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花山姉弟の夜話

作者: 森山 銀杏

繰り返しを意識した小話です。

智博はインドア派である。


おそらく智博という名前が良くなかったのだろう。賢智の智に博識の博でともひろ。

どこにアウトドアの要素があるというのか?


時刻は夜の八時。


自室でいつもの予習復習も終えて、智博はいそいそと机の二番目の引き出しからプラモデルの箱を取り出した。


アニメのロボットのプラモデルである。


智博の数少ない楽しみの一つで、少ない小遣いを捻出して一体一体を組み立てるのだ。


その成果とおぼしき作品が机の上の棚には並べられていた。


数は両手の指で少し余るほど。どれも丁寧に作られていて、掃除もきちんとされているのか埃も着いていない。


うふふふふ。


自然と笑みをこぼしながら、智博は箱を開けようとした。


その時である。ばたーんと玄関の開く音がして、ただいまぁ! と勇ましい声がする。


姉の声である。


勇ましいという表現が女性向きでないのはわかるが、姉の声は勇ましい。


智博は開けかけていたプラモデルの箱をそっと閉じ、少し残念そうな顔で引き出しにしまう。


ドタドタと走る音がして、智博の自室の扉が玄関と同じように勢い良く開け放たれる。


「ちょっときいてよ!!」


大きな声で言って姿を現したのは智博の姉のイサミだった。


「どぉうしたんだい、おねーちゃん」


やや間延びした昔の猫形ロボットの真似をしながら、智博は訪ねる。


「そう言う小ボケはいいの! もうどうしたら良いのかわからないの」


染めた栗色の髪のロングヘヤーを持つ姉は、世界恐慌を前にした投資家みたいな表情で膝を地面について泣き崩れる。


まいどまいど大げさだなぁ。と智博は心の中でそう感想を漏らしーー決して、表には出さないように勤めながらーー姉に尋ねる。


「またジャイアンにいじめられたのかい?」


「ちがうわよ! 大学生にもなって、ジャイアンにいじめられたりするものですか!」


「別に小学生でも虐められてはなかったじゃない」


「イジメなんてする奴は上履きを口に詰め込み殺してやるわよ!」


恐ろしく勇ましいことを言う姉に、智博はハアとため息を吐き出した。


母が大ファンの新撰組の近藤勇から名前を取った姉は殺人こそした事はないが、いじめっ子の口に上履きを詰め込んだ実績は持っている。……ちなみに虐められていたのは智博で、口に上履きを詰め込まれたいじめっ子の姿をみた同級生はそれ以来、智博の事をさん付けで呼ぶようになった。


それが今の今まで足を引っ張っていて、智博は地元の高校に進学した今でも一部の同級生からさん付けで呼ばれている。


おそらくイサミの名前が良くなかったのだろうと智博は思う。

自分の名前がインドア派になる事を宿命づけられていたように、姉は名前によって優雅さを失ったのだ。


そんな勇ましい姉が泣き崩れる。だが異常事態ではない。良くある事だ。原因も一つしかない。


「マモのことなのよ!」


誰かと言えば姉の幼なじみの事である。

ご近所に住む姉と同い年の優しい青年である。


「マモ兄ちゃんが今度はどうしたの?」


姉の最大にして、唯一の泣き所である幼なじみが次は何をしたのかと、智博は訪ねる。


「普通さ。男って女の子が目をつぶったら、キスするもんじゃないわけ!?」


素っ頓狂なことを言われて、智博の理解が遅れる。


「……はあ?」


とんちきな事を言う姉は我慢ならないとばかりに、震えていた。


そんな姉に向かって智博はしばし考え、首をひねって訪ねる。


「キスくらいすればいいじゃない?」


「す、すればいいって、してくれないのよ!」


その言葉にしばらく考え、智博は腕を組み、先ほどとは逆方向に首をひねる。


何を言ってるのだこの姉は。


「大学生なんだし、照れなくても良いじゃない?」


あんまり気にせず、チュッチュッすればいいじゃないかと智博は思う訳だ。


愛が地球を救うとまでは言わないが、産んで増やして栄えろと神様だって言っている。

多少、口内細菌の繁殖の手伝いをするのも、その範疇のうちだろう。


なにせ、姉と幼なじみのお兄さんは付き合っているのだ。

彼氏と彼女である。


チュッパチャップスでも、チューインガムでも好きすれば良いのだ。


「私にもあこがれってもんがあるの! 向こうから、ガッときてほしいの! だと言うのに、全く来ないんだけど! リップも新しいのにしたのに!!」


「そうなのですか」


「そうなのよ! 高かったのよ! 桃の香りなのよ!?」


微笑ましい努力はしているらしい姉の言葉に、智博は視線の端で引き出しの二番目を見る。


ちょっと脳内では愛する姉をベランダから投げ捨てられればどんなに素敵だろうと思い、そんな事をしようとすれば間違いなく自分がベランダの外に投げられる事を容易く理解する。


姉の座右の銘は「やられるまえにヤる」である。

この姉は、おそらく、絶対にそれをする。


殺るときは躊躇わない。そんな勇ましい姉なのだ。


「……直接、言って上げたら? がばちょと襲ってほしいって」


「が、がばちょってなによ?」


「パックンチョ的な」


「良くわからないけど、そうならないんだけど! おとこって、どうしたらそうなるのよ?」


そう質問をする姉に、智博はなんと答えたものかと少々考える。


姉は……美人である。だが元々というよりは努力家の美人である。

自分をいかにかわいく、綺麗にするかを研究し、練習し、実践して美人を保っている。

そうした努力の向かい先がマモ兄ちゃんである事を智博はよくよく知っている。


姉はマモ兄ちゃんにべた惚れである。


やられるまえにやる信条の姉であるから、告白したのも姉である。


本当は向こうからしてほしいと思っていた姉だが我慢の限界が来て、自分からしてしまったのも智博は知っている。

何せ当時も相談されたのだ。


ここまで姉が騒ぐのも、マモ兄ちゃんに好かれたいが為なのだという事も理解している。


未来の義兄の為にも頑張らねばならないと未来の義弟としては思うわけだ。


「そりゃ……ああ、でも。マモ兄ちゃんにはちょっと難しいんじゃない? あのマモ兄ちゃんなんだし」


「マモを馬鹿にするとあんたでもタダじゃ置かないわよ!」


くさやをぶつけられた猫みたいな顔で怒る姉を、智博はまあまあと宥める。

そんなに惚れているなら、チューをしてこない事くらい許してやれよと思うのだが……。


おそらくはそれ以上の事をしてほしいのだろう。まったく、よくわからん。


「馬鹿にはしてないよ。マモ兄ちゃんは優しいんだから」


諭すように話す智博を睨み、姉は吠える。


「そんなことは知ってるわよ!」


「じゃあ、強引に来る人じゃないのはわかるじゃない。告白の時だって、向こうからは来ないとあきらめたんでしょうに」


智博の頭の中に簡単に浮かべる事の出来る幼なじみのお兄さんはひたすらに優しい。

優しさの成分を抽出して、厳選した優しさだけを圧縮したような人だ。

その選考に漏れた優しさで頭痛薬を作っていたとしても何ら不思議ではない優しさ。むしろ聖人だとすら思う。


「そこをなんとか、来させたいのよ! たんぱくなのよ! ガッと来てほしいの、わかるでしょ!?」


「ええ、そうですね……じゃあ、アピールしては? 露出を上げたりとか」


「駄目だわ。効果がないわ」


この姉、即答である。


「……やったんだ」


そりゃあ、まあ好きにすれば良いが実際に口にされるとちょっと引く。

さっきから言ってこそいないが、”向こう”からしてこないの発言も実際は引いているのだ。


「や、や、や、やってないわよ! そんなのないわよ? 誤解よ? 私、慎ましいから」


慎ましい人間がここまで騒ぎ立てるとは思えない。だが絶対に声を出しては行けない。

今この部屋はマンションの八階だからだ。


智博は跳び箱は得意な方だが、さすがにこの高さから落ちれば死ぬ。


「そうだね。お姉さんは慎ましいからね」

全く心情的に同意していないが、どれでも同意したフリをしつつ、智博は重ねて訪ねる。

「でも、あれだよ? 例えばで良いんだ。例えば、お姉さんはどういう感じでアプローチを掛けたら効果がなかったと思うんだい?」


「えっ、あっ、例えばってことよね?」


「そうだよ、例えば。実際にやってなくても良いよ」


「そうよね、例えばの話ね。えっと、し、下着姿で、こうしんなりと……」


「塩揉みキャベツ的な?」


「そ、そこまではないわ。浅漬け白菜くらいよ!」


多分姉としては浅漬け白菜の方が薄切りではない分だけしっかりしてると言いたいのだろう。


「……例えば、そこまでするとマモ兄ちゃんはどうするのかな?」


「風邪引くよって上着を掛けてくれるの。後、眠たいのと勘違いしたのか膝枕してくれ……るんじゃない?」


例えばの話として言い繕う姉。


智博はなんだかどうでも良くなってきた。


「……良い彼氏じゃない。お幸せに」


「ありがとう。……じゃないわよ!」


ちょっと嬉しそうにお礼を行ってきた姉がクワリと目を見開いて否定の言葉を口にする。ノリ突っ込みである。


「なんでそうなのよ! 目をつぶったら眠たいって、赤ん坊じゃあるまいし!!」


ぷりぷり怒る姉はそう言って顔を赤くする。


そんな姉に智博はまあまあと声をかける。


「ほらほら、姉さん。例えばの話だから」


「そ、そ、そ、そうね。例えばだったわ。でも駄目なのよ。野性味がないの」


そうは言ってもあのマモ兄ちゃんである。草食系を超えた草系男子である。


花で言うとのに咲くタンポポ(綿毛)みたいな幼なじみ。その姿を思い浮かべて野性味とはなかなか難しいことを言うと智博は思う。


タンポポが肉食に進化する確率って理論上ないのではないかと思う。


「マモ兄ちゃんに迷惑かけちゃ行けないよ?」


嘆く姉の様子に一番役立ちそうなアドバイスを授けると、姉は気に食わないとばかりに眉根をつり上げた。


「だぁれが、迷惑かけるってのよ!? そんな奴いたらぶっ飛ばしてやるわ!」


「……まあ、『自分にだけ特別にそうなってくれる』っていうのに憧れる姉さんの気持ちもわからないではないよ?」


「わかってくれる!? さすが同じ血を持つ姉弟だわ! 友達はみんなごちそうさまとか、のろけ話は聞きたくないってまともに取り合ってくれないのよ?」


そりゃ、まあ、そうでしょうよ。


取り合わなくて良いというのなら、そうするのもやぶさかではない。


だがしかしこれも将来の義兄のため、姉の幸せの為だと智博は塩揉みキャベツみたいな笑みを浮かべて、頷く。


「でも、姉ちゃんとマモ兄ちゃんは幼稚園より前からの付き合いじゃない。あんまりそう言う事で強引に距離を縮めなくてもさ。お似合いなんだし」


聞こえの良い言葉で気分を良くしてしまおうと、智博は計略を巡らせる。


「ま、まあね。私とマモは保育器からの付き合いだし? そこから幼稚園、小中高大とおなじだし? 運命的だし?」


明らかに気分が良く成って、指先で髪の先を弄っている姉に対して、智博は機嫌を損ねないように聞こえのいい言葉を並べていく。

実際は運命というより力づくである事を智博は知っている。


けれども力づくと入っても姉は本気である。マモ兄ちゃんは頭が良い。


それに合わせて考えるより手を出した方が早いと思っている姉が必死に受験に挑んだのも知っている。


「それも愛があればこそだよ。愛。いいよね。愛、愛に不可能はないよ。うん」


続けざまに四回も愛と言うと、姉の方もなんだかそんな気がしてきた様子で拳を握りしめている。


「そうよね……愛の力よね。うん、そうよ。私には愛があるんだもの」


ふう、やれやれ。これで終わり。姉の、義兄の幸せの為だ。


ちょっとニヒルな笑みを心の中だけで浮かべて、智博はちらりと引き出しの二番目を見た。


「あれ、でも私、愛されてない? 愛されてないからチューをしないの? えっ、愛がないの? 愛の一方通行なのかもしれなくもないかもしれな」


しかし残念。姉はバグっていた。


ぶつぶつ呟く言葉を聞くに、相手からの愛に疑問を持っているらしい。


だが智博から言わせれば、愛がなければ被害届が出てるだろうと思う。


自分はさん付けで呼ばれる男であるが……姉は様付けでよばれていた女なのだ。


ちなみにマモ兄ちゃんは陰で猛獣使いと呼ばれていた。むろん猛獣は姉である。


「何を言ってるんだい。マモ兄ちゃんは愛にあふれてるよ。ムツゴロウさんもびっくりだよ」


「でもマモってみんなに優しいじゃない?」


そう言われればそうである。むしろ、そんなの当たり前である。


古今東西の老若男女、全部に優しい。


それがマモ兄ちゃんである。


砂糖が甘いのっておかしい言ってるのと同じである。


「姉ちゃん。マモ兄ちゃんが優しいのは始めからじゃない」


「そりゃ、そうだけど」


「僕は常々マモ兄ちゃんが生まれた直後に世界平和を口にしても変じゃないと思っているよ?」


「似合うけど! そうじゃなくて、エロスとかそう言うのが私には感じてないんじゃないの!? だとしたら大問題だわ!!」


「……あの、僕は弟なんですけど」


「あんたくらいしか、相談できる相手はいないのよ! 男の知り合いがいないんだから!」


「……舎弟の人が居るじゃない」


「マモに勘違いされたら嫌でしょ!? そう言う誤解は全部さけるのよ!」


「マモ兄ちゃんは勘違いなんかで嫌う人じゃないよ」


「わかってるけど私が嫌なの。漫画とかでもそう言う誤解から、悲劇が生まれるのよ!」


そう話す姉は猛獣の割には少女漫画が好きである。よくよだれを垂らしながら見ている。

意外といってはなんだがそう言うのにロマンを持っていて、告白されない事を思春期が始まる前から不満にしていた。


告白される為にいろいろとやっていた事も確かである。


そんな少女漫画好きの姉にはどうにも良くあるテンプレートで許せない部分があるらしい。


『……あいつ、俺以外の男と!?』


この漫画では良くあるパターンをさけるため、姉の男との交友関係はマモ兄ちゃんと家族。そして舎弟ないし、下僕しかいない。


男に対して友達というランクはないのである。


確かにそれならば姉の想定する悲劇はさけられるかもしれない。

だが別の悲劇は四六時中起こりそうである。ある意味喜劇だが。


それが起きないという時点でマモ兄ちゃんの器の大きさがわかるというものだ。


「そう言う訳だから、あいつがムラムラするような事を考えて教えなさい」


「……ああ、ええっと。それって僕の性癖がわかるんじゃない?」


「黙っててあげるから」


黙っててくれるなら安心だ。そう言う事にしておこう。


「ああ、じゃあ。ええっと……全裸で迫ってみたら?」


「変態じゃない!」


「いやいや、裸婦画は芸術ですよ。ミロのビーナスだって裸でございますよ」


「それってムラムラしないんじゃない?」


「いやいや、エロ本だって裸でございますよ」


「……つまり変態でしょ! もっとマイルドで、絡め手がいいの!」


なんとまあ、難しい要望を出す。


次に思いついたのは、スッポンとか、マムシとか、ビンビン丸的なそんな栄養ドリンクの存在だった。だが不意打ちでそんなものを飲まされたら、マモ兄ちゃんも迷惑だろう。


「難しいなぁ」


「私の魅力にめろめろに成って、マモがムラムラすれば良いわ」


どうやら姉は栄養ドリンク的な効果がお望みのようだ。


「要求が変わってないんだけども……」


「期待してるからね」


好き放題言う姉である。だが頼りにされれば答えたいものだ。智博は頭をひねった。


安直に栄養ドリンクを実行し、失敗してマモ兄ちゃんの具合が悪くなったらと考える。

そうなれば全国ニュースがお一つ出来上がりだ。少なくともローカルニュースにはなるかも。

なにせ、ここは八階なのだ。


……答えはこれしかない。


「ラブレターだね!」


智博の言葉に姉は驚き目を丸くする。


「ら、ラブレター!?」


「愛を綴った紙だよ。照れ屋の姉さんにはうってつけだよ!」


「な、なるほど! 天才だわ!!」


「めろめろだよ、キスの一発、いや、二発。三発は行けるかも!」


「素敵すぎるわ!」


「今なら、この……ちょっと待ってね。ええっと確かこの辺に……あった!」


机の本棚をガサガサと探して智博はレターセットを取り出した。


「この淡いブルーのレターセットが着いてくる!」


水玉の模様が書かれた可愛らしい封筒と便せんセットである。


「おおー。万全だわ! さすがは私の弟!」


寄越せとばかりに手を出す姉に智博はレターセットを手に乗せてあげる。


ちなみに友人がラブレターを書いたあまりで、「智博さんも書いたら良いよ」と貰ったものだった。


ちなみにその友人のラブレターでの告白は失敗しているが、別に言わなくても良い話である。


「はいどうぞ」


高揚した顔で、レターセットを見ている姉は嬉しそうな笑みを浮かべて口を開く。


「よしよし、今度お金が入ったら、好きなおせんべい買ってあげるからね」


ご機嫌で渡されたレターセットを開く姉は手持ちの鞄から飾りの着いたボールペンを出して、さあとばかりに智博を見た。


「で、なんて書けば良いの?」


なぜこの姉はさも当然のように、弟がラブレターの文脈を考えるという発想に至るのだろうか?


謎である。不思議である。ただ訪ねる事は出来ない。

ここはマンションの八階なのだから。


しかし智博はこうした受け答えも想定済みだった。


「姉さん。それは良くないよ」


「ああん?」


げに恐ろしきは唸る姉である。いいや、これが愛のなせる技であるならば、姉こそが真のラブハンターであろうと智博は思う。


「まあまあ、聞きなさい。僕が考えたらマモ兄ちゃんの心を僕が奪ってしまうかもしれないよ」


「……えっ?」


そう呟いて、イサミは智博の目を見た。智博の目にはどす黒い目の色に思わず後ずさる。


羅生門の暗がりといえども、もう少しは暖かいだろうと思わせるほど、暗く淀んだ瞳の暗さだった。

おおよそ血のつながった姉弟に向けるものではなく、無言で逆手に握り直したペン先が異常な威圧感を放っていて超怖い。


「姉さんは姉さんの言葉で書かないと恋文というのは気持ちを込めるんだから。僕の何千何億倍もの姉さんの愛を言葉にする事は僕には出来ないよ」


冷や汗をダラダラ流しながら、智博は早口でそう喋る。


ちらりと姉の様子をうかがうと、どす黒い言いようのない殺気が穴のいた風船のように縮んでいく。


後に残ったのはそうかしらと頬を赤くしている姉だった。


改めて思うけど愛ってすごい。何より義兄がすごい。


「やってやるわ! この熱い心をレターにぶつけるわ!」


ぐっと力強い握りこぶしを握りしめ、勇ましく姉は立ち上がる。


「そして、マモの心をゲッチュハント!」


そう言って部屋を出て行った姉を智博は見送る。


秒針が一周するくらいの間、姉が戻って来ないかの様子をうかがって、智博はゆっくりとドアを閉める。


そして携帯電話を取り出した。


ぷるるるる、ぷるるるる、ぷるるるる、ガチャ。


「ああ、マモ兄ちゃん? 今良い? ああ、よかった。うん、この間のお餅はおいしかったよ。おばさんにお礼を、ああ、母さんがこの間? うん、なら大丈夫。今度のバーベキューも父さんが張り切ってたから……ええ、スペアリブがそんなに?」


喋りながら、背後を伺う。姉が部屋から出てくる気配はない。


「それで電話をした件なんだけど、姉さんのことで……。いやいや感謝してもらう事は。未来の義兄のためですから」


電話機の向こうからむせたような咳払いが聞こえる。


それに構わず、智博は畳み掛けた。


ああ、願わくば神よ。清らかな人を汚す我が身をお許しください。


これも愛の為なのです。アーメン、波阿弥陀部。エロイムエッサイム。


電話を終えて、姉の望みが叶う事に安堵しながら智博は机の二番目の引き出しに手を伸ばす。


時刻は九時前。恋文の添削を頼まれるにしても、まだもう少し時間があるはずである。

読んでくれてありがとうございます。


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