花輪と冒険者
運命の番要素は添えるだけ。
「あ、ヴァレリーさん! ちょうどよかったです!」
「……あ?」
冒険者ギルドの一角。
張り出されている依頼を眺めている横から声を掛けられ、ヴァレリーは面倒さを隠すこともせず振り返った。ギルド職員から名指しで呼ばれ、「ちょうどよかった」などという言葉がついてくるなど、冒険者にとっては面倒な匂いしかしない。
いっそ聞こえなかった振りでもしてしまいたいものだが、それはそれで後々余計に面倒なことにしかならない。
ギルドと冒険者は持ちつ持たれつの関係ではあるが、どうしたってギルドの方がその権力は強い。
冒険者がギルドを敵に回したところで、それで得られるものなど知れたものだ。
ヴァレリーはダルそうに首の後ろを掻きながら、手招きを続けるギルド職員のもとへと足を向かわせた。
だらりと力なく垂れ下がったままの尻尾が、そのままヴァレリーのやる気のなさを表していた。
「つまんねぇ依頼ならその指食いちぎるからな」
歯茎を剥き出しにして脅したところで、向き合う職員は「その牙で噛まれたら痛そうですねぇ」とのんびり笑うだけだ。それはそうだろう。冒険者という自由人たちを取りまとめるギルドで好き好んで働き続けているような人間が、その程度の脅しに屈するはずがない。
はじめは冒険者相手にビクついていたような職員が、数か月後には冒険者を怒鳴りつけるようになっている、なんていうこともざらにある話だ。肝が据わっていなければ続けられる職場ではない。
元より、ヴァレリーも本気で脅そうなどとは考えていない。
顔見知り同士の気の置けない挨拶のようなものだ。
ヴァレリーはこれみよがしに職員の顔の前で溜息を吐き出し、カウンターに片肘をついて凭れた。
「んで? 何の依頼だ?」
「話が早くて助かります。ヴァレリーさん知ってますよね、街のはずれにあるモスヒルっていう小さな村なんですけど」
「ああ。モグス森林の近くにある村だな。立ち寄ったことはないが」
「そうなんですね。依頼はその村の村長さん……ということになってますが、まあ住民全員からといった感じです。どうやら住人の一人がモグス森林でゴブリンを見かけたみたいなんです」
それはまぁ、とヴァレリーは下顎を擦りながら声には出さずに呟く。
ゴブリンは初心者や駆け出しの冒険者が相手にするような低難度の討伐対象だが、あくまでもそれは冒険者にとっては、だ。
単体であれば戦闘訓練も受けていない村人でも、男が数人がかりとなれば対処できるかもしれない。しかし、彼らはただの村人だ。自衛の手段を持っていても、討伐の知識までは期待できない。
だからこそヴァレリーたちのような冒険者がいるのだ。
「だがその程度なら一つ星か精々二つ星だろ」
冒険者になる者は、その登録時に星がひとつ与えられる。始まりは皆一つ星からだ。そこから依頼や経験を重ねて星を増やしていく。
最高位は七つ星と言われているが、現役の冒険者の中では六つ星が最上位だ。それでも両手で数えられるほどの数しかおらず、ギルド発足以来、七つ星まで到達したのは一人か二人しかいないとされている。
ちなみにヴァレリーは二年前に三つ星に上がった。四つ星への昇格はすでに視界に入っているが、上位に行くほど権力とのしがらみも増えてくる。自由気ままに拠点を移動することができる身軽さを手放すほどの旨みは、ヴァレリーには感じられなかった。
ヴァレリーの指摘に、職員は隠すことなく頷いた。
ギルド職員と冒険者との間に必要なのは、信頼をおいてほかにない。職員は冒険者を信頼して依頼を託し、冒険者は職員を信頼して依頼を受ける。時に生死に係わる案件もあるがゆえに、それが崩れてしまえば誰も、何も信じられなくなってしまう。
だからこそ職員も冒険者も互いに嘘は吐かない。ただし――
「隠し事しても匂いでバレるからな」
「やだなぁ。獣人族、その中でも特に鼻や耳に優れたあなたを前に隠し事なんてできませんって」
「そこはしませんっつっとけよ」
ヴァレリーの呆れた突っ込みにも職員はにこにこと笑んだ顔を崩さない。
肯定も否定もしないということは、それをすれば「嘘」になってしまうからか。
(人族ってのは面倒な生き物だな。……いや、コイツらが特殊なだけか)
詐欺師にでもなれそうな奴らだと呆れ半分諦め半分で見返して、ヴァレリーはフン、と小さく鼻を鳴らして話の続きを促した。
職員は軽く周囲を見渡すような動作の後、内緒話をしたがるように口元に片手を当てた。ヴァレリーはそれに付き合うように体を傾けてその手元に耳を近付けてやる。ピクピクッと震えた耳の傍で、職員がそっと小さく囁いた。
「実は、モグス森林の奥でしか採れないシルムの実をギルマスが探してまして」
「……はぁ」
深い溜息を吐き出して、ヴァレリーは耳に残る感触を払うように大きく頭を振る。職員に顔を戻したヴァレリーの頭の上では、それ以上の話には興味がないように耳が後ろに寝かされていた。
だらしなく垂れたままの尻尾が床の埃を払うように一度だけバタンと叩きつけられ、また動かなくなる。
シルムの実とは市場に行けば果物屋で買える、どの街でも手に入れられる手ごろで安価な果実だ。おやつとして誰しも子どもの頃に一度は食べたことがあり、シルムの実を加工して作られるデザートやパンもあるほどだ。
それだけ入手難易度が低い果物ではあるが、それがモグス森林の奥と指定されれば、話は少し変わってくる。
生育環境か、土地か。何が関係しているのかはわからないが、なぜかモグス森林の奥でだけはより芳醇な実が採れるのだ。そしてそれは高級酒の香料として高値で売買されている。
ヴァレリーがモスヒルという村の名前を聞き、モグス森林の名を返したのも、そのシルムの実採取にまつわる依頼を過去に受けたことがあったからだった。
「どうしてギルマスが探してるかは聞かないでやるが、依頼の内容はモグス森林にゴブリン共が巣を張ってないかの先行調査でいいんだよな?」
「そうですね。ヴァレリーさん一人で対処可能な範囲でしたら、できればそのまま討伐まで。その道中に万が一偶然ということがあれば、ギルマスがその分の色を付けてくれるというだけのことです」
「討伐すりゃ、その分ももちろん別につくんだろうな」
「その際は討伐の証を忘れないでくださいね」
「わぁってるよ」
ガシガシと耳裏を掻き、再び重く息を吐き出す。
ゴブリンの討伐と、シルムの実の採取。二つ目は正式な依頼ではないが、この内容ならばギルドがヴァレリーを指名したのも頷けてしまう。一度採取に入ったことのある経験者であれば、場所も把握しているだろうと思ってのことだろう。
だが、だからといって見つけられるかどうかはまた別の問題だ。
高値で取引され、産地も知れ渡っているのになぜ、シルムの実の乱獲や独占が起きないのか。
それは毎年確実に実が成るわけではなく、また、確実にその場所に辿り着ける保証がないからだ。どういうわけか、モグス森林では奥へ入るほどに方向感覚が狂わされ、どれだけ優れた狩人であろうとも迷ってしまう。まるで森自体に何らかの意思があるように、限られた時期に、限られた人間しかモグス森林の奥まで入ることができない。
前回、ヴァレリーが依頼を受けた時もあちこちを彷徨い続け、依頼主が諦めるまで森林を抜けだすことができなかった。
ただこれは奥にあるシルムの実を探す場合に限って起きることで、それ以外の目的で森林に入った時は迷わされることもない。だからゴブリン調査自体は簡単に終わらせることができる。
職員が「万が一」や「偶然」と重ねていうのも、遠回しに念を押しているわけではない。本当にそんな奇跡が起こればいいという、モグス森林の気紛れに頼ってのものだ。
「ギルマスに伝えといてくれ。――商人から買った方が早ぇ、ってな」
ヴァレリーが出した結論に職員も異議はないのか、既にそう説得を試みた後なのか。
苦笑いと共に依頼書を差し出され、ヴァレリーはやはり面倒そうに鼻を鳴らしたあとで書き殴るようにサインを書きつけた。
◇ ◇ ◇
ヴァレリーが拠点としている街──ソルニカからモスヒル村までは馬車で二日ほどの距離にあった。だが犬獣人であるヴァレリーの脚力があれば、一日内で辿り着く。
ならば翌朝に発っても、馬車での移動と到着はさほど変わることはない。
どちらであってもヴァレリーは構わなかったが、問題となったのはモスヒル村までの乗り合い馬車はなかなか出ていないということと、ギルドに依頼を出した村人たちが獣人の冒険者が来ることは想定していないだろうということだ。
この世界には人間──人族と獣人族の二種類の人種がいる。
数は圧倒的に人族が多いが、獣人族も珍しいわけではない。街を歩けば十人に二、三人は獣人の特徴を持つ者を見かけるほどだ。
しかしこれはギルドが設置されているような街でのことで、街から離れるほどに獣人族の数は減り、物珍しい存在となる。鄙びた村であれば、村人の中の何人が獣人というものを知ってるかという話だ。
「まぁ今更だな」
こうしたときにソロ活動の不便さを感じるが、獣人であることを物珍しがられることにも慣れたものだ。
依頼を受領したことと、詳細な情報を得るために一度は村に立ち寄る必要があるが、怯えられるなら村の外に拠点を張ればいいだけのこと。そもそもが森林の調査なのだから、村に滞在する理由もない。
「今から出るのか? ヴァレリー」
「モスヒルまでギルドのお遣いだ」
「そりゃご苦労なこった。モグスの機嫌がいいといいな」
「期待してねぇな」
日暮れも近い時間帯に街の外に出ようとすれば、当たり前のように詰め所にいた門番に話しかけられ、そのまま軽口を交わし合う。
モスヒルという目的地から、ヴァレリーの配慮にも気付いたのだろう。「長閑な場所だよ、村も人も」という助言を受け取って、街を離れる。
日が暮れ明かりの確保が難しくなる夜は、人々の行動が制限されてしまうのとは逆に魔物たちは活発に動き出す。夜間の移動は人族よりも身体能力に優れた獣人族にとっても危険なことに変わりはないが、ヴァレリーはできる限り日中の時間が長いうちにモスヒルに到着したかった。
夜の闇は人間の恐怖を煽るが、日中の陽射しはそれを和らげる。
円滑な情報収集のためにと、配慮をしたつもりだったのだが。
モスヒルに到着したヴァレリーは思わぬ歓迎を受けることになった。
それは予定通り、午前中に村に辿り着いた時のことだった。
街のはずれにある村は申し訳程度の柵に囲まれていたが、その入り口となる場所に見張りをしているような者の姿はどこにも見当たらなかった。サボっているというわけではなく、始めから誰も立てていないのだろう。詰め所と呼べるような小屋すらない。
ヴァレリーが仕方なく、ギルドからの遣いで来た冒険者であることと、依頼主である村長に会いたいということを叫ぶと、しばらく待たされた後でようやく遠くに人影が見え始めた。
呑気に近付いてきたその村人は、はじめは気付かなかったのだろう。しかし近付くにつれヴァレリーの姿が視認できるようになると、腰を抜かしたように崩れ落ちた。
そして慌てて誰かを呼び始めた姿に、ヴァレリーの心配は的中したといえよう。
モスヒル村に獣人を知る者がいないのだ。いや、知識としては知っているかもしれないが、この村に獣人が立ち寄ることはなかったのだろう。
人選を間違えたのではないかとヴァレリーがギルドへの悪態を胸中で吐き続けていると、ふと足元に軽い衝撃が走った。
ヴァレリーは周囲を警戒していないわけではなかった。小さい何かが近付いて来ていることにも、当然気付いていた。それがヴァレリーに対して敵意や害意を持っていないことにも。
だからそのまま放っていたのだが、まさかそのまま足に突進を仕掛けてくるとは思わなかった。
その場に硬直したまま足元を見下ろすと、鳶色の大きな瞳と目が合った。
「おっきなワンちゃん!」
「……ワンちゃんじゃねぇ」
「ワンちゃんしゃべれるのねぇ、上手!」
「人の話を聞け」
溜息を堪える代わりに喉がぐるると低く響くが、ヴァレリーの脚にしがみついた子どもはさらに目をキラキラと輝かせる。
少しの他意さえもない純粋な煌めきにヴァレリーは頭痛を覚え始める頭に軽く手を当て、もう片手でぐしゃぐしゃと少女の頭を掻き撫でた。少女の笑い声がいっそうと高く空に響いていく。
「れ、レア……っ!?」
集まり始めていた人だかりの中から女の悲鳴のような声が上がり、一組の男女が慌てた様子で転がり出てくる。だが、ヴァレリーたちへと駆け寄った足は、少しの距離を残して立ち止まってしまう。
不安げな表情をした女と、何かの覚悟をしたような男の顔を見て、ヴァレリーは彼らより先に口を開いた。
「ソルニカの冒険者ギルドから派遣されてきた冒険者だ。ギルドの紹介状とこの村から出された依頼書もあるが、まずは村長と話がしたい。どこにいる?」
「あ……。村長なら、今呼びに……、……あの」
「ならそれまでここで待たせてもらうが、レアってのはこの嬢ちゃんの名前か?」
「そ、そうです……! レア、いい子だからこっちに戻っておいで」
「や! ワンちゃんと一緒がいいもん!」
「レア……」
ヴァレリーが男と話す傍らでレアという少女の説得を女が試みるが、レアは嫌がった後でヴァレリーの足の後ろに隠れてしまう。
獣人族という存在に会ったことはなくても、「ワンちゃん」などと家畜と同じ呼び名が彼らにとって侮辱になるとは村人たちにもわかった。
一気に顔を蒼褪めさせる村人たちの様子にヴァレリーは深く溜息を吐き出し、しゃがみこんだ。
「おい、嬢ちゃん」
「なぁに? ワンちゃん」
ヴァレリーが顔を近付けても、レアはきょとんとした顔のまままっすぐに迷いなく見つめ返してくる。
「ワンちゃんじゃねぇ。ヴァレリーだ」
「ヴぁるぇ……?」
「……ヴァル、だ。言えっか?」
「うん! ヴァル!」
「よし、いい子だ」
得意げな顔を披露するレアを立ち上がりざまに片腕で抱き上げ、ヴァレリーは先ほどからハラハラとした様子でこちらを眺めていた男女のもとに向かう。その途中、レアが耳に手を伸ばそうとする気配を感じて避けると、腕の中で文句が上がった。
それらを無視して、ヴァレリーは女の方にレアを差し出す。女がレアを呼ぶと、今度は素直に「お母さん」と呼んでレアはヴァレリーの腕を離れた。
重いとも感じないほどの重さが消えた腕を軽く振り、肩を竦める。
「肝の据わった嬢ちゃんだな」
「す、すみません。獣人の方にお会いするのは初めてで、その」
「気にすんな、慣れてる。……まぁ、ワンちゃんなんて面と向かって呼ばれたのは初めてだがな。他の獣人連中が俺みたいとは限らない。後でしっかり言い聞かせとけ」
「はっ、はい!」
男──おそらくレアの父親なのだろう男が頷いたのを確認して、ヴァレリーは人垣の中から進み出てきた老人に顔を向け直した。
彼に向って先ほどと同じように所属と要件を伝えると、老人はほっとしたように顔をほころばせた。
アルバと名乗った村長の家へと移動し、ヴァレリーは村長と村の青年から情報を聞き取った。この青年が森での薬草採取の途中にゴブリンを見かけたらしい。
「見かけたのは一匹だけか?」
「そっ、そうです! ゴブリンに気付いて、すぐ村長たちに知らせないとと思って……っ。一緒に森に入った連中に声をかけながら、すぐに引き返しました」
「ティーエから知らせを受けた翌日にギルドへ調査と討伐の依頼を出し、それからは森へ入らなければならないときは浅い場所だけに限り、短時間で離れるようにしていました」
つまり現時点では目撃情報があるだけだが、その詳細を調べるためにこうしてヴァレリーがここにいる。
申し訳ない顔を村長や青年がする必要はどこにもないのだが、それが「長閑だ」と言われる気質のせいなのかもしれない。
ヴァレリーは考え込むときの癖のように下顎を擦り、軽く視線を周囲に巡らせた。
「森林の地図……はないよな。どのあたりで見かけたのか説明できるか?」
「えぇっと……」
「だいたいで構わない。闇雲に森の中を探し回るより、ある程度のあたりをつけておきたいだけだ」
フォローするようにそう話すと、青年はそういうことならと、彼がいつも薬草採取のために通っているルートを説明し始めた。
説明の途中、青年が「普段から歩いている場所なのに、説明するのは難しいですね」と照れたようにはにかむ姿に、ヴァレリーは「そういうもんさ」と軽く受け流した。ヴァレリー自身も、獣人の感覚を人間に合わせて説明することは難しい。
普段から日常的に何気なく行っていることをいきなり説明しろと言われて、理路整然と語れる者の方が少数だろう。
「ひとまず明日から調査を始めるつもりだが、その間は浅い場所だろうと森に立ち入らないでもらいたい」
話が一区切りついたところで、ヴァレリーはアルバに向かってそう伝える。
アルバは重々しく頷き、それから不安げな顔をして首を傾げた。
「期間はどれくらいかかるものでしょうか? この村は森から採れる薬草で生計を立てているのです。あまり長い期間仕事ができなくなると……」
「調査だけなら一日二日ありゃあ十分だ」
ほっとした様子で顔を見合わせる二人に、ヴァレリーは「ただ」と水を差す。
「万が一ということもある」
途端、冷や水を浴びせられたように二人の顔がぐっと引き締められた。
「……それは」
ごくりと生唾を飲んだアルバの顔の前に、ヴァレリーは三本の指を立てた手を見せた。
「三日だ。三日経っても俺が戻らなければ、異常事態が発生したと考えていい。その時は街まで行って救援を呼んでくれ」
「まさか……それほどの……」
「いや。ただの保険だ。俺はソロなもんでな、万一の手段がない。もちろん俺も自分の身を第一に行動させてもらうが、村に被害なんてもんを出しちまえばギルドからの取り立てがおっかないからな」
こっちが怪我人だろうと容赦ねぇんだぜ、と。
ヴァレリーがおどけた様子で話す姿にアルバと青年は再び顔を見合わせ、それから気が抜けたように笑みを滲ませた。
悲壮感すら感じさせる緊迫した空気が緩むと、ヴァレリーはゆっくりと立ち上がった。
そこにアルバが声をかける。
「そういえば、ヴァレリーさん。今夜はどこでお休みに?」
「あー……、ここにゃ宿なんてもんはないだろ? 野営できるような場所はあるか?」
「そんな! せっかく村のために来ていただいたのに、野営なんてさせられませんよ! すぐに用意しますので、この家の部屋を使ってください」
「そりゃ助かる。ありがたく世話になるぜ。ああそれと、村を軽く見て回りたいんだが、構わないか?」
「もちろんです」
引き続き案内を申し出てくれた青年と共に村長の家を出たところで、ヴァレリーは再びレアの突進を受けていた。だが今回は、ぶつかる直前で掬い上げるようにその小さな体を持ち上げる。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すレアを肩に座らせてやると、こてりと首が傾いだ。
「ヴァル、もうお話終わった? お母さんが、おじいちゃんたちのお話が終わるまで入っちゃだめって」
「ああ、終わった。今は村を案内してもらうところだ」
「レアがする! レアも案内できるよ! あっち、あっちの方にね」
「わかったから待て、落ちるぞ」
肩の上から身を乗り出そうとするレアを片手で支えて、ヴァレリーは青年に向かって軽く手を挙げる。呆気に取られた様子で二人のやりとりを眺めていた青年は、ヴァレリーのその仕草に我に返ると、微笑ましそうな顔つきになって頭を下げて村長の家へと戻っていった。
その背を半ばまで見送り、レアに目を向ける。
レアは柔らかそうな頬をぱんぱんに膨らませて、つんと唇を尖らせて拗ねていた。
「んで? どっちだ?」
「……あっち!」
ヴァレリーが訊ねると、ぱっと顔を輝かせたレアが村の端を指差す。
その幼い指が示す方向へと足を進めながら、ヴァレリーはレアに声をかけた。
「おじいちゃんってのは村長のことか?」
「そう! 今はアルバおじいちゃんが村長だけど、レアがおっきくなる頃にはお父さんが村長さんなんだって。すごいでしょ!」
「……ああ、すごいな。じゃあその次はレアが村長か?」
「うん! 村長さんは大変だけど、村の人たちのために一生懸命頑張るの」
きらきらと純粋な煌めきだけを宿した表情は、世代が変わるということがどういうことか、理解をしていないように思えた。まだその場面に直面したことがないのか、レアの中では大きくなっても今が変わらず続いていると、そう信じられているのだろう。
そこにあえて、部外者にすぎないヴァレリーが水を差す必要はない。
親の受け売りか、そう話しているのを耳にしたのか。素直に未来への抱負を語るレアに、ヴァレリーはただ「そうか」と短く相槌を返した。
レアが最初に指し示した場所を起点に、ヴァレリーは村を一周するように歩いた。途中であちこちに行きたがるレアに付き合っていても、一周するまでにそう時間はかからなかった。
村の外周を歩いている最中、村人たちは一様にヴァレリーの姿に驚き、戸惑っていたが、その肩に座ったレアが楽しそうに笑っている姿に、彼らの警戒心はすぐに解けていた。ヴァレリー――獣人が危険なものではないとわかると、最初に寄ってきたのはやはりというべきか、子どもたちだった。
大人と違い先入観もなく、好奇心や順応力の高い子どもにとって獣人は、珍しさに溢れたものに映っただろう。
肩に座るレアを羨ましがり、尻尾に悪戯しようと背後からそうっと近付いてはヴァレリーにあしらわれ、代わる代わると挑戦を仕掛けてくる。
ヴァレリーもその相手をしてやりながら、明日以降しばらくの間森へは近付かないように子どもたちに言い聞かせていった。怖いもの知らずの子どもも、森の危険性は子守唄のように聞かされて育っている。そこに脅しをかけるようにヴァレリーが牙を剥いて見せると、びっくりしながらも最後には素直に頷いていた。
「レア、お前もだからな。森には……いや、村の外には一歩も出るな」
去って行く子どもたちを見送りながら、ヴァレリーが低く告げる。レアはきょとりと首を傾げてから、「うん」と素直に頷いた。
それからまた「あっちいこ」と言ってヴァレリーをどこかに誘導する。
村の裏口となる場所に、ささやかな草むらが広がっていた。薬草をここで育てているのかと思ったが、よく観察してみればどこにでも生えているようなただの雑草だ。
珍しいものでも何でもないが、村を囲う柵の外へは出られない幼い者たちにとっては、ここが唯一の遊び場なのだろう。
ヴァレリーがレアを下ろしてやると、レアは躊躇いもなく地面に座り込んだ。そしてぷちぷちと名もなき白い花を摘み、立ったままのヴァレリーを不思議そうに見上げる。
頭を大きく後ろに傾いだ姿に、そのまま倒れてしまいそうだとふと思う。
「ヴァル?」
「なんでもねぇよ」
レアの頭を元に戻すように撫でながら、どかりとその場に足を組んで座り込む。レアはヴァレリーの脚に凭れて、草花を編み始めた。
「へぇ……、器用なもんだな」
「ヴァルもする?」
「いや、俺はいい。握り潰しちまう」
「ヴァルの手おっきいもんね!」
にぱっ、と綻ぶような満面の花の笑みに、ヴァレリーも歯茎を剥いて笑う。その背中では、草むらを撫でるように尻尾が優しく揺れていた。
翌朝。
ヴァレリーは村人たちが起き出す前に村を発っていた。
前日に青年から聞いたルートをなぞるように森林へと足を踏み入れていく。深く立ち入っていくほどに森の気配が変化し、湿った土と腐葉土、そして野生の獣とも違う嫌な臭いが濃く漂い始める。
ゴブリンの目撃地点へ差し掛かった時、ヴァレリーは足を止めた。
落とした視線の先には、明らかに人間のものではない足跡が刻まれている。
「……当たり、だな」
やれやれと今度は溜息をこぼし、腰に差した剣の柄を軽く撫でる。その右手首には、毛並みに埋もれるように白い花が浮かんでいた。
昨日、レアが編んでいた花輪だ。雑草を寄せ集めたそれには何の加護も利益もない。それでもそこには、一人の少女の想いが込められている。
「俺には関係ないと思ってたんだがな……。厄介なもんだぜ、運命ってヤツは」
誰に聞かせるわけでもない自嘲をこぼし、ヴァレリーは意識を森へと向け直す。
依頼は調査であったはずなのに、すぐそこに迫っているかもしれない危機に、本能がやたらと騒ぎ出す。
誰かに討伐を任せるのではなく、早く蹴散らしてしまいたいと闘争心が疼いてたまらない。
抑えきれないほど膨れていく興奮に口から洩れる呼吸は上がり、無意識に牙を剥いてしまう。研ぎ澄まされていく鼻と耳が正確にこの森の侵略者を捕捉し、ヴァレリーの背中の毛を逆立たせた。
◇
バァン、と勢いよくギルドの扉が開け放たれ、喧騒が一瞬で静まり返る。その静寂の中に、獣の荒い息遣いだけが響き渡る。
肩で息をするヴァレリーの姿に、居合わせた冒険者たちは誰も声をかけることができなかった。
「ヴァレリーさん! 何があったんですか!?」
受付カウンターから身を乗り出し、職員が悲鳴のような声をあげる。獣人の中でも足が速いとされる種族のヴァレリーが、息せき切らして現れたのだ。ただ事ではない。
ヴァレリーは一度大きく呼吸をすると、カウンターへと歩み寄った。
「ゴブリンが巣を作ってやがった。数はおよそ百。詳しい場所は──」
「ま、ま待ってください! ギルドから緊急クエストを発行します! 手の空いてる冒険者は待機! 心当たりがあれば呼んでください! 条件は二つ星以上、場所はモグス森林!」
張り上げられた職員の声に冒険者たちが色めき立つ。それらを見渡した後で小さく頷いた職員に連れられ、ヴァレリーは建物の奥に向かった。
職員の先導で向かったのはギルドマスターの執務室だ。職員が張り上げた声が聞こえていたのか、別の職員が走ったのか。ギルドマスターに出迎えられすぐに情報の共有を行う。
「近くの村の連中には討伐隊が来るまで外に出るなと伝えてある」
「ああ。助かるぜ、ヴァレリー。んで、百っつーのは本当か?」
「おおよそは、だな。集落ができていた。奥にまだ潜んでいる可能性を考えれば、もっとだ」
ヴァレリーのその言葉に、ギルドマスターが低く唸る。
「なんだってそんなことに……」
「さぁな。……あそこは人もモンスターも寄せ付けねぇし、害のある連中には容赦がない。案外、仕置きのつもりで迷わせたら、そのまま居つかれて繁殖されたかもな」
ゴブリンの繁殖力の高さは周知の事実だ。だが、それは冒険者たちの間での常識であり、森のような自然の存在が人とモンスターを区別しているとも考えにくい。
悪意を持って森に入った人間たちを迷わせる不思議な森。
人間は森の意思を感じ取れば早々に立ち去ろうとするが、人間ほどの知性を持たないゴブリンならば、森を抜けることを諦め、巣を作り始めてもおかしな話ではない。
森の唯一の誤認は、それがゴブリンであることに気付かず、その繁殖力の高さを侮っていたことだろうか。
「ああそれと」
たあいもない調子でヴァレリーはそう呟くと、バッグの中からそれを取り出して見せた。
一見すれば市場で売られているものと何一つ変わることのないシルムの実。だがヴァレリーがそれを取り出した瞬間に、辺りには芳醇な香りが漂っていた。
「おっ、お前! それっ!」
椅子を蹴倒す勢いで立ち上がったギルドマスターの姿にヴァレリーは歯を剥き出しにして笑い、投げ渡した。ギルドマスターが慌ててキャッチする。そしてモンスターの素材を鑑定するよりも慎重にそれを確かめる。
「……どうしたんだ、これは」
「依頼料、ってとこじゃねーか?」
「依頼料……」
ゴクリ、と唾を飲む音がやけに大きく部屋に響いた。
「…………ヴァレリー、お前は休めと言いたいところだが」
「案内役、だろ? わかってるさ」
ギルドマスターの言葉を遮るように告げ、ヴァレリーは肩を竦ませた。
多少の無茶をした体は痛むが、案内役をこなすくらいは問題ない。無意識に手首に伸びていた手に苦笑し、白い花輪をそっと包むように撫でる。泥と返り血で薄汚れ、無惨な姿になってしまったが、幸い千切れてはいなかった。
「ヴァレリー」
やけに硬い、緊張感すら含んだ声に呼ばれ、ヴァレリーはギルドマスターに目を向けた。
ヴァレリーを見る目は真剣そのもの。
「頼む。お前が現地の状況を一番知っているからな」
果たしてそれが討伐対象のゴブリンのことなのか、シルムの実のことを指しているのか。無粋なことを聞くことはしなかった。──両方だ。
◇
「ヴァレリーさん。本当にこの街を出て行ってしまうんですか?」
ゴブリン討伐の傷と疲れが癒えると、ヴァレリーは拠点を移すため、ギルドに顔を出していた。
顔馴染みの職員が残念そうに肩を落とす姿に、ヴァレリーは困ったように耳の裏を掻いた。心なしか、尻尾が落ち着かなく揺れている。
「あ、ああ。他の街を見てみるのもいいかと思ってな」
「そうですか……。寂しくなりますが、引き止めることはできませんからね。ギルマスも残念がると思いますよ?」
「ハッ。残念なのは俺じゃなくてモグス森林に気に入られてる冒険者がいなくなるから、だろーが」
鼻息をきつくして返すと、落ち込んでいた職員の顔にも苦笑いが浮かんだ。
結局、モグス森林からの恵みはあのひとつだけだったが、それでもその希少性を考えれば十分すぎるほどだ。欲をかけば痛い目に遭う。
それに当初の依頼だった森の調査と果実の報酬、それに討伐依頼のお陰でヴァレリーの懐は十分すぎるほどに温まっていた。
「ちなみに次はどの街に行かれる予定なんですか?」
「そうだな……。南にでも行ってみるつもりだ。あっちは食いもんがうまいらしいからな」
「それは大事ですね。──では、お気をつけて。ご活躍をお祈りしています」
「程々にやるさ」
尻尾を一振りして、ヴァレリーはギルドを後にする。途中、顔見知りの冒険者連中と肩を叩き合いながら、別れと再会を交わす。
「あっ、ヴァレリーさん! 今回はどちらまで?」
「依頼じゃねぇんだ」
門の前に立っていたのは、顔馴染みの門番だった。とはいえ、そう広くはない街の中で馴染みでない者の方が少ないが。
ヴァレリーが街を離れることを伝えると、別れを惜しみながらも気の良い笑みを浮かべて見送ってくれる。
「お元気で!」
見送りの言葉に片手を挙げて答えながら、ヴァレリーは東に向かって足を進めた。毛に覆われたその腕には、すっかり枯れてしまった花輪が残されていた。




