晩餐のための準備
「…ミ様!メグミ様!」
「ん…」
目を開けるとマーナが今にも泣きそうな顔で私を覗き込んでいた。
目覚めた私にほっとしたのか、泣き笑いのような顔になる。
どうしたんだろう?
「マーナ…?」
「メグミ様、お目覚めになってよかったです…。先ほどこちらに参りましたら、ひどく魘されて、涙も流していらっしゃるから、私心配で…。」
そう言いながらうっすらと青い瞳にたまってしまった涙を拭う。
マーナに言われた通り、私は泣いていた。
今までのことが夢の中で走馬灯のように流れ込んできて、そのせいで魘されてしまっていた。
「心配かけてごめん。起してくれてありがとう。」
ふるふるとめいっぱい首を横に振るマーナ。
安堵した笑みがとても可愛らしい。
「メグミ様、そろそろ晩餐のための準備をしなくてはなりません。もしご気分がすぐれないようでしたら、魔王様に申し上げて明日にでも延期していただきますが…。」
晩餐?先ほどは夕食のときにでもと言っていたけれど、何かパーティをやるようなことでもあったのだろうか。
「メグミ様を歓迎する晩餐会でございます。ですので、主役のメグミ様がいらっしゃれない以上は延期いたします。」
そう言われて納得した。
妃(になるはずの人物)を迎えた初日だ、お祝いもするだろう。
「もう大丈夫だから。私のせいで予定が狂うなんて申し訳ないし、泣いたらお腹も空いたから。」
そう、ここのところ全く食欲がなかったのに、どういうわけだかお腹が空いた。
魔界なので食事に期待はできないが、それでも全く食べられないものばかりではないはず。
その辺も魔王が、きっと何か心配りをしてくれているだろうと期待もあった。
「かしこまりました。ではまず湯浴みを。それからドレスに着替えていただきます。」
マーナに促され、広い浴室へと入る。
ちょっとした温泉のような浴槽にゆったりと体を預けると、身体の疲れがほぐれていく。
恥ずかしいからいいと言ったのに何故か頑として聞いてくれず、マーナが髪を洗い背中を流してくれた。
それから丁寧に長く伸びた髪を乾かしてくれ、精油のようなものを塗りこまれる。
すっきりと甘い香りのするそれは、髪に艶を出してくれた。
「ピポラ草の花のエキスです。歴代のお妃様が愛用なさっていて、希少種のためお妃様しか使えないことになっております。とってもいい香りですよね。」
にこにこと説明してくれる。
なるほど、魔界にもいい香りのする植物はあるらしい。
これは食事もやはり何とかなるのでは。
「さあ、次はドレスをお召しになっていただきます。メグミ様、この中からお選びくださいませ。」
そういってマーナが開いてくれたワードロープには、きらびやかなドレスが何十着も用意されていた。
「これは…歴代のお妃様のものなの?」
先日見た貸衣装店さながらの光景に唖然とする。
「いいえ、これはメグミ様を召喚する前に、新しく用意したドレスでございます。歴代のお妃様の中にも人間の方がいらして、その時にご用意されたドレスと、今の人間界のドレスデザインをお手本に仕立てました。サキュバスの皆様が、古いデザインではお妃様に失礼だとおっしゃって指揮を取ってくださいました。お気に召したらうれしいのですが。」
この膨大な数のドレスを短時間で用意するなんて信じられない。
いや、それともそんなに前から人間を召喚することに決めていたのだろうか。
そもそも、人間以外に召喚できる種族なんているのだろうか。
魔族でも人間でもない種族とは一体何だろう。
いろいろ聞きたいことはあったが、晩餐の時間が迫っているのでとりあえず保留にした。
たくさんのドレスは、半分以上が今流行りの甘いテイストのものだった。
フリフリと幾重にも生地を重ね、大きな花のコサージュやリボンが付いている。
柄もチェックや、こってりしたレースをあしらったものが多く、色もピンクに黒等派手だ。
正直、27になった私には少々かわいすぎる。
先日見た衣装店でも、こういった10代、20代前半の女の子たちが好きそうなドレスはすぐに除外していった。
もう少し落ち着いたドレスはないかと見ていると、一着が目にとまった。
ロイヤルブルーのそれは、肩口がざっくり開いていて花びらのような薄い生地で飾られている。
スカート部分もふわりと流れるような美しいシルエットで、少し後ろの裾が長めになっている。
腰のあたりには薄い生地のリボンが大きくついていてかわいらしさもある。
一色で統一されているので、とても洗礼された印象を受けた。
「私、これを着てみたいんだけど。」
そう言って手に取ると、マーナがうれしそうに顔をほころばせた。
「まぁ!そちらを気に入ってくださったんですか?それは私がデザインしたんです!どうしよう、すごくうれしいです!」
デザインまでみんなでやったんだ…と感心しつつ、なんだか私までうれしい。
今一番そばにいてくれている子と好みが合うなんて、怖くはないがやっぱり心細さが拭えない今の状況の中ではとても心強かった。
「とっても素敵なドレスだと思う。この色、大好きなの。マーナがデザインしたなんて、私もうれしいな。」
「光栄ですメグミ様」
2人でにっこりほほ笑み合って、ドレスを着ていく。
スカート部分を膨らまして見せるためにいろいろ履かなければならず苦労したが、一番はやっぱりコルセットだった。
さすがに着ないわけにはいかず、それでもいくらか優しく着つけてくれたので息はできるが、やはり苦しい。
「きっとじきに慣れますから…」と申し訳なさそうなマーナに苦笑いを浮かべて、椅子に腰かける。
髪結いも彼女がしてくれるようだ。
長い髪の両端をくるくると巻いて合わせ、中央で止める。
止めた部分にはこちらもロイヤルブルーと白の小さな花を合わせた髪飾りをつけてくれる。
化粧は苦手だと言った私に、薄いおしろいのようなものと、口紅の変わりらしいピンク色の液体を塗られた。
「メグミ様、とっても美しいですわ。」
うっとりとした表情で褒めてくれる。
そして私を全身鏡の前に連れてきてくれて…唖然とした。
つい数時間前まで一切の飲み食い、睡眠を放棄した人間の姿とは思えない姿がそこにあった。
顔は、確かに憔悴して痩せこけ、目はくぼみクマもあったというのに。
以前の自分に戻っている。
「どうして…」
睡眠だけでこの姿に戻れるとは思えない。
食事はここに来てまだ取ってはいなかった。
化粧だけで目のくぼみすら感じさせなくなるのだろうか。
マーナに聞くと、何故か少し答えづらそうに言った。
「きっと、魔王様が召喚の際お戻しになったのだと思います。」
こんなところでも魔王の力に助けられているのか。
もしかするとその力のせいで普通に話もできているし、お腹も空くのかもしれない。
なんだか自分ではない力に生かされ、支配されているような感覚に違和感を覚えつつも一応感謝した。
「さぁ、では参りましょう。魔王様がお待ちです。」