第十一話:琥珀色の夜明け~左手首に繋がれた手錠~
1.琥珀色の夜明け
微かに白み始めた窓越しの光が、乱れたシーツと二人の身体を淡く照らしていた。
熱く激しい嵐のような夜が明け、客間には満ち足りた静寂と、甘い吐息だけが落ちている。
ベアトリスがゆっくりとまばたきをすると、すぐ目の前に、自身を抱き込むようにして眠るフェリクスの顔があった。
さらりとした漆黒の髪が白い枕に散らばり、その首元には、彼女が贈ったアイスブルーのチョーカーが誇らしげに光を反射している。
(……本当に、可愛い人)
狂気と絶望に染まっていた死神はもういない。
穏やかな寝息を立てる彼に愛おしさが込み上げ、ベアトリスがその形の良い唇にそっと触れようとした、その時。
「……ん、ベア……おきちゃったの?」
長いまつ毛が揺れ、黄金の瞳がとろりとベアトリスを映し出した。
フェリクスは寝起きの甘い声で擦り寄り、ベアトリスの腰を抱く腕の力をさらに強める。
「おはよう、フェリクス。……ふふ、苦しいですわよ」
「だめ。離さない。……ねえ、ベア。昨日のこと、夢じゃないよね? 僕、本当に君に全部食べてもらったんだよね?」
すりすりと頬を寄せながら上目遣いで尋ねるフェリクス。その瞳の奥には、確かな独占欲と、捕食者特有の昏い熱がまだ燻っている。
「ええ、夢ではありませんわ。貴方はもう、文字通りわたくしのものです」
「……うん。僕の全部、君のものだ」
フェリクスは満足げに微笑むと、不意に身体を起こし、ベッドサイドの引き出しから小さなベルベットの箱を取り出した。
カチリ、と箱を開けると、そこには繊細なプラチナのチェーンに、大粒のイエローダイヤモンドがあしらわれたブレスレットが収められていた。
朝の光を受けてギラリと輝くその石は、まるで獲物を狙うフェリクスの瞳そのもののように、強く、鮮烈な光を放っている。
「フェリクス……? これは」
「僕のご主人様に、僕からの『手錠』」
フェリクスはベアトリスの左手をそっと取ると、その華奢な手首にブレスレットを巻きつけ、留め具を嵌めた。
カチャリ、という小さな金属音が、静かな部屋に響く。
ベアトリスの白い肌の上で、イエローダイヤモンドが脈打つ血管の上に重なるように鎮座する。
「……僕の瞳と同じ色。……君の首にあるアイスブルーと、対になるように選んだんだ」
フェリクスは、ブレスレットが嵌められたベアトリスの左手首の内側――脈打つ場所へ、熱く深い口付けを落とした。
「心臓に近い左手首。……ここで、君の鼓動をずっと聞いていたい。君の脈が打つたびに、僕のことを思い出してほしいから」
唇を離し、潤んだ黄金の瞳でベアトリスを見上げる。
「Domの君に首輪は似合わないから、手錠の代わり。……一生、外さないでね。他の誰にも、君を触らせたくない。君の瞳に映るのも、君の心臓を動かすのも、全部僕だけでいい」
重く、仄暗い情念の籠もった言葉。
しかし、その重さこそが、彼が「死神」ではなく「一人の愛に飢えた男」として生還した証だった。
ベアトリスは、左手首に光るイエローダイヤモンドを見つめ、極上の笑みを浮かべた。
「……生意気なSubですこと。でも、悪くありませんわ」
「えへへ……愛してるよ、僕のベア」
再び重なり合う唇。
朝の光の中、二人は互いの瞳の色を身に纏い、永遠の『所有』を深く刻み込むように、甘やかな時間を反芻するのだった。
◇◇◇
2.氷点下の地下牢と、完璧なる共犯者
王宮の最下層。光すら届かない冷たい石造りの地下牢に、重々しい足音が響き渡った。
分厚い鉄扉が開かれ、魔法灯の冷たい光が牢の中を照らし出す。
「出せ! 私は第一王子だぞ! たかが公爵家の分際で、私をこんな所に――」
「やかましいですね。底辺のネズミが」
わめき散らす第一王子の声を、氷のような一言が叩き斬った。
扇子を優雅に揺らしながら現れたのは、侯爵令嬢シャルロット。そしてその隣には、軍服を隙なく着こなし、絶対的な『Dom』の威圧を放つアレクセイが立っていた。
牢の隅では、主犯格であるミミが、アレクセイから放たれる圧倒的な殺気とプレッシャーに当てられ、ガタガタと震えている。
「さて、ミミ・コルベール男爵令嬢。そして『元』第一王子、ジェラール様」
ロッティはパチン、と扇子を閉じ、薄暗い牢の中で極上の冷笑を浮かべた。
「貴方たちの『害虫としての活動記録』、全てまとめ終わりましたわ」
「……な、なにを……」
「違法な精神操作薬の密輸ルート、それに加担したコルベール男爵家の横領の証拠。加えて、王族であるフェリクス殿下に対する誘拐・暗殺未遂……ふふっ、よくもまあ、これだけ芸術的に罪を重ねたものですわね」
ロッティの言葉に、ミミの顔面からサッと血の気が引く。
侯爵家の情報網によって、彼女の実家の不正から裏の繋がりまで、すでに根こそぎ暴かれ、退路は完全に塞がれていた。
「ま、待って! 私は、殿下に命令されただけで……っ!」
「見苦しい責任転嫁だな」
すかさず、アレクセイが低く凄みのある声で切り捨てる。
「お前たちがベアトリスに盛ろうとした薬は、すでに証拠として押さえている。……俺の妹の誇りを汚そうとした罪、万死に値するが、簡単に殺してやるほど我がローゼンバーグ家は優しくない」
「ひっ……!」
「コルベール男爵家は本日をもって取り潰し、一族郎党すべて平民への降格の上、国境警備の強制労働だ。そして『元』殿下、貴様はすでに王籍を剥奪され、北の廃塔への幽閉が決定している」
死よりも重い、完全なる『社会的抹殺』。
自分たちがもう二度と這い上がれないどん底に叩き落とされたことを理解し、ミミと第一王子はその場に崩れ落ち、声にならない絶望の叫びを上げた。
しかし、鉄格子の外に立つ二人は、そんな彼らをゴミを見るような冷ややかな目で見下ろしているだけだった。
「……完璧な情報収集だったな、シャルロット嬢。おかげで、無駄な血を流さずに害虫駆除が完了した」
「閣下の迅速な制圧と根回しがあってこそですわ。……ふふ、私たち、本当に良い『ビジネスパートナー』になれそうですわね」
悲鳴の響く地下牢を背に、二人は顔を見合わせてフッと微笑む。
それは、凄惨な断罪の場には全く似つかわしくない、互いの手腕を認め合うような甘やかで知的な視線の交差だった。
「さあ、行きましょうか閣下。こんな薄暗い場所は、今日の私たちの『デート』には不釣り合いですわ」
「ああ。美味い紅茶でも飲みに行こう。この後の『契約』の打ち合わせも兼ねてな」
絶望に泣き喚く罪人たちを冷たい闇の中に置き去りにして、最強の要塞となる二人は、軽やかな足取りで地下牢を後にするのだった。




