HEROとハンバーグ
いつもの通りバイトが終わり、廃棄の弁当をぶら下げて帰った。昼間の雨のせいでまだアスファルトは湿り気を帯びており、夜になろうという今になっても空気を蒸せて止まない。
新城新のアパートは海にほど近い安普請だ。自転車は2ヶ月で錆びてしまった。その上季節外れの台風の折に倒れかかってきたスーパーカブにのされて、フロントの車輪が歪んでしまってからというもの、新は毎日を徒歩で暮らしている。車を買う金はない。
街灯の少ない路地を歩いて畑の角を曲がり、新築の家を過ぎると新のアパートが見えた。今日もぐったりと疲れている。バイトで相方の中埜が突然休んだせいだ。準夜勤シフトを一人で回すのは面倒くさい。揚げ物とコーヒーを頼みに来る客が多いせいだ。さらに悪いことに夜勤シフト担当がクリマツのおっさんだった。一通り愚痴と文句と小言が続いたところで新はゴミ捨てと称して裏口に逃げた。バックヤードまでだと着いてこられるおそれがあるからだった。とにもかくにも疲れる一日だった。
階段を上がった2階に新の部屋はある。三部屋並んだ真ん中の部屋だったが、隣の一つは空き部屋で、もう一部屋は朝になら無いと住人が帰ってこない。そのため家賃の割りにはそこそこ快適に過ごせるアパートではあった。少くとも、昨日までは。
「あれ。」
鍵が、開いてるんですけど。
今まで鍵の類いをし忘れたことはなかった。マメかと言われるとそうではない。新はテキトーな性格をしている。ただ記憶力は悪くなかった。むしろ少し良い方である。だからそれはとても不自然なことだった。
「鍵、ついに壊れたんかな。」
あは、と一つ笑って新は戸をくぐった。繰り返すが、新はテキトーな性格をしている。疲れているのもあった。
しかし、さすがに目の前に飛び込んできた光景を見て、笑っている場合ではないなと気がついた。
ヒーローが、俺の部屋で飯を食っている。
新が最初に思い浮かべたフレーズがそれだった。何のCMですか、これは。目の前に。戦隊ものに出てきそうな、ヒーローがいるのである。しかも俺の家。
「えーと…?」
あまりの出来事に新はしばらく呆然と立ちすくんでいた。が、気を取り直すと毅然とした態度でソイツと向き合った。
「あの、すみません。一つお尋ねしたいのですが。」
目の前の覆面男(たぶん、男)は銀色のスーツに全身を包んでいた。傷一つ付いていない光沢のあるそのヒーロースーツは、いかにも催事場を連想させる。腰には御大層なベルトを巻き付けてあって、そのベルトの後ろの腰あたりには何か武器でも入っていそうなケースを取り付けてある。首もとにパリッとしたスカーフのようなものをしており、鼻まで覆った銀色マスクの口元だけがパカッと開いている。そして、飯を食っている。
俺の食器である。
そして俺が楽しみに取っておいたハンバーグである。
話しかけて見たものの、新は正直何を訊くべきなのか迷ってしまった。突っ込みどころが在りすぎで。むしろ突っ込みどころしかなく。
「えっと、どちら様でしょうか。」
思わず声が裏返ってしまった。不審者を前にして丁寧語で話しかけて、何をやってるんだ俺は。そう思いながらも、じゃあどういう態度をとればいいのかと聞かれると分からない。お前は誰だ!とでも怒鳴ればいいのだろうか。
ヒーローは咀嚼を終えて口の中のものをしっかり飲み込むと、満足そうに箸を置いた。
俺の箸である。
「名乗る前にまず、礼を言いたい。ありがとう、心優しき地球の民よ。」
うわぁ。
完全にアッチの設定の人だ。
やばい。
新は鳥肌が立つのを押さえられなかった。どうしよう、警察?やっぱ警察かなこれ。
ワンルームの部屋の入り口で突っ立ったまま、新は携帯の位置を確認した。いつも通り、ポケットの中にある。迷う内にもヒーローは続けた。
「実は少しドジをやらかしてね。真珠島の拠点に乗り込んだときに怪我をしてしまったんだ。だが、運良く君の部屋を見つけ隠れたので、何とかヤツラの追及を免れた。」
何を言ってるんだコイツは。新は気づかれない程度にほんの少し後退りした。ヒーローはふぅ、と一息つくとさらに喋り続ける。
「それからすまないが食糧を少し頂戴した。貴重な食糧だったと思うが、お陰様でこの通り。」
言うとそいつは音もなくスッと立ち上がった。自然と新は身構える。しかしヒーローは何をするでもなく掌をグーパーして見せた。
「リジェネの時間内だったのですっかり元に戻った。この恩は必ず返すよ。真珠島のことは任せてくれ。」
言うなりヒーローのマスクが変形し、口元まで銀色に包まれた。うおお、どうなってんのそのマスク、じゃ、なくて、ええと。
「何を言っておられるのかさっぱり分からんのですが。えっと、あ、何かテレビのアレですか。一般人の部屋にヒーローが居たらどんな反応見せるか的な。」
思い当たる番組があったので新はカメラを探して辺りを見回した。しかし部屋に不自然な監視カメラなどあるはずもなく。
そんな新をじっと見ていたヒーロー(顔がこっちを向いてるだけで実際どこを見ているかは分からない)は少し首を傾げると、面白いことを言うな君たちは、とポツリと呟いた。いや、いやいやいや。あなたの格好の方が百万倍は面白いです。
「ここに私が居たことが分かると、君も危険な目に会うかもしれない。できれば今日のことは、内密にしておいてくれたまえ。」
警察、だな。これは。
新は意を決して携帯を取り出すと素早く110番を押した。はじめての番号だが思いの外すんなりとかけることができた。と、思いきや。
何が起きたのか、はじめは分からなかった。視界が急に真っ白になった。
次に、手首に痛みが走った。携帯を持っていた左手首に、電気が走ったような痺れ。そして、背中に衝撃。
「がふっ……っ、いっ…!?」
けたたましいと言えるような破裂音と共に、視界に色が戻ってきた。
ややあって、自分がどうやら吹っ飛んで玄関ドアにぶつかったらしいことがわかった。ずるずるとドアに背中を預けたまま座り込む。と、いうより、立ち上がることができない。左手はまだ痺れている。携帯はどこだろう。ぼんやりと霞んだ視線の先で、ヒーローがこちらを向いて立っている。いや、何やらこちらに向かって掌をつき出している。そして、その掌からは白い湯気のようなものが立ち上っている。
「…んだ、よ。ソレは。」
新は、何とか声を絞り出す。
「傷つけるつもりはなかったんだが、すまない。まさか君がそんなものを持っているとは思わなかった。」
ヒーローはゆっくりとした動作で手を下ろした。
今のは、何だろう。何かをされたらしいが、何だったのか分からなかった。ただ、ヒーローがかざした手が光ったと思った瞬間、どうやら携帯が吹っ飛ばされ、オマケで俺も吹っ飛んだらしい。何が何やら分からないが、これは偉いことになってきたような気がする。謎の武力を持った不審者が、俺に好意的ではないらしい。ヒーローってか、悪の手先なのかコイツ?
「君はヴァルルカンなのか。」
「ヴぁ、…なに?」
「正直に答えてくれ。」
新はポカーンとするより無かった。
「なのか、って聞かれましても。何ですかそれは。」
完璧に下手に出てみることにした。こういうときは相手を下手に刺激してはナラナイ。
「君は何者なんだ。」
俺があなたに聞きたいです。
「お…僕はごく普通の大学生なんですが…。」
「ダイガクセイ?」
新が視線で肯定を示すと、少し考えるようなそぶりを見せてからヒーローはA5サイズの下敷きのようなモノを腰のケースから取り出した。そして左手首の腕時計型デバイス(ちょっと時計には見えない痛いデザイン)をその下敷きにかざした。下敷きの上にぼんやりと緑色の光が点灯する。おお、何か未来っぽいぞ。
ドアにもたれながら両手両足をだらりと投げ出して座り込んだままの格好で、新は成り行きに自分の今日の運命を委ねることにした。何よりアレコレ悩むのが面倒になってきていた。繰り返すが、新はテキトーな性格をしている。
「先程の装置は、まさか、スマートフォンというやつか?」
ヒーローが尋ねて来たので新は首のかわりに視線を振る。さっきから首が回らないのである。
「残念ながら、ガラケーです。俺別に連絡とらないといけないような友達いないし、金ないから…。」
何とか口は動かせるようだったが、言ってて自分で情けなくなってきた。先程の一件でその携帯が吹っ飛んだらしい。明日の目覚まし時計、どうしよう。
そんな新の心中など察する風もなく、ヒーローは再び腕時計型デバイスと下敷きに夢中である。
2分ほどして、新がそろそろ起き上がって見ようかなと思いだしたころ。ヒーローは下敷きを元通りに仕舞い込むと、ゆっくりと玄関に向かって歩いてきた。ああ、ついに俺も短い人生の幕を閉じるのか。今までお世話になったみなさんありがとう、サヨウナラ。
「まことに、すまないことをした。」
ヒーローが手を差し伸べてきたので、新は面食らった。アレ。何だろう、新展開。
「君のケータイとヴァルルカンのティトコシュフェギヴェルがあまりにも酷似していたもので、私の勘違いだ。本当に申し訳ない。」
新は唸った。この手を取っていいものだろうか。さっきから出てくる単語が痛すぎる。全体的に今日の展開が痛すぎる。いろんな意味で。
「あ、無理に動かなくていい。民間人にはきついだろう。待っていたまえ。」
悩んでいた新がじっとしたままだったので、どうやら動けないものと思ったらしい。確かに、したたかに打ち付けた背中と左手はとても痛むのだが、決して動けないというほどではない。と思う。多分。しかし新はヒーローが次に何をするのか待ってみることにした。明日は学校もバイトも休んでやる。連絡手段がないので、無断になるがやむを得まい。何せこんな状況なのだ。
ヒーローは今度は右の拳を前につきだすと、一気に胸元まで引いて脇を絞め、次いでゆっくりと指を開きながら掌を空に向け腕をまっすぐ上に伸ばした。
変身のときの決めポーズか何かなんだろうか。何があってもそろそろ動じないぞ。そう誓ったところで、再びヒーローの手から光が漏れるのが見えた。今度はまぶしいというほとではなく、掌全体がぼんやりと光っているようである。ヒーローはその光る手を新の方にかざすと、ゆっくりと頭の上から足先に向けて下ろしていった。
妙な浮遊感と共に、痛みが引いていく。
やばい、これ、ガチなやつですやん。思わず独白が喋れもしない関西弁になるほどビックリした。
ああ、こいつ「ホンモノ」なんだ。
新はゆっくりと体の具合を確かめながら立ち上がった。
「あ、ありがとう…ございます。」
「痛い思いをさせてしまったからね。むしろすまない。」
ヒーローはふぅ、と一つ息を吐くと、思い出したとばかりにパッと顔を上げた。
「名乗るのをすっかり忘れていたね。君が民間人だったとは…本来ならば接触を避けねばならなかったんだが、ここまで話してしまった以上は仕方あるまい。」
「えっ、あっ、いや、これ以上面倒になるくらいならもう、ここらでスッと帰っていただいて結構なんですが。」
何やら重大そうな情報を話し出しそうな気配を察知したので、予め気持ちを伝えておくことにした。しかし、逆効果だったらしい。
「いや、私に気を遣ってくれなくていい。これだけ私と接点を持ったことがヤツラに知れるといざというときにマズイ。君には私の今の素性を明かしておくから、何かあったら直ぐに連絡をしてくれ。」
あなたに気を遣ったつもりは毛頭無かったんですが…。
そんな新の気持ちを無視してヒーローは次なる動作に移る。こたつ机の向こうへ行き、新に背を向けた。そして窓の方を向いたまま両拳をゆっくりと前に伸ばし、顔の前で両腕をクロスさせる。
ふわりとヒーローの両腕が光り、風が部屋を駆け抜けた。窓も扉も閉まったままである。新は思わず手で光を遮って身をそらした。
風が止むのを待って恐る恐る顔を窓の方へ向けると、そこにはヒーローは居なかった。
かわりに、中学生位の少年が立っている。
口調や態度からしておっさんを想像していた新は、またもや面食らった。あ、いや、もしかするとこんな見かけで何百歳です的な設定のアレなんじゃなかろうか。
「地球に居るときは、この格好をしている。「彼」の名前は三枝充斉。隣の県の私立中学に通う民間人だ。」
「ちょ、ちょーちょーちょー。ちょっと待ってください。えっと、彼って言うのは。」
やばい、またトンデモ設定入りましたぞ。
元ヒーローの中学生が答える。
「今私が姿を借りているこの「彼」のことだ。」
中学生が手を広げて見せる。新が少年を指差して首を傾げると、元ヒーローこと充斉と言う名の少年がコクリと頷いた。
「その充斉君がヒーローの正体だってわけですか?」
「正体?いや、「彼」の姿を一時的に借りているんだよ。民間人に紛れている方が、ヴァルルカンに見つかりにくいからね。」
あかん、混乱してきた。
「借りる、ということは元の充斉君は今どうなってんの?」
素朴な疑問である。
「残念ながら、」
充斉はそこで意味ありげに言葉を切った。え、まさかし…。
「残念ながら、ヴァルルカンに魂を奪われている。」
ヒュッ、と新の喉が鳴った。それは、死んだと言うことなのか。
「死んでいるわけではない。」
心を読んだように、充斉ヒーローが続ける。
「しかし魂を奪われた者は、ただ生きているだけになる。中身の空っぽな人間になってしまうんだ。そしてやがて衰弱して死んでしまう。充斉の体を借りているのは、そうしないと「彼」が死んでしまうところだったからだ。」
言って、元ヒーローは長いまつげをふせた。
姿を、というか、体を借りているって言っておられるのか。ええと?つまり、コイツは何なの?
「私は地球上では液体のような形態になってしまうらしい。重力の問題だと思うんだが原因は良く分からないな。」
「え、液体?っていうとゲル状の何かが本体なの?」
背中がぞぞける。鳥肌が…。
「とにかく、昼間は私は中学生の振りをしないといけないので動くことができない。基本的にヴァルルカンと戦うには夜中か週末になる。だが相手も事情は概ね同じだ。大抵のヤツラは民間人に紛れているからな。君も夜道と週末に気をつけてくれ。今くらいの時間なら、連絡をくれれば私も自由に動き回れる。」
つまり。
今この世界には、俺の知らないところで戦うヴァルなんちゃらとゼリーの宇宙人がたくさん紛れ込んでいるということなのかい。
ええと。
「その、色々と聞きたいことは山積みなんですが。」
「安心してくれ、連絡手段としては、これを使ってくれて構わない。」
俺の不安を別のものと取り違えたらしい充斉ゼリーは、先程からしていた例の痛い腕時計型デバイスを外すと、俺に寄越してきた。
「肌身離さずつけていたまえ。何かあったら画面をタップすれば私のところにコネクトできる。」
えっ、この痛デバ着けてないといけないの!?まじで?
イタデバは奇妙なほど軽く、これだけ痛いデザインなのに不自然なほど目立たない。何だろう。視界に入っていながら、注意深く見ていないと見落としてしまいそうな存在感の無さなのである。何、このムダスペック。いや、大事だけど。
「今日のところは、そろそろおいとまさせてもらうよ。「充斉」の体を寝かせないといけないのでな。」
そう言われて置き時計を見ると、2時半を指すところだった。あの時計に目覚ましがついてりゃなぁ。
「いいかい、くれぐれもこれからは、気をつけて。それから、できるだけ私のことは内密にしておいてくれたまえ。充斉の体や生活を壊すわけにはいかないからな。」
「はあ。」
気を付けろと言われても、新には正直何をすればいいのか分からなかった。
というより、この危うい現実を色々と受け入れてしまっている自分のことがちょっと心配になった。
「では、また明日。」
「明日も来るの!?」
颯爽とウインクをかましたヒーローこと充斉は(そんな動作どこで覚えてきたんだコイツ)再び腕をクロスさせる独特のポーズをとると、銀色のスーツ姿に変身した。そして、窓をぶち破――るようなことはせず、ごく普通に玄関を通って姿を消した。
ドッと疲れが押し寄せてきた。玄関わきに落ちた廃棄弁当のビニル袋に気が付いて、勿体ないことしたなぁと呟く。
「ま、いいか。寝よう。」
繰り返すが、新はテキトーな性格をしている。
「夢だといいなぁ。うん。」
新は上着と靴下を放ると万年床に滑り込んだ。
「何故、彼の部屋からフェチケフィゼクの反応があったんだろうか。」
充斉は夜景を見下ろしながら黙考していた。
彼、新城新は紛れもない民間人だった。念のためツォストレニェルニに確認を取ったところ、そのような調査結果が返ってきたのである。「フェチケフィゼク」は民間人に扮した味方の拠点のことだ。
充斉は地上247mのビルの上から、深夜のJR駅前にため息を落とした。民間人と不用意に接触してしまった。大きな失態である。今日の出来事が元で、新まで「充斉」と同じ運命を辿ることになってしまったとしたら。
「そんなことは、させない。」
言い聞かせるように、充斉の口から決意が溢れた。
銀のスーツが闇色に変わる。夜の空気に完全に身を隠すと、充斉は躊躇うことなくビルのエッジを踏み切って虚空へと身を預けた。