HEROとクレーン車2
新城新は意を決して歩き出した。
理由は一つだ。早く帰りたかった。
時間は夜の22時30分くらいのはずだ。
昨日の一件から、面倒で厄介でおよそ善良な一般市民になんともできないような出来事はもうこりごりではあった。もしも今日これから何かあったとして、二日連続で学校を休むのはなんとなく気が引ける。単位は惜しい。しかし引き返すのも面倒だ。幸い、戦場は堤防を降りた浜辺の側だし、運よく夜陰に紛れて角を曲がれれば見つかることはないのではないか。街灯の無い海沿いの道だ。きっと何とかなるだろう。
女の子を海までぶっ飛ばしたヒーローは、倒れてなお8本の脚をばたつかせるクレーン車もどき(何アレまじキモイ)にまっすぐ向き合うと左拳を引いて脇をしめた。拳が緑色に光る。そのまま一歩砂浜に踏み込むと、光の尾をひいた拳が倒れたクレーン車の底面に突き刺さった。
キュンッ…
ダッガァァァアン
浜辺に大きな花火が広がる。クレーン車もどきは一際派手な光と音と煙を上げて粉々に砕け散った。
爆発の瞬間に一瞬ビクッてしまったがこの隙に何とか立ち去りたい…。
「誰だッ!?」
ヒーローがこちらを振り返った。
アカン、完全に見つかった。
「新手か…ッ!」
ヒーローが思いきり臨戦態勢に入りそうだったので、新は慌てて両手を上げて立ち止まった。
「みっ…民間人ですっ。」
自分で言っておいて妙な自己紹介だと思ったが仕方ない。光る拳で10mも飛ばされたらまず命は無いだろう。聞こえているのかいないのか、ヒーローはそのままの格好でじっとしている。訝しんでいるのかもしれない。マシン爆発の粉塵がおさまり、辺りは再び潮騒に包まれる。
嫌な沈黙が数秒間。新には数分間にも思えた。
やがてヒーローは、動こうとせず冷や汗タラタラの新を見て納得したものか、警戒をといてゆっくりと歩み寄ってきた。ただでさえ暗い浜辺の事だ。堤防の上にいる新のことは逆光になっていて、ヒーローからは顔など見えないはずだ。
一歩一歩距離が縮まる。だんだん腕がしびれてきた。来るなら来るで、はよしてくれ。しかし、当のヒーローは堤防下の階段のあたりまでやってくると、ヒタと動きを止めた。見通せないマスクの顔がこちらを見上げている。
「…は?…ら…」
何かをブチブチ独白しているようだが波の音と先ほどの爆発音の余韻でよく聞き取れない。そいつまでの距離約4m。堤防の上下で外灯の無い夜道ではあるが、月明かりを頼ると緑がかった銀糸のタイツである。昨晩見た充斉とは違うようだ。他にもいたのかこんなやつ。
「民間人には何もしやんよ。」
今度ははっきり聞き取れる声だった。それをきいて、新は恐る恐る腕を下げる。砂浜に生々しく残るクレーターが早鐘のような心臓を休ませてくれない。
「ヴァルルカン…じゃ、無いやんなアンタ。」
昨晩も聞いた単語だ。新は記憶力は悪くない。コクコクとうなずいてみせると、ため息の音が聞こえた。
「せやったら、早よ帰った方が良い。夜道は歩くな。海沿いもやめときな。」
それだけ言うと、ヒーローは砂浜の上からふわりと飛び上った。新の目の前、堤防の段差の上に降り立つ。助走も無しに5m以上垂直跳びをしたことになる。今度は新が見上げる格好になった。その距離1m。
「アンタ、何でこんなとこ歩いてる。」
ヒーローの暗いマスクがこちらをじっと見ている。何でと言われても困る。
「ば、バイトの帰りで。」
それだけ言うのがやっとだった。ヒーローの肩がほんのり揺れた。ぶっ飛んだ女の子は大丈夫だったんだろうか。何で近隣の住民は覗きにすら来ない。
「送ったるよ。」
…は?
「まだ新手が出やんとも限らんし。近所なんやに?」
家に帰ると鍵が閉まっていたので、新はとりあえず一安心した。後ろには銀緑のヒーロースーツに身を包んだ不審者が居る。この上部屋にまでまた何か居たらたまったものじゃない。
玄関に足を踏み入れたところで新は振り返って頭を下げた。
「わざわざありがとうございます。安心して帰れました。」
頭を下げたまま、動いてはならない。部屋にまで絶対に上げたくない。そして人目につかないうちに引きこもりたい。頼む、早く帰ってくれ。
ヒーローは先ほどから値踏みするようにアパートをジロジロねめ回していたが、やがてポツリと言った。
「独り暮らし、なんや。」
「はい?」
思わず顔を上げる。何の確認だろう。と思う間に目の前のヒーローが消えた。忽然と消えた。文字通りふと居なくなったのである。変な汗がまた出た。
心臓に悪い。
「ま、いいか。」
新はテキトーな性格をしている。かえって好都合だ。ゲル状の何かが突然飛んだり跳ねたり出たり消えたりしてもいちいち動じないようにしようと心の中で思う。ふぅ、とひとつ大きなため息を玄関前に落として、鍵をかけた。今日もどっと疲れた。今日は早く寝…
「あんましいいもん食べてやんやん。あかんでそんなー。」
靴脱ぎで新はずっこけた。
部屋の中にいつの間にか銀緑スーツが立っている。そして勝手に冷蔵庫を開けていた。なんでやねん。
「今日はもうハンバーグとかありませんよ。」
憂いを帯びた目で訴える新。
「今日『は』?いつもはあんねや。」
訛ってるぞ、お前。宇宙生命体の癖に方言てどうなんだ。
「昨晩あなたのお友だちに食われました。」
パタリと冷蔵庫の戸が閉まる。冷蔵庫の灯りが消えると暗いままの室内で異様なスーツがシルエットになった。知らず、背筋に冷たいものが流れる。あ、何か気にさわったんだろうか。
「なーにー、この辺に他にもおんの。誰ー?なんつーやつ?」
「ああ、み…」
充斉の名前を出してもいいものだろうか。格好や振る舞いからして同じ生命体だと思っていたが、万が一全く違う組織だったら。
「…見た目は中学生くらいのやつで。そんな感じのスーツ着てましたけど…。」
うまく誤魔化せたろうか。ふぅん、知らんなー、とぼやきが聞こえる。なぜ俺は充斉の心配なぞしてるんだろう。
「また会ったら教えたって。僕、他のやつに会ったことないんさな。最近コッチ側に来たもんで。」
「はあ。」
生返事が出た。教えるもなにも、もうどちらにもできたら関わりたくない。
「アンタ、民間人なのにえらいねー。」
えらいねー、というのは、大変だねという意味だ。全くもって大変だ。銀緑スーツは勝手に部屋の明かりをつけるとコタツの隣に腰をおろした。待て、居座る気なのか。
「フェチケフィゼクってやつやんな?ここ。めっちゃ近所にあるやん。助かるわー。」
ん?また新たな痛ワードが飛び出したぞ。
「今度から使わせてもらうわ。結構帰るのシンドいときあるんさ。」
ちょ、待てよ。
「あの、何か勘違いしておられませんか。ここはいたって普通の民間人のお…ぼくの部屋なんですが。」
靴脱ぎからおずおずとコタツの前まで進み出て説明する。間近で見てもおかしな光景だ。どう見ても特撮ヒーローなのである。しかし、先程まであれだけの戦闘を繰り広げていたにも関わらず、銀緑のスーツには傷ひとつついていなかった。充斉のスーツと違い首に巻いているものはなかったが、やはりベルトの腰辺りに何やら入っていそうな黒い箱を提げている。ついでに背中にも長細い箱。よく見たら土足なのかコイツら。ま、いいか。元々ボロのアパートだし。
「ああん?なんや、そんなことあるの?どういう関係者なん、アンタ。」
俺がききたいです。関係者ではなかったはずなんです。沈黙をどうとったものか、ヒーローは喋り続ける。
「んー、ま、敵さんではなさそうやし。今後も気兼ねなく寄らせてもらうわ。」
ん?
「万が一ヴァルルカンに通じてたとしたら逆にアジトを押さえられてラッキー☆やし。」
んんん?
「今日はほんまは他の用事あってんけどな。『塗り絵』に捕まってサイアクーって思っとったら、なんや。いい場所見つけられたからチャラやに。」
ちょーちょーちょー。待ちたまえ。
「あ、あの。」
「ん、なーにー。」
「その。困ります。」
正直に伝えてみた。
「怪しいとこは押さえとく主義やんか、僕。」
知らんわお前のことなぞ。ていうか怪しいのはお前の方だ。
「ほんなら、今日は『塗り絵』ぶっ飛ばせてスカッとしたし帰るわ。」
はよ帰ってください。そして、二度と来ないでください。
銀緑はすっくと立ち上がるとカーテンを押し退けて窓を開けた。まさかそこから帰る気なのか。ご近所さんに見られたらどうする。しかし、そいつはうん、とひとつ伸びをするとゆったりと玄関まで歩いて行く。
「ほなまたねー新くん。」
そして普通にドアを通って帰っていった。
ヒーローはその辺りは常識人らしい。
「二度と来ないでくれ。」
口に出してみたが、さみしい抵抗だった。武力に圧倒的に差がある以上、踏み込まれたら追い返す手段がない。…勇気もない。
新はまたひとつため息を落とす。思い出したように鞄をおろすと、痛デバが目に入った。充斉の言葉が頭をよぎる。
「君も夜道と週末に気をつけてくれ。」
今後海沿いは歩かないようにしよう。
それにしても今日の銀緑はやたらに騒がしいやつだったな。どこかで、あんなやつに会ったことあったような。
新はぼんやりと先程までのやり取りを反芻してみる。
あれ。
「なんで銀緑、俺の名前知ってんだよ。」