第四話:忠犬は玄関で待機中
1. 憂鬱な目覚めと「過ち」
小鳥のさえずりと共に、ベアトリスは重い瞼を持ち上げた。
天蓋付きのベッドの中、彼女は大きく一つ、ため息をつく。
(……夢ならよかったのに)
昨夜の出来事は、公爵令嬢の人生設計を破壊するには十分すぎた。
王太子からの婚約破棄、第二王子との婚約、そして――フェリクス殿下への「医療行為」。
(緊急事態だったとはいえ、やり過ぎだったかしら)
彼女は昨晩の別れ際を思い出し、頭を抱えた。
『僕と契約してくれるまで離さないよ!』とすがりつく殿下に対し、これ以上は危険だと判断した彼女は、とっさに強いコマンドを使ってしまったのだ。
『――Wait.(待て。)』
その瞬間、ピタリと動きを止め、恍惚とした表情で見送ってくれた黄金の瞳。
あれは「拒絶された悲しみ」ではなかった。
間違いなく、「命令を与えられた喜び」だった。
「何か、とんでもない過ちを犯した気がするわ……」
嫌な予感しかしない。
ベアトリスが身支度を整えようとベッドを出た、その時だった。
「帰れと言っているだろう! 貴様には聞こえないのか!」
「えー、やだ。だって僕、ベアに言われてるもん」
階下のエントランスホールから、怒号と、どこか楽しげな声が響いてきた。
2. 玄関先での攻防
大階段を降りると、そこは戦場だった。
仁王立ちで立ち塞がる兄アレクセイと、旅行鞄の山に囲まれて座り込むフェリクス。
そして、オロオロとする使用人たち。
「お兄様、朝から騒々しいですが……」
「ベアトリス! 起きたか。ちょうどいい、この不法侵入者を摘み出せ!」
アレクセイが指差す先で、フェリクスがパァッと顔を輝かせた。
その姿は、尻尾を千切れんばかりに振る大型犬そのものだ。
「あ、ベア! おはよう! ちゃんと『待て』してたよ! 偉いでしょ?」
「……は?」
「昨日の夜、『Wait(待て)』って言ったじゃん。だから僕、一歩も動かずにここで君が起きるのを待ってたんだよ♡」
ベアトリスは眩暈を覚えた。
王宮に帰れという意味だったのに、まさか「物理的にその場で待機」するとは。
この男、言葉の解釈がSub(都合のいい)方向にねじ曲がっている。
「……殿下。あれは『王宮で大人しくしていろ』という意味です」
「解釈違いだね。僕にとっては『主人のそばで待機せよ』だよ」
悪びれもせずウィンクするフェリクスに、アレクセイのこめかみに青筋が浮かぶ。
「戯言は終わりだ。衛兵、叩き出せ!」
「おっと、暴力反対。……アレクセイ義兄さん、これを見てもそう言えるかな?」
3. 伝家の宝刀「王命」
フェリクスは懐から、うやうやしく羊皮紙を取り出した。
そこに押された王家の紋章が、朝の光を受けてギラリと輝く。
まるで、時代劇に出てくる『天下の副将軍の印籠』のように。
「ジャジャーン! 国王陛下の直筆サイン入り、『王命書』〜!」
その場にいた全員が息を呑んだ。
「内容は読み上げるね? 『第二王子フェリクスのSub治療のため、ローゼンバーグ公爵家での無期限の滞在と、ベアトリス嬢による24時間の管理を命ずる』……以上!」
シーン、と静まり返る玄関ホール。
王命は絶対だ。逆らえば公爵家といえどただでは済まない。
「なっ、……王命、だと……!?」
「そういうこと♡ だから、今日からよろしくね、お・義・兄・さ・ん?」
勝ち誇ったフェリクスの笑顔に、アレクセイが「ぐぬぬ……」と悔しげに歯噛みする。
完全に詰みだ。
4. 家族総出のお出迎え
「あらあら、まあまあ」
そこへ、騒ぎを聞きつけた母エレオノーラ夫人が優雅に現れた。
彼女は王命書を一瞥すると、ふわりと微笑んだ。
「王命とあっては仕方ありませんわね。アレクセイ、荷物を運びなさい」
「母上!? 正気ですか!?」
「あら、フェリクス殿下のような可愛い方が増えるなんて賑やかでいいじゃない。さあ殿下、朝食の準備ができておりますわよ」
「ありがとうございます、義母上! やっぱり話がわかるなぁ!」
母の鶴の一声で、勝負は決した。
使用人たちが慌ただしく荷物を運び込み、フェリクスは我が物顔で屋敷へと入城する。
ベアトリスは、小さくため息を付くと、呆然とする兄の肩をポンと叩いた。
「諦めましょう、お兄様。……これは『業務命令』です」
「ベアトリスぅぅぅ!!」
こうして、嵐のような同居生活が幕を開けたのだった。
4. 価値観の破壊
「全く、何で俺がお前を部屋に案内しなくてはいけないんだ」
早朝の玄関先でのすったもんだを経てエレオノーラに言われたアレクセイはフェリクスを彼の居室となる部屋に案内することになった。
初めて訪れるローゼンバーグ侯爵家の邸宅内を物珍しそうにキョロキョロするフェリクスにアレクセイは悪態をついた。
「………ええっと、なんか、ごめん」
唐突に謝罪の言葉が聞こえてきて、アレクセイは足を止め振り返る。
その視線の先では、さっきまでの勢いが消えてなくなったフェリクスが俯いて立ち尽くしてた。
「一体、どうした? 急にしおらしくなって、気味が悪いんだが?」
「僕みたいな『欠陥品(Sub)』が、ベアトリスの婚約者になっちゃって……『王族の恥さらし』が厚かましい、よね」
自嘲気味に笑うフェリクスに、アレクセイはきょとんとした顔をする。
「は? 何を言っている?」
「え? ――『Dom』の兄上じゃなくて、『Sub』の僕がベアトリスの婚約者になるのって恥ずかしいことでしょ?」
フェリクスの言葉にアレクセイは大きくため息を付いて、頭を掻いた。
「お前こそ、変なことを言うんだな。Subだから何だと言うんだ? 『男か女か』と同じで、ただの性別(性質)だろう」
Dom/Subは性質が出現する絶対数が少ないこともあり、世間では誤解されていることも多々ある。
支配性を持つ『Dom』を優秀とし、支配されることを望む『Sub』を劣等と見做すことは大きな誤りだった。
『Dom』と『Sub』は、『男』と『女』のように優劣があるわけではない。
それを、Dom/Subを多く排出するローゼンバーグ家では幼少時に学ぶ。
だが、どうやら王家では、そのような機会を与えられていないようだった。
「気の強いベアトリスと波長が合うんなら、あの『Dom』かどうかも怪しい王太子より、お前のほうが適任者だろうさ」
「えっ……?」
頭の上に「?」がついているのが、見てわかる。
さっきまで悪知恵……機転の効く頭の良さが嘘のように言葉が通じない。
まったく、哀れな話だ。
「あのな、ウチの騎士団にもSubは多いぞ? 彼らはDomの指揮下に入ると、通常の3倍の戦果を上げる優秀な兵士だ。……王家では、そんなことも教わらんのか?」
「……うん。初めて聞いた」
(……そんなの聞いたことないし、言われたこともない。この人たちにとって、Subは『恥』じゃなくて『才能』ってこと?)
「じゃあ、覚えておくといい。『Dom』も『Sub』もそれぞれ違う個性を持つ才能だ。簡単に優劣をつけられるもんじゃないんだ」
アレクセイは幼子に教えるようにゆっくり言葉を紡ぐのだった。




