HEROとクレーン車
新城新には分かっていた。
昨晩の出来事が、丸きりの夢であったと。部屋の鍵は壊れていないし、冷蔵庫には楽しみに取っておいたハンバーグがあるし、何より携帯は目覚ましを鳴らしてくれる。
今日も清々しい朝だ。
さぁ、1限の授業は無いからもう少し寝ていこうか。バイトの名札は鞄に入ったままだし、筆記用具と財布さえあれば後はなんとでもなる。
あと5分。
いや、あと10分。
起きたくないな。どうせ起きたらろくなことになっていないのだ。何せ、はっきり覚えているのだから。
新はそこで目を覚ました。
久し振りに目覚ましに起こされない、自然な目覚めだった。目覚ましが「どうして鳴らない」のか。簡単なことだ。目覚ましなんてモノはここにはないのだから。昨日の晩から。
億劫に思いながら上体を起こした。
「おっ?」
久々にぐっすり寝たせいだろうか、身体がとても軽く感じられる。非常に健康な気がする。首の凝りも無いようだ。たまには早く寝るもんだな…いや、昨晩は早く寝ただろうか。
いや、いやいやいや。
ワンルームの万年床から玄関ドアの間までは何の遮蔽物も無いから、落っこちたままのコンビニのビニル袋がよく見えた。アレは紛れもなく、食べ損ねた昨晩の廃棄弁当だ。そして、今は何時だ。
時計を見ようと靴脱ぎから室内に首を回したところで、視界の端に一瞬、妙な違和感を覚えた。あ、俺、この感じすごく最近どこかで。見えているはずのものが、見えていないような。新は恐る恐る元の玄関の方へと首を戻す。戻す途中で、違和感が現実の事象へと化けてこちらへ向かってきた。新の部屋にはコタツ机がある。そのコタツ机の上に、ギンギラギンに然り気無く、そいつは安置されていた。
腕時計型の、痛々しいデザインの謎のデバイスが、そこにはあった。
「カミサマごめんなさい。これから1限はちゃんとサボらないのでどうか赦してください。」
新は現実を瞼で塞ぐと、そっと毛布に顔を埋めた。
遠くで、正午を告げるチャイムの音がした。「昼まで寝かせてやったんだから、強く生きろ」という返事のような気がした。
昼をまたぐと、どうにも学校に行く気が起きないものである。別に今日くらい休んだところで単位は足りている。実を言うと出席日数のまずい科目は1限の情報リテラシだったのだが、今さら足掻いたところでどうにもならない。
しかし、バイトに関してはやはり無断で休むわけにはいかないだろう。何せ生活がかかっている。連絡手段の携帯電話が失われた今、休むにしてもバイト先には顔を出さねばならない。そう思って出かける準備をしていると、まぁ休まなくてもいいやという気になってきた。
結局、新はバイトに行くことにした。昨日の晩から開けたままにしてあった部屋の鍵をしっかりかけ、新はボロアパートを後にする。ポケットにバイトのタイムカード兼名札と財布だけを入れ…いや、もうひとつ。痛々しいデザインの謎の腕時計型デバイス、略して「痛デバ」も。いくら人の目に映りにくいとはいえ、さすがにこのデザインを腕に巻く勇気はなかった。
「まぁ、何も無いとは思うけど、アレだけ念押しされるとなぁ。」
昨晩部屋に突如現れたヒーロー、自称地球外生命体が擬態している中学生、三枝充斉の言葉を思い出す。
「君も夜道と週末に気をつけてくれ。」
あの充斉がいうようにヴァル…なんちゃらとかいう変な怪人とかが実際に現れたとして。昨晩の充斉ビーム(携帯をぶっ飛ばしたアレ。勝手に命名)のようなことをされたとしたら防ぎようがないわけでして。痛デバでヒーローを呼ぶまでに、果たしてどれだけの時間がかかるのだろうか。その間、逃げたり隠れたりすることができるのだろうか。
「ま、考えても仕方ない、うん。」
新はテキトーな性格をしている。考えるのが面倒になったところで、バイト先にたどり着いた。
新のバイト先は有名チェーンのコンビニ、スマート・キス・マートだ。神社と県道に挟まれる形で建つこのコンビニは周囲に住宅が密集していることもあり比較的繁盛している。故に、そこそこ忙しい。にもかかわらずシフトは基本的に二人体制で、どちらかが休むとレジの混雑を招くため非常に困る。しかし店長である町柳がおおらかなため、ズボラな後輩の中埜などはちょくちょくテキトーな理由をつけては休むのだった。そういうわけもあって、たまには俺も休んでもいいかな、などと考えていたわけだ。
今日は夕方からのシフトだった。夕方というのは厄介である。手抜きな主婦や独り身のじいさん、定時上がりのサラリーマンなどがひっきりなしにやって来ては惣菜や弁当を買っていく。部活帰りの学生もフライドチキンやお菓子を求めにやって来る。ようやく買い物客の波が去って、何とか掃除の時間ができた頃にはすっかり外は暗くなっていた。
「いやー、まいど新くんと一緒だと手際がよくて助かるわぁ。」
今日は店長と二人シフトだったため、比較的平和に仕事が済みそうだ。
「これでお会計がテキトーじゃなければサイコーなんだけどねぇ。」
客が捌けたところで町柳が労ってコーヒーをいれてくれた。売り物である。本来ならダメだと思うけど、まぁ一杯、二杯くらいなら誤差の範囲ということだろう。何せ店長がいれてくれるんだから、とありがたく頂戴してバックヤードに引っ込んだ。引っ込み際に思い出して声をかける。
「ああ、そうだテンチョ。実は昨日の夜に携帯壊れちゃって。」
「んあ?何、新くん今、じゃあ連絡取れないん?」
町柳が骨ばった顎を擦りながら眉根にシワを刻む。こざっぱりと切り揃えられた髭がワシワシと波打った。町柳は見た目は厳ついといっていいような四十過ぎのおっさんだが、声が高いのと軽い口調のせいで話すと妙に若く感じる。スリムな多角形レンズの厚縁眼鏡をかけているため、黒服でも着込んで黙っていればその筋の人に見えなくもない。ただし今はコンビニのユニフォームなためちぐはぐというか、胡散臭い。
「そうなんスよ。買い直す金もないし、しばらくはノー携帯キャンペーン実施中、的な。」
「不便じゃないん、それ。」
「バイトに遅刻しそうな時とかは困るかもっスね。」
「そこだけなん?あるでしょもっと、友達と連絡取れないし。」
「…困らないッス。」
新がバツが悪そうに答えると町柳の眉間のシワが一層深くなった。表情だけ見れば怒っているように見えるのだが、頬に添えた左手が何ともいえないアンニュイさを醸している。
「もし新しい携帯買って番号とか変わったら連絡してよ。それまでは無断欠勤しないように気を付けてくれればいいから。」
にっこりと笑う町柳につられて笑いつつ、早速今日その無断欠勤をしようとしていたことを思い出して内心ドキリとする。表情がひきつる前にバックヤードに退散した。
「ええー?困るよナカノちゃん。」
バイト終了まであと少し、という夜10時前。町柳の甲高い声がバックヤードから聞こえてきて、新はモップがけの手を止めた。仕方ないねぇ、というため息交じりの声がする。今日の夜勤シフトはズボラな後輩で相方の中埜のはずである。電話の感じからするとどうやらまた休むという連絡のようだ。「きこえてた新君?ナカノちゃん来れないんだって今日も。」
あちゃー、とかなんとか言いながら町柳が表に出てきた。
「今日の理由は何だったんです?」
半ば呆れ気味に尋ねると、町柳が厚縁の眼鏡を直しながら答える。
「んとね、突風で花瓶が倒れて掃除をしてたら手を切っちゃったんだって。」
「ほお、珍しくそれらしい理由じゃないスか。」
「ナカノちゃんのママがね。」
「ママがかよ。ていうか、呼び方「ママ」なのかよ。」
「で、なんか病院の付き添い行ってるから来られないそうだよ。」
「どこまで重傷だよママ。」
ていうかこの時間に開いてるのかよ病院。いつも中埜の欠勤理由は突拍子もないが理由なんてどうでもいい。バイトにやつが来ないことそれ自体が問題だ。しかし俺は心底残って欲しそうな目をした店長を置いて颯爽と帰ることにした。バイトですから。
外に出るとコンビニの明るさに慣れた目が夜の暗さに驚く。いつものことだがこれだけはどうしようもない。廃棄の弁当を一つ、ぶら下げて夜道を帰る。裏の神社の周りには街灯が少ない。路上駐車もなく、夜道はしんと冷えている。新は住宅地を抜けて海沿いの堤防に出た。月明かりと波の音、海風がゆったりと流れているこの道が嫌いじゃない。県道から少し離れた海沿いの道はいつも静かだ。
どがっしゃあああああん
どおおりゃあああ
いつもここは潮騒と時折響く犬の遠吠えくらいしか聞こえるものはない。
シャキーーン
ゴッガッ
コンビニ弁当のビニル袋の音が騒がしく感じるくらいで…
「くそっ!卑怯だぞ『塗り絵』!」
「『塗り絵』って呼ぶなクソがぁっ!!ヌリエラだっつってんだろうがぁあ!!」
ドゴォォン!
…いつもは。
新の進行方向に堤防がまっすぐ伸びている。堤防を挟んで向かって右手側は砂浜だ。その砂浜の遠くの方からさっきから有り得ない騒音が聞こえてくる。待て待て待て。まぁ待て。話せばわかる。とてもこのまま歩いていく勇気が出ない。引き返そうかな。コンビニまで戻って県道沿いに帰れないこともない。帰宅時間が30分ばかり遅くなるだけだ。
…それも面倒だな。
考えている内にも足は止まらず徐々に騒音が近くなる。遠く砂浜の上には忙しく動き回る人影とクレーン車のシルエットが見える。
「クレーン車?」
何でそんなものが砂浜にあるんだ。ていうかクレーン車の動きおかしいぞちょっと。はやっ。クレーンの動きはやっ。何アレ。
新の目に徐々に全貌が映し出される。見えた。事情がなんとなく分かった。そして変な汗が出てきた。
先ほどから忙しく動いている人影はどこからどう見ても特撮ヒーローのソレである。クレーン車のようなものの御大層なチェーンの先端にいぼいぼのついた鉄球がみえる。そしてその物騒なマシンの上に仁王立ちしている派手なマントの人影。明らかにマントの人物による謎のマシンと特撮ヒーローの戦闘シーンだった。
その戦場まで距離にして約100メートル。クレーン車らしきもののぶん回した鉄球が恐ろしい勢いで砂浜に穴を穿っていく。当然、目の前のヒーローを狙っている。彼は砂に足を取られながら必死でそのマシンの懐をうかがっているようだが、何せクレーン車の動きが速い。模型やおもちゃならまだしも、およそ見た目の重量感からあのスピードが出ると思いたくない。一番嫌なのはクレーン車の足元がキャタピラではなく蟹の足のようになっていることだ。華麗にキモイ。そしてそのキモマシンの上の人物は頭をポンパドールにした10代半ばくらいの女の子のようだ。サテン生地とおぼしき『どピンク』を裏地にした派手なロングマントをはためかせ、色こそ黒っぽいがアイドル御用達かというフリルドレスに、何故かピンクの長靴を履いている。ヒーロータイツもどうかと思うがその子も素っ頓狂な恰好であることは間違いない。夜中の浜辺の暗い中でも分かる。恥ずかしすぎるだろ。
ていうか操縦するなら中に乗れよ。なんで上に立ってんだよ。
ていうかものすごい騒音だけど近隣の住民は大丈夫なのだろうか。いかに浜辺から住宅街まで堤防を挟んで距離があるとはいえ、相当ドッカンドッカン響いているんだが。
ドガァツツ
また一つ鉄球が砂地に穴を穿つ。
「ちょこまかちょこまかとぉ!!ウッザいんだよコラァ!さっさとミンチになれやぁ!!」
怒声が聞こえる。ポンパドールのお嬢さん。台無しだ。
「手加減してやってるのがっ…分からないのかっ。」
「うっ…ざあああああ!!」
ヒーローの挑発にまんまとかかったポンパが一際大きくクレーンを引いた(どうやって操縦してるんだろう?)。その一瞬の隙をついて、ヒーローがこれまた有り得ない速度で砂地を蹴ってマシンの懐に飛び込む。
「アッ…!?」
ポンパが体勢を崩し、マシンが傾ぐ。
ヒーローの拳から緑色の閃光がひるがえる。
容赦ない左ストレートがポンパの顔面に決まった。
ザッパアァァァンン
そのまま10メートルほどぶっ飛んでポンパが暗い海の中に消えると同時に、傾いだクレーン車がけたたましい音を立てて砂浜に倒れ込んだ。鉄球が海面に叩きつけられ、あたりに潮を雨のように降らせる。
新はその一部始終をただただ眺めて突っ立っていた。
今日も、長い夜になりそうだ。