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第一話 いきなり猫騒動!? でも実は波乱の幕開けでした……

立っているのは雲の上。頭上には、無限に広がる青空。

 またこの夢か——。狐塚(きつねづか)|(さとる)は大きな欠伸をした。

今年で16歳になる彼は、これを毎晩見ていた。

夢は日に日に現実味を増し、日光の熱さや雲の冷たさまで感じられるようになっていく。

そして、もうひとつ。はっきりと聞こえる声があった。

「よう、親父殿。覚悟できてんのか? 俺より強いのさがうじゃうじゃいるんだぜ。しかも親父殿には拒否権なしよ」

「またお前か。誰なんだ?」

夢の中で自分に話しかけてくる声。最初は動物の鳴き声のようで聞き取れなかったが、日が経つにつれて鮮明な言葉となっていた。

「大体なんなんだ、その親父殿ってのは」

「言葉の通りだぜ?他に何があんだよ。そーいや今日は親父殿だけじゃなくて、お袋にも会えそうだな」

「だから、何の話だ。未来予知でもあるのか?」

「後のお楽しみだ。ってか、今話しても分かんねーだろ。取り敢えず、親父殿は今日ボコられる」

「この夢見せるのも、これっきりだ。今日中に会いにいくよ。別の形でな」


 枕元に置いたスマートフォンが、振動と不快音で悟を現実へ引き戻した。午前4時。

家を出ると、玄関にはすでに父親が待っていた。

「お、悟。おはよう。悪いな。入学の日にまで付きあわせちまって」

「それより、早く仕事を教えてくれよ」悟のアルバイトは、寿司屋で提供される魚の目利きという大役だった。

バイト高校生の身で任されたのは、単なる親のコネだけではない。

悟の五感は常人離れしていた。

ふたりは大荷物を運ぶためのカーゴバイクで、海の方へ走り出す。

父・行路(ゆきじ)は板前だ。夜明け前から魚河岸に赴き、仕入れをする。

とはいえ、自分の店を持っているわけではない。チェーン寿司屋のサラリーマンだ。

歳は40になったばかりで、管理職への転属をあえて断り、現場にこだわっていた。


「親父、今の店長とはトラブルなしか?」「俺の心配する暇あんなら、カノジョのひとりでも作って、ウチへ連れて来い」 昨年の行路は、自分が勤める店に他の系列店にはない特別メニューを提案した。

結果、行路は賛同してくれる店長のいる他店へ、食材の仕入れ係として転勤になり、引っ越しを余儀なくされた。

悟は地元高校の入学式を待たずして、転校することになった。

 椿咲学園つばきさきがくえん。それが新しい校名だ。

通学路を歩いていると、他の生徒たちがこちらを見て小声で話すのが聞こえた。

「あの子、制服違うよ」

椿咲学園の制服はブレザータイプだ。ビリジアン・グリーンのジャケットに濃いベージュのズボンやスカート、白いワイシャツ、クリムゾンのネクタイや蝶結びのリボン、ライトブラウンの革靴。


そんな中で、悟の制服は目立って仕方がない。

本来通うはずだった学校のもの——ウルトラヴァイオレットのファスナー式詰襟に、グレイのスニーカー。身長は170cm弱。髪はムースで跳ねさせたウルフヘアだ。


見ず知らずの生徒にいきなり話しかけるほどの社交性はない。悟は黙って歩き続けた。 

校門をくぐると、名前に違わずあちこちでツバキが花を開いていた。圧巻なのは校門を入ってすぐの場所にそびえる、20メートル近い大木だ。

けれど、それに感心している場合ではなかった。

「なーご、なーご」

一匹のキジトラ猫が、7メートルほどの高さの樹上にいた。心細い声を出している。

「ど、どうしよう。助けなきゃ」

「消防署に電話する?」

「オラァ、猫! 根性出して飛び降りろよ」

「猫って、いつもこれ」

木の周りに人だかりができ、皆が騒ぐばかりで誰も動かない。

 そんな中から、ひとりの女生徒が進み出た。無言で靴と靴下を脱ぎ始める。

「ちょ、ちょっと、猫屋敷(ねこやしき)?! まさか木に登る気?」

「危ないって、真凛(まりん)! ツバキって棘だらけなんだよ」

猫屋敷真凛と呼ばれた少女は、連れの女生徒たちに顔も向けない。

代わりに、他の生徒には聞こえなさそうな小声でつぶやいた。

「義を見てせざるは勇無きなり。力なき正義は無能なり。正義なき力もまた無能なり」

悟の人一倍鋭い耳が、それを捉えた。改めて彼女を見つめる。

ボーイッシュな少女だ。額にかからないほどのベリーショート。両サイドと襟足はツーブロックに刈り上げられている。背は165cmほどか。

彼女はスポーツバッグを肩から降ろすと、中から白い地下足袋と、粉の入った小袋を取り出した。素足にさっと履き込み、コハゼをきつく締める。手に粉をはたきながら、樹をじっと見上げた。

準備ができると、軽くストレッチをしながら樹を仰いだ。頭の中でルートを組み立てているのが分かる。

 見えた。

そんな心の声が聞こえたように、悟には感じられた。

人だかりが息を飲むような鮮やかな動きで、真凛は樹をよじ登り始めた。たちまち猫のいる枝へたどり着く。

「ほら、おいで」

猫はしばらく真凛を見つめると……身体に飛びついた。

けれども、真凛の背中をジャンプ台にして樹から飛び降り、そのまま茂みに軟着陸して走り去った。誰も猫の行方など見ていなかった。

「きゃあ!!」

「おっおい!」

「アイツ!! 恩を仇で返しやがった!」

真凛がバランスを崩し、片手で枝をつかんで宙ぶらりんになっていたからだ。

「だーいじょーぶだって」

真凛は空いた手でOKサインを作ると、身体を揺すり、片腕の力だけでジャンプ。一瞬、身体が宙に舞い、幹に飛びついた。

「さぁ―て、どうやって降りようかな」

地上4mほどの高さまで下りてきたところで、そこからは足場がないことに気づいたらしい。動きが止まる。

「飛び降りるしかないよね」

彼女は宙に身を躍らせ、膝を曲げてムーンサルトで着地しようとした。野次馬から拍手が起きかけた……はずだった。

真凛の顔が、誤魔化しようもなく歪んだ。

「最後の最後にミスしちゃったか」着地点は赤土の凸凹した地面。足首を捻挫したのだ。

悟は人だかりの中から飛び出し、彼女に駆け寄った。

「先輩、氷水入れたバケツ持ってきてください」

『椿咲学園拳闘部』と書かれたジャージ姿の上級生に声をかけると、彼は「ああ、分かった」と頷いた。

ただですら、地下足袋は足にぴったりとフィットしている。捻挫した足から下手に脱がせると、靱帯損傷を悪化させるかもしれない。悟はコハゼを少し緩めて、水が流れ込むようにした。痛みが和らいだ真凛は目を閉じ、深く長い息を吐いた。悟の方も一息つけたが、また気分が落ち着かなくなった。

真凛とは別の理由で。


自分は今、女の子と寄り添って座っている。

彼女から漂うのは、汗とキンモクセイのような香り、そして女性の肌特有の甘い匂いだ。

そして素足を触っている。女の子の素肌に触れているというこの事実。

悟は目が回ってきた。

「ねぇ、悪いけど、あたしのバッグ拾ってきてくんないかな。テーピングテープとか色々入っているから」

真凛の言葉で、ようやく我に返った。渾身の努力で、ポーカーフェイスとクールな声を作る。

言われた通りにすると、真凛は自分でテーピングを始めたが、悟の目にはなんともぎこちないものに映った。

「ちょっと貸してくれよ」そう言って、真凛の手から道具一式を受け取った。無駄のない手つきで、たちまちのうちに真凛の足首を固定していく。

「すっごーい。上手なんだね」

目を丸くする真凛に、悟は得意げに微笑む。

「親父が交通事故に巻き込まれて足を痛めたことがあってさ、毎朝の買い付けへ行く前に、俺が処置してたんだ」

「すごいね。そーいやその格好、転校生?」

「ああ」

「猫ちゃんは?」

「どこかへ走って行った。地域猫じゃねーかな? 右耳が切れてたし」

「そうなんだ。アンタ、名前は? あたしは猫屋敷真凛」

「狐塚」

「結構珍しいね。ってか、名前。苗字じゃなくて」

「悟」「何かお礼をしなきゃね」「えっ、いいっていいって。そんなの」

「だぁーめ。貸し借り持ったままでじゃなくて、きっちりケジメ付けないと」

そこまで言ったところで、真凛は急に顔を赤らめて両手を振り始めた。

「ああ!! でも、付き合ってくれとか、キ、キスしてくれとか、さ、触らせろとか、そういうのは無しだからね!」

悟も同じように慌てふためいた。

「おいおい!! 違うって!」

一瞬でも、真凛の言ったようなことを考えてしまったからだ。

 そんなふたりの会話を聞いてしまった者がいた。バケツを持ってきた拳闘部のジャージ男——猪口(いのぐち)だ。


彼は野次馬たちの方を向き、大声を張り上げた。

「皆さーん!我が椿咲学園は入学式早々に、ふたりの英雄を生み出しました! 我々に驚異的な身体能力を見せつけ、見事に猫ちゃんの命を救った、猫屋敷真凛さん。そんな彼女の怪我に迅速かつ的確な処置をして、身体を守った、狐塚悟くん。ふたりの功績を記念して、接吻のひとつも交わしてもらいましょう!」

途端、野次馬たちが沸き返った。「おー。猪口、たまには良いこと言うじゃないかぁ」

「ロマンチックだよなー」

「舌をちゃんと入れろよー」

「キース、キース、キース!」

「キスしろ」コールは、悟と真凛を当惑させたが、その場の空気は一瞬で消えた。

校門の方から、明らかに目立つふたり組が近づいてきたからだ。

ふたりはどちらも3年生の校章を付けていた。


先を行くのは、小椿英恵(こつばき・はなえ)。170cmの長身ながら、おっとりとした雰囲気の女生徒だ。


丸い顔に赤いラウンドフレームの眼鏡をかけ、常に柔らかい微笑みを絶やさない。髪はボリュームのあるものを一本の太い三つ編みにまとめ、胸も尻もふっくらと強調された体型が、歩くたびに優しく揺れる。


もうひとりは男子生徒の田鎖貴久(たぐさり・たかひさ)


金髪碧眼で身長192cm。黒いスクエア型の眼鏡をかけ、プラチナブロンドの髪を伸ばし放題にしている。手入れをしていないのが一目でわかる傷んだ髪と、ひょろ長い手足が目立つ細身の体躯だった。

「猪口くん。入学式で浮かれるのは分かるけど、相手に踏み込みすぎじゃないかしら?」

英恵は扇子を取り出し、パチンと開いてゆっくりと扇ぎ始めた。50cmはあろうかという大きな扇子に、「大一大万大吉」と力強い文字が書かれている。

「うっせえな。珍しく学園長が来ねえと思ったら、それかよ」猪口が舌打ちする。

「文句があるなら、拙者が聞くぞ」今度は田鎖が低く抑えた声で言った。

猪口は一瞬、田鎖を睨みつけたが、すぐに視線を逸らした。

頭の中で格闘家としての本能が、フルボリュームで警報を鳴らしていた。

(コイツには……勝てねえ……)

舌打ちを残して猪口が去っていくのを、英恵は穏やかな笑顔のまま見送った。

そして彼女は悟の顔を優しく覗き込んだ。

「狐塚悟くん? ちょっと話があるの。学園長直々に。部室まで来てくれるかしら?」

悟は目を丸くした。「どこかのクラブですか? 学園長直々って……?」


英恵は扇子を閉じ、柔らかく微笑んだ。


「妖怪鎮圧部よ」

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