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10.馬車にゆられて

 馬車は草原のオフロードを走りながらも、筐体には振動の無い快適な乗り物だった。

 カポカポと響く蹄の音と、カラカラと鳴る車輪の音が車内のBGMだ。そこにレマのはしゃぐ声と琴音のはしゃぐ声が加わってたいそうにきやかだ。

 お子様組はもちろん窓にべったり張り付いている。

 実はこの窓が面白いのだ。

 景色自体は、広い草原が遠い森に縁取られた変化の乏しい長閑なもので、かれこれ三十分も眺めていたら飽きてしまった。

 そこでドライブには定番の、窓ガラスに息を吹き掛けて絵を描いてみた。

 イラストにはちょっと自信があるのだ。赤ちゃんなレマにはきっとくまさんがウケるに違いない。

 ゆるキャラの走りと謂われるぐうたらくまさんをしこしこ描く。

 するとどうでしょう。琴音の描いたくまさんが動きだしたのです。

 遠くて動きの少ない森をベッドにして寝転んだり、ラジオ体操を始めたり、ぐうたらに転がったり。

 思わず本を描いてみたら、くまさんは受け取って森のベッドで読書を始める。 琴音もレマも大興奮だ。

 この馬車、魔法の馬車なんだ! さすが異世界!

 だから揺れないし絵が動くんだ!

 車酔いしないぞバンザイ。

 そういえば馭者さんも居なかった。

 思考があっちゃこっちゃになるのも不思議現象への感激故だ。

 琴音は自分も描きたいと手を伸ばすレマを持ち上げながら、窓にくまさんワールドを繰り広げていった。



 はしゃぐお子様組とは裏腹に、座り心地の良い座席に向かい合わせに座ったまま、月香と神官アンジュは半ばにらみ合いの様相を呈して沈黙していた。

 別に何かが気に入らない訳ではなく、話すきっかけが全く無いせいだった。

 月香はそもそも口数の多い方ではなく、無駄話はしない。多分この乙女ゲーのヒロインのような名前の神官も似たような性質なのだろう。

 口軽くべらべら喋り倒されるよりは静かでいいが、こうも寡黙に見詰められると、何処かに連行されているような気がしてくる。

 しかも、仕事の内容が『神様の予言です、国を守って下さい。終わり』では『どないせいっちゅうねん!』と裏拳かハリセンが欲しいところだ。

 もちろん叩き込む先は、突っ込み待ちのマネージャー以外に無いだろう。サムズアップだけでこんなところに放り出したのだから。

 帰ったら抗議だ。

 ……帰れたら。

 取り敢えず、こちらから話しかけるなりしないと『巫女姫は何もかもおわかりだ』とか盲信されかねない。

 タイミングを見計らって現状の説明を引き出さねば、これから向かうとかいう神殿に祀り上げられて軟禁なんて事態だってあり得るのだ。

 くわばらくわばら。

 路頭に迷うのも嫌だし、救国の勇者も巫女も御免被りたい。自分はただの事務職の派遣なのだから。

 とにもかくにもタイミングだ。

 なんとか口火を切らねば身動きが取れない。

 月香は改めて神官を観察した。彼は170近い自分よりもはるかに上背があり、ハイヒールを履いているのに首が上を向く。

 七センチヒールで頭一つ高いわけだ。この世界の平均は知らないが、一般日本家屋なら鴨居は天敵だろう。そのくせ座高は座った月香に目線が近い……自分足短い?

 妙なところでショックを受ける月香だった。

「ゲッカさん……でしたね」

 そうこうしているうちに、アンジュの方から話しかけてくる。彼も気詰まりだったのだろうか。

「あ、はい。河野月香です」

「まずは神官長様にお会いいただくことになりますが、どうしましょうか? 湯浴みやお召し替えが必要なら、その手配もすぐにできますが」

 湯浴み=お風呂に入ること。

 お召し替え=着替えること。

 頭の中でその単語を並べてみると、急に身形が気になり始める月香である。

「そうですね、身分の高い方なのでしょうから。汚れた格好でお会いするわけにはいきませんし」

「わかりました。さて――あとは、何をお話ししましょうか?」

 どうやら湯浴み云々は、ただの会話のきっかけだったようだ。彼の方から水を向けてくれたことにほっとして、月香は質問すべきことを考える。

「まず、私達がこれから行くことになる、エンディミオン王国でしたっけ? そこの概論みたいなことを。王国というからには、王様がいらっしゃるんですよね?」

「はい。現国王はバウエル三世陛下。王妃様はエリザベス様と仰います。ああ、そうだ。神官長様のご意向次第では、王宮に滞在することになるかもしれません」

「王宮っ!?」

 叫んだのは、月香ではなく琴音だった。いつの間に聞き耳を立てていたのか、落書きはもうやめてレマをだっこしたまま身を乗り出してくる。

「すごーい! 王様のいるところに行くんですか!」

「はい。陛下も予言には関心を寄せていらっしゃって。というか」

 そこで何を思いだしたのか、アンジュは小さく笑った。整いすぎた顔立ちが、そんな些細な変化だけでずいぶん人間らしさを帯びる。

「第一王位継承者の、エリューシア様が一番興味をお持ちです。異世界の人間は腕が三本あるとでもいうのか、とわけのわからない冗談を」

「それはほんとに意味不明ですね」

 思わず月香はばっさり切り捨てる。

 第一王位継承者というからには直系の王子なのだろうが、アンジュ曰く『冗談』という台詞を聞くだけではただの傲慢な俺様野郎に思えてしまう。

 世間様ではそういう顔のいい強引野郎に無理矢理襲われるのがはやっているらしいが、月香はもしそんな状況になったらぼこぼこにして返り討ちにする自信がある。気合いだけでなく、合気道もやっているので本当に実現可能である。

 ……何の技をかけてやろうかな。

 ついにやりとしてしまう。

 そんな月香を余所に、琴音は盛り上がっていた。こんなにテンション高くしっぱなしで疲れないのだろうか、この娘は。

「王子様かぁ。どんな人ですか?」

「おおらかで、気さくな方です。身分を問わず誰にでも親しくなさって。幼少の頃より神童として有名でした」

 神童は育ったらただの人になってしまうとよくいわれる。

「数年前からすでに政治にも参画されて、陛下の補佐として手腕を発揮していらっしゃいます。国内の視察にも熱心ですね。数人の供だけを連れて、地方領主の悪行を粛正したり、豪商の不正を暴かれたり」

 思わず月香は、某ご老公を思い出した。

「もちろん、私などは直接お目にかかったことは一度もありませんから。知っているのはこのくらいですね」

 それからは、結構話しは弾んだ。

 主に好奇心満載の琴音がアンジュに話しかけ、彼が答えるといった内容だったが、おかげでこれから向かう国を知る事ができた。

 話を聞くに、ヨーロッパ風の世界――というか国らしい。ただ、時代は月香達の世界でいう中世ではなく、近代に近そうだった。月香も世界史をまじめに勉強していたわけではないし、昔のことだからうろ覚えだが、啓蒙思想とか産業革命とかがどうのこうのいわれ始めた辺りと想定しておくのが一番よさそうだったのだ。

 ただし、この世界には魔法がある。だから月香達の世界と同じような文明の進化を辿っているわけではもちろんない。技術面でいえば、きっとずっと進んでいることだろう。この馬車だって、揺れないし静かだしハイブリットカーとかエコカーより便利だ。ちょっと速度の面では負けているにしても、環境に優しいという点ではいうまでもない。

 政治を司るのは王族と貴族、いわゆる専制君主制。庶民は未だ支配されているだけの階級だが、そのうちきっと宮殿めがけて行進したりするのだろう。アンシャンレジームである。でもギロチンするくらいなら逆さ磔の方がいいのではないだろうかと、わけのわからないことを考えてしまう月香だった。

「さあ、そろそろ王都に入ります」

 アンジュの言葉に、鳥居強右衛門の逸話などを思い出していた月香は、我に返る。琴音と子供は、早くも窓にべったり張りついていた。

「こちらからも見えますよ」

 動こうとしなかった月香を気遣ってくれたのか、アンジュは二人のいない方の窓を手で示した。そうまでいわれては従わないのも申し訳なく、月香はゆっくり窓に近づいた。

 子供二人の落書きですっかり曇りが取れたガラスの向こうは。

 青い煉瓦の壁。白い石の柱。連なる青と白の街並みの上には、更に蒼い空が白い雲を浮かべて広がり、その向こうにある水平線が、街並みの間から僅かに垣間見える。

 その街は、あたかも水と雲を練り合わせて空に融けようとしているかのように、月香と琴音には見えた。

「うわぁ……綺麗」

 よく観光名所で写真を見る地中海の白い町より、ずっと浮世離れした清廉な街だ。こんな幻想的な街は、地球にはアニメの中くらいにしか無いと月香は思う。

「ここがエンディミオン王国の王都『月の都』と呼ばれる都市セレネーです」

 国名に冠された神話の美青年にふさわしい美しい街だ。

「王宮は東の高台にあるあの建物です」

 長い指が示す先には、七つの尖塔を持つ蒼い優美な巨大建造物があった。

「ネズミーのお城が三っつくっついたみたいなお城ですね、月香さん」

 人様の王宮を表現するのにちょっとどうかとは思うが、かなり的確にイメージを表している。

「色も形もあんな感じね」

 月香が頷けば、琴音は嬉しそうに『ですよね』と歓声を上げる。

「ネズミー?」

 アンジュが聞き慣れない名詞に聞き返してきた。アミューズメントパークなんてなさそうだし、どうしたもんかと説明に窮する。が、そこは薔薇色に頬を染めた女子高生が乗り出して来てくれた。

「あたしらの世界で、乙女の夢と希望が詰まった憧れのお城なんです。カボチャの馬車に乗って、あそこで結婚式って乙女の夢ですもんね!」

 力いっぱい力説しているが、実は肝心の城やネズミーの説明はされていない。それでも勢いとパワーで押し通されたアンジュは、『そうなのですか』と引いてくれた。

 今度、機会があれば、ちゃんとした説明をしておこう。心のメモに月香は記した。

「ああ、神殿も見えてきました」

 しばらくして、アンジュは再び声を上げた。今度は、月香がいる方にあるようだ。琴音が外を見ようと、ぴったりと身を寄せてくる。いい匂いがした。これは当然香水ではなく、よくドラッグストアで売っている香り付きの制汗料だな、とぼんやり思った。

「うわあ……!」

 そしてやはり、完成は琴音の口から飛び出した。月香は眼前に現れた石造りの建物に、ただただ目を丸くして見入るだけ。

 大きい。

 堅牢という言葉は、きっとこういう佇まいを表す時に使うのだ。灰色の石がいくつもいくつも積み上げられて壁となっている。だが決して無骨ではなく、そのシルエットはむしろ優雅で優美。ちょうど富士山のような美しい円錐の形をして、天へ天へと伸びている。そして、使われている石の色は上へ向かうほどにどんどん白くなり、本当に雪をいただいたあの霊峰のようだった。

「綺麗……」

 ようやく月香の口から、そんな言葉がこぼれ落ちた。

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