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120.不可侵の白銀

 窓を開け、素早く部屋に滑り込むと、彼はひどく驚いた顔をした。

「シディア……」

「無事でよかった」

 駆け寄ろうとしたシディアを片手で制し、ヴィラニカは静かに窓を閉める。わずかに温度の下がった部屋に、彼の溜息の音だけがそっと響いた。

「君も無事で何よりだ。……その剣は?」

 シディアは、腰に下げた剣の柄を軽く握った。

「『終末の剣』だ」

「これが?」

 ベルトをはずし、鞘ごとヴィラニカに剣を渡す。ヴィラニカは両手で受け止めて、少しだけ刀身を抜き出した。

「美しい剣だ。こんなに装飾が施されているのに、刃は触っただけで切れそうなくらい鋭いね」

 それに、シディアが持つ分にはとても軽い。通常の長剣よりずっと長く、刃の幅も広いのに、片手で振るっても十分なほどの重さしか感じない。

「でも、素晴らしいね。かつて魔王を葬った伝説の剣か……。これがあれば」

 これが、あれば。

 自分を見つめるヴィラニカに、シディアは深く頷いただけだった。

 アンジュレイン皇子についてエンディミオンへ行ったのは、そもそもこの剣を手に入れるためだった。まさか自分が正式な使用者として任命されるとは予想しなかったが、覚悟していた巫女姫の力による制約もなく、自由に振る舞うことができた。

 魔王は倒さなければならない。だが、剣が自分の意志通りになるのなら、すぐでなくともいい。

 首尾よく目的を果たしたと、ヴィラニカに報告するくらいの猶予は許されるだろうと思ったのだ。

「ありがとう、シディア」

 そうして、かけがえのない主はシディアの一番ほしかった言葉を与えてくれる。

「危険はなかった?」

「エンディミオンの連中は気楽だからな」

 肩をすくめてみせる。ヴィラニカは、小さく笑った。

「宮殿は、息が詰まりそうだよ」

 剣を抱え、彼は緩く首を振る。

「皇帝陛下が姿をお見せにならないから、重臣達はどんどん好き勝手に振る舞う。義兄上達では抑止力にならないどころか、まったく気にもかけていない。奴らの専横で、国内は荒れていくというのに」

「……第一皇子の施策の結果を見てきた」

 シディアは、途中で立ち寄った村の様子を話した。誰も彼も概ね浮かれていたが、一時的なものにすぎないだろうと。

 そして少し迷ったが、月香の見解も付け加える。

「巫女姫がそんなことを?」

「自分の世界でも、似たような出来事があったのだそうだ」

「そう……」

 ヴィラニカは、しばらく黙って考え込んだ。シディアは立ち尽くしたまま、彼の次の行動を待つ。話しかけることはしない。

 彼は、主だから。

「いつか、話してみたいね」

「巫女姫と?」

「異世界の話というのも、興味があるよ」

 そこで言葉を切り、彼はくすりと笑った。

「無理矢理連れてこようなんてしないでね。ちゃんと同意は得て」

「……なぜわかった」

「長いつきあいだもの、わかるよ」

 シディアは、唇の端を引き下げた。

 確かに、あの巫女姫なら事情を説明すれば同意を取り付けるのも難しくはないかもしれないが。

「ところで」

 ヴィラニカの口調が変わる。

 シディアは、思わず背筋を伸ばした。

「アンジュレインはどうしている?」

「変わらない」

「そうか」

 秀麗なヴィラニカの顔に、陰りが浮かんだ。

「血筋で言えば、彼が一番なんだが。滅亡したとはいえ、母君は王族なのだから」

「だが、母親ともどもこの国を恨んでいる」

「無理もないけどね。しかし、血筋という大義名分を使うのなら、私では駄目だから。兄上がいるからね」

 無能な第二皇子。

 母親の寵愛がそちらに向かっている以上、確かに目障りな障害だ。

 あの第二妃は、決してヴィラニカを日の当たる場所に出すことはしないから。

「第一皇子と第二皇子、やはりこのお二方のどちらかを次の皇帝にするしか、この国に選択肢はないのだろう。今のところ、どちらも優劣つけがたいけれど……悪い意味で」

 どちらも無能だ。己の欲にしか興味がない。民はそれを満たす手段であり、餌。

 彼らにも心があり、辛いことを不幸と感じ、豊かに暮らす望みを持つことなど、考えられもしないに違いない。

「ヴィラニカ」

 ミグシャ族は、今この国の中では危うい立場にある。エンディミオンの皇太后が取引を持ちかけ、現時点では目に見えた迫害はない。だが、永遠の安息ではないのだ。

 だから。

「俺は、あなたに皇帝になってもらいたい」

 目を丸くするヴィラニカの手を、ひざまづいたシディアは両手で押しいただいた。

「ヴィラニカがふさわしい」

「シディア」

 そっと、唇を抑える感触がある。彼の指だと知った瞬間、身体の奥がかっと燃えた。

「人の目と耳は、どこにでも生えるよ。迂闊なことは口にしない方がいい」

 シディアは、無言で頷いた。そうして、離れていく白い指を惜しいと思った。

 代わりに、掌の中にある温もりを、強く捕まえた。

「早急にどうにかしなければならないのは、魔王だ」

 ヴィラニカのもう片方の手が、シディアを立たせた。

「あれはこの国だけでなく、大陸……いや、世界すべての問題。しかも震源は、領土の中にあると来た。まったく頭が痛い」

 言いながらも穏やかな表情の彼に、シディアは問いかけた。

「なぜ、魔王の伝承を知っていた?」

「……やはり書類を見たんだね?」

 片づいていたからそうではないかと思ったと笑うのに軽く謝罪して、シディアは答えを待つ。

 あの伝承を語れるのは、ミグシャ族しかいないはずだ。彼と接触のある一族の者が、シディア以外いるのだろうか。

「実は、君の妹君に教えてもらったんだよ」

「ミュージアに?」

 これには、心底驚いた。ミュージアはそんなことを、一言も言っていなかった。

「君の妹だと知ったのは、エンディミオンの皇太后がいらした後のことだ。……すまなかった。何もせずにいて」

 シディアは、黙ってヴィラニカの手を強く握った。

「彼女から魔王の脅威と、昔の戦いについての話を聞いた。伝説だとばかり思っていたのに、魔王が実在すると知って耳を疑った。魔王とは何かの比喩、国家的な機密の隠語だと思っていたんだよ。それをかつて解決したのが、皇太后や君のご先祖、そして……間接的ながら我らが祖父も」

 肩をすくめた彼の表情は、自嘲を浮かべているように見えた。

「……ミュージアとは、どうして知り合った?」

 話題を変えたくて、シディアはそう切り出した。ヴィラニカは夢から覚めたような顔をして、ゆっくり瞬きする。

「図書室から戻ろうとしたときに、彼女が上から降りてきたんだ。君も使える魔法だよね? ひどく衰弱していたし、髪色からミグシャ族だと思ったから、とりあえず保護した。後宮から逃げてきたと言うから驚いた。逃がしてあげたかったけれど、そういう事情ならすぐにというわけにはいかないから……。裏から手を回す準備は進めていたんだけれどね」

「責めているわけではない」

 本心から、シディアは言った。

 皇帝の囲い者になっている女、しかもミグシャ族の人間を進んで助けようとする者などいない。ミュージアも特に恨んだりはしていないはずだ。

「……そろそろ出た方がいい」

 ヴィラニカの手が、掌の内側でわずかな抵抗を示した。惜しみながらも、シディアは彼を解放する。

「宮殿へ向かう」

 せめて温もりだけは逃がさぬよう、片手で拳を作りもう片方はそのまま差し出す。

 剣を受け取るために。

「宮殿に?」

「魔王がいるらしいからな」

 誰が器なのかを知ることは、シディアにしかできない。よほど間近に行かなければ、確かめることもできない。

「器を見つけに行くのかい?」

「……いっそ、そのまま倒すか」

 魔王は、存在していいものではない。この世界のためにも。もちろん、ヴィラニカの前途のためにも。

 剣を使える自分に、それを消す力があるというなら。

「無茶はしないでくれ、シディア」

 剣を手にしたまま、ヴィラニカは首を振る。

「世界を滅ぼす力がある者だ。無計画に乗り込んで勝てる相手ではない。慎重に振る舞ってほしい」

「わかった」

 主の言葉なら、従わなければならない。

 シディアは頷いて、ヴィラニカの持つ剣に指を伸ばした。

 だが。

 扉が開いた。そのとき。

「! 出てきては駄目だ!」

 叫んだのは、ヴィラニカ。

 その瞬間にはすでに、シディアは後ろへ飛び退いていた。

 えぐられた床の、絨毯と敷石の破片がつぶてとなって彼を追ってくる。

「駄目だ、やめるんだ!」

「そこをどけ」

 抑揚に乏しい、低い声。

 知っている。

 それでも、容易に信じられない。

 失踪していたはずではなかったか。

 なぜ。

 そもそも彼は、こんなところにいていい立場ではない。

「レナード……」

 エンディミオンの貴族。かつての巫女姫を負傷させて姿を消した。

 ザークレイデスにいていい道理がない。

 レナードは、すでにシディアには目を向けていなかった。不思議な緑色の視線は、まっすぐ一点に注がれている。

 瞬時に、何も考えられなくなった。

 男が見つめるものを知ったから。

 照明を照り返す、白銀の髪。

 雪原を思わせる美しさ。

 シディアにとって、不可侵の存在。

 素手だった。だから、彼には魔法による攻撃しかできなかった。

「シディア!」

 ヴィラニカが、張りつめた表情で振り返る。

 しかし、もう遅かった。

 シディアの両手から放たれた雷は、激しく虚空を切り裂いて敵と見なした男へ襲いかかった。

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