手段を使ってかここへ移動した。魔王とやらの感傷があったと考えれば納得できる。無理に連れ帰っても、同じ事が繰り返される可能性が高い」

「ええ、だから……」

「わかりました。しかしこちらも、予防線を張らせていただく」

「予防線?」

 エンディミオンの王子は、一呼吸置いてこう言い放った。

「貴殿の弟君、ファサールカ殿には、供に我が国に来ていただこう」 

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